綾瀬はるかさん「第二のふるさと」ー福島とつながり続けてー
- 2023年10月10日
東日本大震災と原発事故の翌年に放送された大河ドラマ「八重の桜」。
時代に翻弄された幕末の会津で、さまざまな苦難を乗り越えて立ち上がり、新しい時代をたくましく生きた主人公・山本八重をはじめとする登場人物らの姿を、震災と原発事故で被災した福島、東北の復興に重ねました。
主演をつとめたのは俳優の綾瀬はるかさん。ドラマの放送から10年がたったことしも「会津まつり」に参加するなど、福島県とのつながりを持ち続けています。綾瀬さんが福島とつながり続けることへの思いを、インタビューで聞きました。
(福島放送局・山内彩愛)
ことしも「会津まつり」に
9月、福島県会津若松市で開かれた「会津まつり」。
戊辰戦争を戦った会津藩の武士などにふんした人々が市内を練り歩く、70年前から続く地域の伝統行事です。
ことしもそんな会津まつりを沸かせ、集まった人たちの視線を一身に集めていたのが…
「みなさんさすけねぇか?(お変わりないですか?)綾瀬はるかです」。
俳優の綾瀬はるかさんです。
会津が舞台となった2013年の大河ドラマ「八重の桜」で主演をつとめて以来、10年間、コロナで参加できなかった年を除いて毎年このまつりに参加しています。実にことしで9回目。
ことしもドラマで着用した衣装に身を包んで行列に参加し、沿道のファンに手を振って応えたり、方言を交えてあいさつしたりと、まつりを盛り上げました。
ことしの来場者はおよそ23万人。
綾瀬さんを一目見ようと県外からやってくるファンも大勢みられ、集まった人からは、綾瀬さんへの感謝の声が聞かれました。
「会津だけでなく福島全体が、綾瀬さんをきっかけに明るくなってくれるのがありがたいし、元気をもらっています」
「とてもきれいでうれしかった。ずっときてくれてうれしい」
福島が第二のふるさとに
ドラマの放送をきっかけに、10年にわたって福島、会津とかかわりを持ち続けてきた綾瀬さん。
どんな思いで会津まつりに参加し、福島に足を運んでいるのか。ことしの会津まつりに参加した後の綾瀬さんにインタビューしました。
ーことしは、4年ぶりに新型コロナの影響のない通常の規模での開催でした。参加してどうでしたか?
「去年までは新型コロナの影響でおまつりは短縮バージョンでしたが、ことしは行列が午前と午後の2回あって、通常通りの長さのコースでした。会場にいらしている方々のお顔が見られてとてもうれしかったです」。
行列に参加した綾瀬さんは、訪れる人の顔をよくみて、時には言葉を交わしながら手を振っていました。
「あっちにも待ってくれている人がいる」と、みずから行列のルートを少し変更してファンに応えようとすることもあるそうです。
「おかえりなさいって言ってくださっている方もいたりして。そんな時に『ああそっか』と気づかされます。福島、会津は第二のふるさとと言ってもいいほど何度も通わせてもらっている場所だなと。
あたたかい出迎えの言葉はとてもうれしいですし、八重の桜って私にとって大きい作品だと改めて感じます」。
「八重の桜」から10年
福島と綾瀬さんのつながりをつくるきっかけになった2013年の大河ドラマ「八重の桜」。
綾瀬さんは幕末の時代に翻弄された会津藩を守ろうと立ち上がった、砲術家の娘・山本八重(のちの新島八重)を演じました。
ー「八重」を演じてから10年になりますね。
「まだ10年という気持ちと、もう10年という気持ちと両方ある気がします。
でも10年たってもこの衣装をおまつりで毎年着させてもらったり、福島・会津をこういう機会で訪れることもできて、それはとてもとてもありがたいと感じています」。
鶴ヶ城に植えられた「はるか」
大河ドラマがクライマックスを迎えていた2013年の12月。
