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【動画】新幹線を福井の地に~元知事が明かす道のり~

  • 2024年03月16日

     

    JR福井駅での出発式2024年3月16日

    2024年3月16日、福井県の歴史に新たな1ページが加わりました。
    北陸新幹線が金沢から敦賀まで延伸し、長年の悲願だった新幹線の県内開業が実現したのです。
    1973年に国の整備計画が決定してから半世紀。これほどまでに長い歳月を要したのはなぜか。
    その内幕をかつての県政のかじ取り役が明かしました。

    「まさか51年もかかるとは思ってもいなかった」

    福井県鯖江市出身の栗田幸雄さんは、副知事を経て1987年に知事に就任。2003年までの4期16年、県政のかじ取り役を担いました。
    現在も精力的に活動し、県の国際交流協会の顧問を務めていています。
    知事として新幹線の誘致活動を進めていたときの複雑な胸の内を明かしました。

    栗田幸雄氏

    栗田幸雄さん
    明治以降に太平洋側が発展したのは鉄道の力が非常に大きかったと言えます。新幹線が福井県や北陸地域の発展に大きなメリットをもたらすのは明白で、整備計画が決まったことですぐに新幹線がくると期待していましたが、困難が続きました。絶対に大丈夫だと思いながらも、本当にくるのだろうかという不安は常にありましたね。まさか51年もかかるとは思っていなかったですけど。

    はじまりは「日本列島改造」を唱えたあの人

    田中角栄氏と赤鉛筆を引いたとされる地図(イメージ)

    栗田さんには、「絶対に大丈夫」と思える根拠がありました。それは、陳情活動が本格化した頃の田中角栄元総理大臣と当時の県知事、中川平太夫氏のエピソードがあったからです。

    栗田氏

    中川知事をはじめとする陳情団が、東京の目白御殿と呼ばれた田中邸を訪れた時に田中角栄さんが日本地図を広げて、敦賀から小浜を通る線を赤鉛筆で引いて「これでいいんだろう」とおっしゃった。誰もが間違いなく福井に新幹線がくると思いました。

    なかなかこない新幹線

    当時から関西との経済的なつながりの強い福井では、東京と大阪からの同時着工を求める声が上がりました。しかし、工事は長野オリンピックの開催に合わせて東京からのみ着工。
    その後、1997年に高崎~長野間、2015年に長野~金沢間が順次開業していきました。

    栗田氏

    長野、富山、金沢、福井と、その時その時で同盟会が活動していましたけど、道筋がついた県から抜けていき、結局最後まで残ってしまった。東京から工事が始まったことで福井県は大変苦労しましたね。

    「原発政策に協力する見返りとして」

    国会議員のもとを訪れる福井県の陳情団(1999年)左が栗田氏

    早期着工を求めて、栗田さんをはじめとする陳情団は足しげく国会議員のもとを訪れて陳情を重ねました。なかでも、栗田さんは福井県ならではの立場で働きかけを強めたと振り返ります。

    栗田氏

    福井県は原子力発電に力を入れてきた県です。当時の自民党は一層、原子力発電に力を入れていくということで、そのためにはなんとしても福井県に協力をしてもらわなければならない状況でした。そこで、福井県が原子力発電へ積極的に協力してくれるならば、いわばその見返りとして新幹線を1日でも早く自民党として努力しましょうと言ってくれました。

    「福井止まりでいいと言わないから進まないんだ」

    時間がかかった理由のひとつに、栗田さんは、福井県が「若狭ルート」にこだわり続けたことをあげました。
    「若狭ルート」とは、嶺北地方の福井から嶺南地方の小浜市付近を通って新大阪まで繋ぐルートのことで、福井県にとっては嶺北と嶺南を新幹線で結ぶことが重要な意味を持ちます。

    栗田氏

    明治14年に今の形の福井県ができて以来、嶺北と嶺南を一体化することは歴代の県知事が引き継いできた県政上の課題でした。新幹線で嶺北と嶺南を結ぶことが一体化に近づくと考えて、我々は「若狭ルート」実現のために力を入れてきたのです。

    それを象徴するできごととして、4期目の任期中にあった与党の大物議員との具体的なエピソードを明かしました。

    大物議員

    予算的に考えると、新幹線を新大阪まで結ぶのは容易なことではない。それまで福井県はじっと待っているのか?福井まで作れば、終着駅になる福井はものすごく発展するだろう。

    栗田氏

    先生のおっしゃることは、われわれとしてもそういう気持ちでいますけれど、知事としては福井県全体のことを考えなければならないので、福井止まりということは県政全体で考えると難しい問題ではないでしょうか。

    「嶺北と嶺南を一体化する」歴代知事の理念を受け継いだ栗田さんの強い政治信念が首を縦に振らせなかったのです。

    心の中では福井まででも早くやってほしいなと思いながら、知事としてはどうしてもお願いしますとは言えませんでした。「福井県は福井止まりでいいと、それを言わないから進まないんだ」と言われたときは、非常に困りましたね。

    知事退任から21年 新幹線は福井の地へ

    退任式(2003年)

    2003年、栗田さんは知事を退任。新幹線開業の夢は後任に託されました。
    その後、与党の検討委員会で「小浜・京都ルート」が決定。複数あったルート案の中で敦賀から新大阪までの所要時間が最も短いことなどが評価されました。

     

    JR福井駅に到着する東京からの1番列車「かがやき501号」

    そして、ことし、ついに北陸新幹線が福井の地へやってきたのです。

    「開業までの歴史を誇りに思ってほしい」

    栗田さんは、県民にはこれまでの歴史を誇りに思い、この先の福井の発展のため努力し続けてほしいと考えています。

    福井県民は自慢したがらない県民性がありますね。新幹線なんてどこの県にもあるじゃないかと、そういう引っ込み思案な面があるけれども、日本全体を考えると鉄道の役割は非常に大きいわけですから、これまでの歴史をしっかり理解して、そして誇りに思い、これからの福井県の発展のために県民一人ひとりが力を発揮してほしいです。

      • 四宮孝信

        福井放送局 映像制作

        四宮孝信

        埼玉県出身
        「かがやき」に乗って帰省します!

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