クローズアップ現代 20th 1993~2013

NHK ONLINE

国谷裕子キャスターに聞く

第1回から出演している番組の顔・国谷裕子キャスターはこの20年、どのような想いで番組を続けてきたのでしょうか。番組作りの舞台裏や著名人インタビューのエピソードなどをうかがいました。

国谷裕子キャスター

写真は2013年3月7日(木)放送のリハーサル風景

――まずは、20周年を迎えた率直なご感想からお聞かせいただけますか。

よく20年も番組が続いたなと思います。始まった当初は、責任者の方が「だいたい2年くらいの番組だと思っていてください」と、おっしゃっていたくらいですから(笑)。それが20年も続くとは誰も予想していなかったのではないでしょうか。もちろん私も、こんなに長く続くものだとは思っていませんでした。

――国谷さんがここまで長く続けてこられた秘訣とはなんでしょうか。

そうですね、まずは私が健康であったことが最大の理由。自分のまわりの環境、特に家族からのサポートがあったのも忘れてはいけないですね。しかし私の事情はともかく、番組自体が長続きしたのは、やはり制作体制がその理由でしょう。
「クローズアップ現代」(以下、クロ現)を作り上げている現場というのは、NHKの組織を横断するような体制がとられています。報道局や制作局の情報系のセクションだけではなく、全国の放送局や海外総支局、さらに芸能や音楽番組の担当者からも番組提案が送られてきます。番組は、常にフレッシュで多様な目線でテーマが掘り起こされ、新しい動きを先取りするようなものも制作ができてきたと思います。そういう番組を支える、バーチャルプロダクションともいえる体制が、番組が長続きした理由の一つかもしれません。

バーチャルプロダクション
クロ現は、NHKの社会、科学、政治、経済、国際担当はもちろん、スポーツや文化担当、地方局、海外総支局まで、あらゆるセクションからの企画提案により、番組ごとに新たな制作チームが作られて制作される。固定的な制作チームが存在しているわけではない。


――日々の新しい刺激が、ここまで番組を長続きさせたともいえますね。

私にとって「クロ現」は、脱皮を繰り返している番組です。いろんな題材を抱えたディレクターや記者が、常に新たなテーマを投げかけてくれ、そのたびに新鮮な気持ちで番組に取り組める。言わばリフレッシュできるシステムが制作体制にビルトイン、組み込まれているのは、確かに日々の刺激になりましたね。
もう一つは、番組が始まった時代ということもあります。今、振り返ると、スタートした1993年という年は日本や世界が激変する年だったのです。1955年から始まったいわゆる55年体制が終わり、バブルも崩壊して地価が初めて2年連続で下がり、ホワイトカラーのリストラも目立つようになり、さらには今の製造業の不振につながる日産の座間工場閉鎖もありました。また、この年ヨーロッパでは、人、物、金、サービスなどがEC域内で自由に移動することができるようになった。そしてニューヨークでは、イスラム過激派によって、9・11事件の予兆ともいうべきワールドトレードセンタービル地下駐車場での爆発事件も起きています。「ニュース21」の終了に伴う番組編成の改定により「クロ現」は始まったとはいえ、まさに時代の節目にスタートした番組なのです。そして、ニュースをストレートに放送するのでなく、視聴者が関心のある一つのテーマをせき止め、掘り下げて、毎日紹介するという「クロ現」のスタイルは、始まった当初より、次第にそのニーズは高まってきているように思えます。私自身も時代の流れにつき動かされて、ここまで続けてきました。

――衛星放送のキャスターなどを通して国際問題が中心だった国谷さんが、番組を始めるにあたって、苦労されたことも多かったのではないでしょうか。ちなみに「クロ現」放送開始1週目はロシア情勢のほかに「偏差値」「全衆議院議員アンケート」を取り上げています。

当然、政治経済、社会といったテーマを扱うということは覚悟していました。ですが、私が純粋な日本の教育を受けたのは小学校の5年間だけで、あとはアメリカ、香港、日本でもインターナショナルスクールで過ごしています。ですから、みなさんが常識だと思っていることを知らないこともありましたし、1週目の「偏差値」というテーマも当時の自分にとっては、外国の話のようでした。日本の政治家へのインタビューもそうです。それまで一度も日本の政治家にインタビューをしたことがなかったのに、最初に生放送でインタビューすることになったのはその日、自民党から割って出てきた羽田孜さんでした。覚悟していたとはいえ、始まった当初は、緊張でどきどきし、薄氷を踏む思いも少なくありませんでした。もしかしたら、基本的な知識が欠けていて思い込みでコメントをしていないかと。そういう不安をどう乗り越えていけばいいのだろうか、当初は大変だったのを覚えています。


――その不安を乗り越えることができたのは、どういうことがきっかけだったのでしょうか。

最低限、自分に対して、できるだけの準備をしたと言い聞かせられるかどうかです。ただ、私は一度、地上波番組のキャスターとしてうまくいかなかった挫折を経験しています。そのリベンジのつもりで、来るものは拒まず、なんでも受け入れてやるぞとの思いもありました。信頼できるキャスターだと思われるように頑張るし、絶対に手を抜かないにしようと。番組のモットーも「テーマに聖域を設けない」ということでしたし、それに対して、ひるまず受けて立つ気持ちでやってきた結果だと自分では思っています。

――なるほど。さすがにもうずいぶん前に、「リベンジ」は果たせましたよね。

5~6年たったころでしょうか。いろんな人に言葉をかけていただきながら、ようやく大丈夫なのかなと思えるようになりました。いずれにせよ、私を「クロ現」のキャスターに抜擢してくれたNHKの勇気にはとても感謝しています。

国谷裕子キャスター


国谷裕子キャスター 国谷裕子キャスター

――前日試写(前日の番組打ち合わせ)にときどき参加していますが、すごい熱気ですよね。「クロ現」を作り上げる重要な要素になっていると感じています。

実は私、最初のうちは、前日試写が行われていることを知らなかったんです。当日試写だけしか参加していなかった。それまでずっと衛星放送の現場にいて、その日のニュースを担当していたので、そういうものがあることを知らなくて。でもそのうちに次第にテーマに対して自分が消化不良なままだと思うことが多くなって、それで前日試写から参加させてもらうことにしました。

――それはご自身からおっしゃったんですか?

そうです。参加しないと、番組担当者の皆さんのレベルにとてもではないけど、ついていけないことに気が付いて。参加して分かったことは「前日試写は勝負の場」だということ。皆さんそこでいろんな疑問点をぶつけあって、何を伝える番組にするのか、そしてどういうスタンスで番組を放送するのかを決めていくのです。

――そこで番組の構成が変わることもありますよね。

もちろん、そういうこともあります。


――番組の準備にあたって、国谷さんがいちばん重要視しているのはどんなことでしょうか。

週に4本の放送があるので、できるだけ資料を読み込むこと。さらにはそのテーマについて、さまざまな立場からの意見を聞いて、多角的に掘り下げた視点を持つことですね。取材者に対しても真剣に議論できるくらいのレベルには、前日試写までに達していたいとも思っています。そこで知らないことを教えていただいたり、問題の背景を理解しておけば、次の日の本番での質問に生かすこともできます。とにかくその専門分野の方が見ても、きちっと問題点は押さえてあると感じてもらいたいですし、そういう番組であるべきだと思います。

国谷裕子キャスター


このページトップに戻る