2014年3月15日(土)
【再放送】2014年8月13日(水)午前1時00分
※火曜日深夜(総合)    

戦傷病者の長い戦後

日中戦争・太平洋戦争で負傷し傷害を負った元兵士たちでつくる日本傷痍軍人会が2013年秋に解散した。かつて35万人を数えた会員も5千人、平均年齢も92歳を越えた。
総力戦となった第二次世界大戦は、膨大な戦死者とともに多くの戦傷病者を生んだ。戦時中彼らは戦意高揚の中「白衣の勇士」とたたえられ、国家からさまざまな優遇施策を受けた。しかし敗戦後は軍事援護の停止による恩給の打ち切りなど、戦傷を負った人々とその家族の生活は困窮と苦難のふちにあった。講和と独立のあと、軍人恩給の復活とともに傷病者への支援も僅かに改善をみたが、手足の欠損、失明、とう痛、体内に残った手りゅう弾の破片など戦争の傷跡は、彼らの生涯を苦しめた。傷痍軍人にとって“戦後”はその一生を終えるまで続いたのである。
かつて昭和40年代頃まで街頭や縁日、列車内などで見られた“白衣募金者”たちもとうに姿を消し「傷痍軍人」はまさに歴史の中に埋もれようとしている。傷痍軍人たちは戦後をどう生きたのか、どのような絶望の中に日々を送り、どんな思いでその困難な人生を切り開いてきたのか。そして国や私たち国民は彼らをどう遇したのか。
東京九段の「戦傷病者史料館・しょうけい館」には180人、計300時間にのぼる傷痍軍人とその家族の証言映像記録がある。受傷の痛みと葛藤、社会復帰と自立、差別と心ない中傷、戦死した戦友への罪障感、労苦を共にした夫婦愛、戦後日本社会への違和感・・・・・・彼らの証言をベースに膨大な遺品、資料を取りまぜながら、傷痍軍人たちが問いかけたこと、言い残したこと、私たちがもう一度、見、聞き、知らねばならないことを考える。
戦後もすでに68年、ついにその戦傷の痛みと欠損を報われることなく、あまたの人々がそれぞれの体験の記憶と無念の思いと共に、私たちの前から姿を消した。「国が、人々が、われわれのことを忘れてしまったのではないか」生きのびた傷痍の人々が異口同音に漏らす言葉である。傷痍軍人会解散という最後の機会に彼らの声に耳を傾け<日本人の記憶>として心にとどめる。

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