綾瀬さんは、会津若松市のシンボルで、会津戦争の舞台となった鶴ヶ城の一角に、一本の桜の苗木を植えています。
新たに開発された八重桜の新品種「はるか」。綾瀬さんの名前から命名されました。
長く厳しい冬を耐え、春になると毎年必ず美しい花を咲かせる桜。この2年前(当時)に震災と原発事故で大きな被害を受けた福島や東北の復興への願いが込められました。
植樹を行う前の日、綾瀬さんは、会津若松市に避難していた被災者たちが暮らす仮設住宅を訪ねていました。
ドラマの放送が残り2回となるなか、そこで出会った人たちから「毎週放送を楽しみにしている」「終わってしまうのがさみしい」などの声を直接聞いたといいます。
「八重の桜」が少しでも被災した方々を元気づけられていたらー。綾瀬さんは、大河ドラマに関わったことの喜びを改めて感じたそうです。
そしてこのとき綾瀬さんは、今後の福島との関わりについて語っていました。
「放送は終わってしまいますが、何か機会があれば毎年足を運んで、みなさんのお顔を直接みてお話しできる機会を作っていけたらと思っています」。
福島とつながり続ける
このときの言葉どおり、綾瀬さんは福島との関わりを持ち続けてくれました。そのうちの一つが、福島を旅するミニ番組「ふくしまに恋して」。
大河ドラマの放送後から2020年まで続いたこの番組のコンセプトは、人々が守り伝えてきた伝統や営み、のどかな自然など、福島のありのままの魅力を全国に発信するというもの。
奥会津の柳津町で田植えをしたり、昭和村の織物を体験したり、喜多方の酒蔵を訪れたり…
この番組のロケで、実に20回以上も福島県を訪れた綾瀬さん。震災後の福島でたくましく生きる人たちと、交流を深めました。
ー「ふくしまに恋して」のロケなどで、何度も福島に足を運んでいる綾瀬さんですが、福島県の印象はどんなものですか?
「空気がすんとしていて、澄んでいる感じがして、みんな日本酒を飲んで陽気っていう。明るくて優しくて陽気なイメージです」
番組では震災と原発事故からの復興に立ち向かう人たちの内面にふれる場面が、何度もありました。さまざまな思いを抱えながらも、前を向いて歩む人たちと心を通わせることで、綾瀬さん自身が励まされることがあったといいます。
「福島の方々はすごく明るくて、パワフルで、どうしたら復興に立ち向かっていけるかをみなさんが考えられていて、まち全体が協力して、団結している感じがありました。
いつも力強くて元気をもらっていた印象がありますね」。
ー長年福島に通われて、復興について感じられることはありますか?
「まちはちょっとは元気になっていっているのかなと感じます。
震災直後からみなさんずっと明るい印象なので、福島の人たちは、強くて元気で、相変わらず温かいという印象です」。
まちは復興を遂げ、風景は変わっていきますが、人のあたたかさはずっと変わらないとも話してくれました。
福島と綾瀬さんの縁は、あの桜のように
10年前、綾瀬さんが植えた八重桜「はるか」。
いまはどうなっているのか。
小さかった苗木はこの10年で、枝を大きく広げ、高さ3メートルほどまで成長。数年前から、やわらかな色合いの花を咲かせるようになりました。
綾瀬さんが福島に通い続けたことが、福島で暮らす人にどれほどの勇気と希望を与えてきたか。それは会津まつりの会場や沿道で住民たちが綾瀬さんにかけた「ありがとう」「おかえり」という言葉が物語っています。
大河ドラマをきっかけに、綾瀬さんが福島と紡いできた縁は、年を経るごとに、八重桜「はるか」のように、太く大きくなり、これからもやさしく見守り続けてくれます。
インタビューの最後、綾瀬さんは方言を交えながら、エールを送ってくれました。
「八重の桜から10年。本当に毎年毎年呼んでくださってありがとなし。
みなさんの幸せと健康を願ってわたしもこれから頑張りたいですし、みなさんも元気に過ごしてください!」