1954年、太平洋マーシャル諸島でアメリカが行った水爆”ブラボー”の実験は、島民と海上に居合わせた日本漁船・第五福竜丸乗組員に、死の灰による被爆を引き起こした。広島、長崎から9年、この被爆は現地マーシャルや日本国内に大きな衝撃を与え、その後の本格的な反核運動を生み出す契機となった。
あれから50年、関係者の半数が亡くなった今も、両地域の生存者は後遺症に苦しみ、補償問題をめぐって揺れ続けている。さらに最近公表された米公文書からは、当時の米政府が強引に実験に突き進んだ実態が浮かび、あらためて抗議と連帯の輪が広がり始めた。冷戦終了後も拡散し続ける核の脅威。世界に向けて反核運動の起点となった広島から核をめぐる現在を見つめる。
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