2014年10月4日(土)
【再放送】2014年10月11日(土)午前0時00分
※金曜日深夜    

沖縄 島言葉(しまくとぅば)の楽園

消滅の危機にある言語をどうやって守っていくのか。ことし9月、世界の言語学者が話し合う「国際危機言語学会」が沖縄で開かれた。そこで注目されたのが、世界でも有数の多様性を保持してきた沖縄の「島言葉(しまくとぅば)」だ。同じ島でも集落ごとに異なると言われる島言葉。それがいま消滅の危機にひんしているのだ。

ユネスコ(国連教育科学文化機関)は2009年に、国頭、沖縄、宮古、八重山、与那国の各島言葉を独自の言語と認定し「危機言語」のリストに掲載、このまま何もしなければ2050年までに話者が一人もいなくなると警告した。たとえば沖縄本島北部の国頭村(そん)・奥(おく)で話されてきた島言葉「ウクムニー」は、すぐ隣の集落でも通じない。しかし専門家による調査が進まないまま話者は50人を切ってしまった。また沖縄本島中南部の「ウチナーグチ」には、交易で栄えた那覇の市場で話されていた庶民の「ウチナーグチ」と、琉球王朝の士族が話していた首里の「ウチナーグチ」がある。しかしどちらも日常的に話せる人が激減している。

多言語の楽園・沖縄で、言語が失われつつある現実。その背景には、沖縄がたどった歴史がある。
明治以来、島言葉は一段劣る方言とみなされ、標準語を話すことが半ば強制されてきた。戦後は本土復帰を願う人々によって日本語を話すことが奨励されてきたという。しかし国際社会から独自の「言語」と認められたことをきっかけに、沖縄の人々は今あらためて島言葉の価値を見直し、それを保存する活動に取り組み始めている。

アメリカ人の父親と沖縄出身の母親の間に生まれた民謡歌手の比嘉光龍さんは、アメリカ人になりたいと高校卒業後アメリカに渡ったが、そこで沖縄人であることに目覚め、沖縄に帰って民謡の勉強を始めた。そこで出会ったのが、かつて琉球王朝の士族が話した「首里」の言葉だった。首里のウチナーグチがいまでは比嘉さんのアイデンティティーを支える言葉となり、各地で民謡とともに首里の「ウチナーグチ」を教える活動を行っている。
またことしになって、国頭村・奥出身の男性が9千以上の「ウクムニー」の単語の発音と意味を手書きのノートに残していたことが分かり、琉球大学の狩俣繁久教授が調査を始めた。ウクムニーを言語として記録し未来に伝えるために、ノートを基にした古老への聞き取りを始めるなど本格的な辞書作りがスタートした。

言語は独自の生活や文化を育み、個人のアイデンティティーの中核となる。言葉を失うとき、人は何を失うのか。島言葉の消滅を食い止めるには何が必要なのか。島言葉に込められた沖縄の豊かな世界観を見つめる。

(内容59分)

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