「博多手一本」どこまで!?|NHK福岡
- 2024年05月01日
今回の「追跡!バリサーチ」は「博多手一本」について!
こんな投稿をいただきました。
「打ち上げの締めで博多手一本が突然始まり、北九州や筑豊の人が困惑していました。博多手一本が県内のどのぐらいの範囲で普及しているのか調べて下さい」
知ってる人にとっては当たり前。知らない人は、何それ?全く分からない、という博多手一本。
というわけで、「博多手一本」が、福岡県のどれぐらいの範囲で行われているのか? バリサーチしてきました!
さっそくお邪魔したのは、福岡市内の会社の送別会。
その会の終わりには…
よーお シャンシャン
まひとつ シャンシャン
よーとさんど シャシャン シャン
※シャンシャンの部分は手をたたくリズムです
出ました!この独特な掛け声と拍子!
「博多手一本」です!
こちらは、福岡市内の居酒屋。気の置けない仲間の集まりでも…
ここでも「博多手一本」で締めています。
やはり、飲み会の締めには欠かせないもののよう。
飲み会以外でも手一本をするか聞いてみると…。
結婚式に参加したり、親戚どうしで集まったりするとしていました!
バリサーチのライン友だちのみなさんにも聞いたところ…。
運動会などの学校の行事や、アビスパが勝利したときのスタジアムなど
さまざまな場面の締めとして行われているようです。
では、県内どれくらいの範囲で行われているのか?天神と博多駅でまちの人に聞いてみました!
福岡県を「福岡」「北九州」「筑豊」「筑後」の4つの地域に分け、
「どこの出身か」と「博多手一本をするか」を聞いてみました。
めでたいときにやりますね
しますよ、必ずします
合わせて196名の方にお話を伺ったところ…
北九州や筑後では「しない」と回答した人がほとんどでした。
そして、なんと…
福岡でも74人が「しない」と回答。
「する」と答えた51人を上回りました。
若い年代には知らないという人も多く、
やはり福岡のなかでも地域に差があるらしいこともわかりました。
では、もともとは福岡のどこで行われて来た文化なのか?
福岡の文化に詳しい、博多町屋ふるさと館の佐藤さんに伺いました。
博多手一本は基本的にこちらの博多駅から昭和通り、御笠川と那珂川(なかがわ)の間の地域で基本的に行われている文化なんです。
「博多手一本」はもともと、とっても限られた範囲の文化だったというのです。
古くから商人の街として知られてきた、いわゆる「博多」だけの文化だったのだとか。
詳しいことはわからないんですけれども
上方、大阪の方から持ち込まれた文化という風に聞いております
こちらがいまも行われている「大阪締め」です。
打ちましょ パンパン
もひとつせ パンパン
いおうてさんど パパン パン
※パンパンの部分は手をたたくリズムです
確かに、博多手一本とよく似ています…。
一説には、大阪の商人が米の値段を決めるときに行っていたものを、
博多商人が持ち帰り、独自にアレンジしたとも言われているそうです。
博多商人の文化として生まれた手一本。
この地域で行われている「あの」伝統的な祭りとも深い関係があります。
そう!博多の夏の風物詩、博多祇園山笠です。
祭りのクライマックス、追い山の最後にも必ず手一本が行われます。
でも、なぜ祭りの中で博多手一本を行うのでしょうか?
山笠の神事をつかさどる櫛田神社の権禰宜、髙山さんに聞きました。
本番を迎えるにあたって、意見が分かれたりすることもあるかと思います。
その時に、最後みんなが決めたことを手一本、手を入れることによって
後日、異議を申さないという約束で入れる物です。
博多手一本で締めたら、そこから先は、ノーサイド。
意見や立場の違いを超えて、1つの目標に向かっていこう
という深い意味が込められていると言うのです。
博多独特の文化だった「博多手一本」。広がっていった背景の一つが戦争です。
戦後、焼け野原となった博多から、多くの商人が復興を目指して福岡の各地に移り住んで行きました。
そのひとつが天神の新天町です。
新天町に戦後に博多手一本が広がった経緯に詳しい方を見つけました。
博多で創業し、戦後、新天町に移住した柴田さんです。
新天町は、博多から来た人が多かったので「博多手一本」は、商店街としてもやるのが当たり前だったんです。
「争いがあっても、締めた後は共に同じ目標を目指す」
戦後の復興を目指す中で、博多手一本の精神は周囲に自然と取り入れられていったと言います。
みんなで町を盛り上げていこうという思いがあった時代だったんだろうと思います。
調査結果
博多手一本は、商人の文化として生まれ、山笠と共に博多に定着。
戦後の復興のなか、福岡の街へと広まっていったようです。
さらに!!今回の取材のなかで
県内各地に独自の締めがあることを発見しました!
福津市の津屋崎、うきは市の吉井町では、博多手一本とよく似ていますが、かけ声や手拍子の取り方が微妙に違うそうで、名前は特に無いそうです。福岡市の箱崎は、「箱崎手一本」。北九州の小倉は「小倉ゑ比寿締め」という名前で、動きも全く別のものでした!!
まずお邪魔したのは、博多のすぐお隣、箱崎の商店街関係者の皆さんの集まりです。
その会の締めには…
いやさかえ!
よーいせえの パンパンパン
もひとつせえの パンパンパン
よーいせえの パンパンパン
わー!!
※パンパンの部分は手をたたくリズムです
特徴的な「いやさかえ!」という掛け声の意味について
箱崎商店連合会長の斉藤さんに聞いてみると。
いやさかえはみなさんが栄えますようにという気持ちをこめてやっています
地域の行事の締めではお決まりで、地元の中学校の体育祭でも行われているそうです。
こちらは北九州、小倉。
小倉十日ゑびす祭で、商店街のお店一軒一軒のまえで行われる締めです。
商売繁盛で いよぉ~お!
よいよいやー!
よいよいやー!
よいよいやー!!
※よいよいの部分は掛け声と一緒に手をたたくリズムです
どちらも正確なルーツはハッキリしませんが、地域の行事の大切な締めとして大切にされているようです。
皆さんも、お住まいの地域で独特の手一本があるという方、そのルーツをご存じと言う方、ぜひバリサーチに投稿してください!!!
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