【特集】伝統は“大堀”にある~大堀相馬焼 再起への道~
- 2023年03月29日
福島県浪江町で300年以上の歴史を持つ伝統工芸品「大堀相馬焼」。
窯元が集まっていた大堀地区は原発事故の影響で立ち入りが厳しく制限されてきましたが、
3月31日に窯元の土地など一部に限って避難指示が解除されることが決まりました。
この決定を受けてかつての窯跡で焼き物づくりを再開させようとしている職人がいます。
ふるさとでの再起に向けた思いを取材しました。
焼き物の里は、いま・・・
東京電力福島第一原発からおよそ10キロ。浪江町の山あいにある大堀地区です。
「これがお店だったんですよ。こうなっちゃうと、もうかつてのイメージがないんだけど」
大堀相馬焼の窯元「陶吉郎窯」の職人、近藤学さんです。
大堀地区の避難指示が解除されることがわかるとすぐ、ふるさとでの再建に向けてかつての店舗や窯の解体を決めました。
大堀地区は原発事故後、立ち入りが厳しく制限され、23軒あった窯元の半数以上が廃業。残りの10軒近くは避難先で事業を続けています。
近藤さんは窯元の中でただひとり、この大堀の地に帰ろうと考えています。
「この地で焼き物をやらないと、大堀相馬焼の伝統の継承は成り立たないと思っている」
大堀でしか採れない原料
「陶吉郎窯」は、大堀地区で江戸時代から続く窯元でした。大堀相馬焼の歴史を受け継いできた近藤さんにとって欠かせないものがあります。
「これは大堀相馬焼の釉薬、“青ひび”という釉薬の原料です。砥山石っていうんです」
大堀相馬焼の特徴である、ひびの入った淡い緑色。この繊細な色を生み出す砥山石は、この大堀地区でしか採れない貴重なものでした。
しかし、山あいにあった採石場は帰還困難区域に。近藤さんの窯の近くに野積みしてあった砥山石からも高い放射線が計測され、使うことを諦めるしかありませんでした。
「できるなら、もともとの大堀で採れた砥山石を使って“青ひび”をやりたい」
避難先で窯を構えたけれど・・・
原発事故後、避難先のいわき市に新たな工房を構えた近藤さん。
現在の釉薬は、砥山石の代わりに7種類の異なる原料を使って、似たような色合いになるよう独自に調合しています。
近藤さんはこの12年、仮の釉薬で作る色に心から納得できずにいました。
「色が同じだったらそれでいいのだろうか。先祖は300年以上の間、それぞれの時代で苦労しながらその土地でつないでくれた。それが土地が変わって、はたして本当の意味で受け継いでいるのかな」
伝統は“大堀”にある
大堀の地で、大堀の原料で、作りたい。
そんな近藤さんの思いを後押しするかのような 出来事が去年ありました。仲間の窯元の倉庫から、砕いた砥山石が見つかったのです。室内で外気に触れにくい状態で保管されていたため、放射線はほとんど計測されませんでした。
およそ50袋分を無償で譲り受けた近藤さん。ふるさとで作れるその日まで、大切に保管しています。
「ほとんどあきらめていたので、もう奇跡に近い。また“青ひび”をやれるっていう楽しみでいっぱい。これは、この12年間の空白を埋める大きな1つの証になるでしょうね」
近藤さんはいま、原発事故前と同じように焼き物づくりができる工房をふるさとに建て直そうとしています。
「人っ子ひとりいないところに帰るわけですから、非常に厳しい道のりだということはもちろん覚悟しています。私が戻って、そこで人が集まって、次の世代またその次の世代とつないでいって、初めて伝統の継承となっていく。その一番最初の礎になりたい」
大堀の地で紡いできた300年の伝統。焼き物の里に再び火がともるときが近づいています。