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神戸先生に聞いてみよう⑦〜常識という名の信仰〜

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いち子、大丈夫でしょうか。心配ですね。
「みんな仲良し」だったはずのクラスで、いじめが起きる。
恭一はようやくいじめのない居心地のよいクラスに入れたと思っていたのに…。
南香緒里が感じていたうっすらとした違和感が、現実になってしまったようです。

香緒里は、自分とクラスメイトたちは「主義」が違う、と感じています。
一致団結して頑張り、青春の楽しみをみんなで分かち合うのが大事だと感じている他の生徒たちと、
一人の時間が大切で、それぞれの過ごし方を尊重したいと感じている香緒里。
それだけなら、どちらかが間違っているというものでもありません。きっと両立もできるでしょう。

でも、「『みんな』の前で『わたし』が消されちゃうみたいで、何だか怖いの」と香緒里は言っていました。
そうなると、話は変わってきます。
高柳の言うように、集団の前に、個人の意志や権利や尊厳を軽視し、
考え方の異なる人を排除するようになったら、それはとても危険な状態です。

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ただ、こういうことは、しばしば起きがちですよね。
歴史的にもそうですし、私たちの現代の日常生活の中でも、残念ながら、そうでしょう。
なぜそんなふうになってしまうのか、それを考えるヒントになるのが、ドラマの最後に登場した言葉です。

「常識は、既に或る信仰である」

ちょっと変わった言い回しですね。
これは三木清という日本の哲学者が書いた、「仮説について」という文章に出てくる言葉です。
三木は、このドラマでいう「主義」のような数々の思想は、すべて「仮説」だといいます。
こう考えればもっとうまく説明できるんじゃないか?こうすればもっと幸せな社会になるんじゃないか?
そんなふうに、先人たちが試行錯誤しながら立ててきた仮説が、思想です。
それに、私たちひとりひとりの「主義」もそうですよね。
人生の中で、もっとこうしてみようか、こう考えてみようか、そうやって実験を繰り返す中で、
自分の生き方や信念が少しずつ形になってきます。

仮説は、仮説にすぎませんから、もちろん間違っていることもあるし、失敗することもあります。
ほかの仮説と矛盾したり、対立したりすることもあります。
どんな仮説も不完全なものですから、確かめることや、間違っていたら修正することが必要です。

ところが、「常識」には、そういう仮説的なところがありません。
仮説にすぎないはずの一つの考え方を、当然だと考え、疑わなくなる。これが「常識」です。
私たちは常識について、確かめてみようとか、これから信じてみようとか、思うことすらありません。
なぜなら常識とは、「既に」信じて疑わないものだからです。

ドラマの授業のシーンで、創と高柳がこんな言葉を交わしていました。
「え、別に、問題なくないですか?資本主義って、別に普通のことですよね」
「そうですね、日本は資本主義国家ですから、資本主義は私たちにとって普通のことですね。
……普通のことなら、問題はないと?」

幸喜と高柳のこんな会話もありました。
「たしかに、映画に出てくる社会主義国って、だいたい敵だもんなぁ……」
「それは、資本主義国で作られた映画だからでは?」

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私たちは、普通のこと、当たり前のこと、世の中の常識、と思っていることについては、
そこに問題があっても目を向けず、仕方のないことだと見過ごすようになります。
そればかりか、自分の「普通」と異なるものは、危険な敵として攻撃するようになります。
「普通」の問題や間違いを指摘する声も、愚かさや狂気とみなし、耳を傾けようとはしなくなります。
良くてもせいぜい、「まぁ、人それぞれ考え方は違うからね」などと表向きだけ優しい言葉を嘯き、
内心でうっすらと相手を軽んじながら、無視するだけでしょう。

人間は弱いので、自分と似た考え方の人がいると安心します。
個人主義者の香緒里でさえ、いち子と共感できたとき、とても喜んでいましたね。
自分と同じ考えの人が多ければ、もっと安心できます。自分が普通でおかしくないと思えるからです。
社会的に権威のある人が、それが正解ですよと言ってくれれば、さらに嬉しいでしょう。

でも私たち人間は、そういう自分の弱さに、自覚的でいなければならないのだと思います。
どんなに当然に思えても、それしか正解がないように見えても、すべての考えは「仮説」にすぎない。
健全な「疑い」をいつも持っていることは、実はとても大切なことです。
もしかしたら間違っているかもしれない。もしかしたら今よりもっといい形があるのかもしれない。
そういう疑念を持ち合わせておくことで、自分にとっての「普通」と異なるものともまっすぐに向き合い、
自分とは意見や感じ方の異なる他者とも、一緒に考えていくことができます。

さて、来週は、最終回。
いち子はクラスのグループチャットに戻った方がよいでしょうか?
みなさんもぜひ考えてみてください。きっと「宿題」をやってきた方がより面白く見られると思います。
考えてみるときのコツは、一度自分の「常識」や「普通」「当たり前」は傍に置くこと。
そしてできたら、自分とは違う意見を言いそうな人を見つけて、一緒に考えてみることです。
それではまた来週、倫理の時間にお会いしましょう。(一度言ってみたかった!笑)


〜マルクスについて〜
カール・マルクス(1818〜1883)はドイツの哲学者・経済学者です。裕福な家庭に生まれましたが、貧困に苦しむ人々の姿に、社会のあり方への疑いを感じるようになりました。主著『資本論』では資本主義の特徴や問題点について詳細に分析しています。ドラマの中で言われていたように、社会主義革命の多くは頓挫しましたが、彼の思想は今も新たな視点から読み継がれています。

〜ベンサムについて〜
ジェレミー・ベンサム(1748〜1832)は、イギリスの哲学者・法学者です。快楽や幸福を増大するものが「善」であり、苦痛や不幸を増大するものが「悪」であるという、功利主義を唱えたことで知られています。社会的な特権を考慮せずにすべての人を平等に「一人」と考えること、そしてそのひとりひとりの幸福の総和が最大になる「最大多数の最大幸福」を立法の原理とすべきことを主張しました。

〜三木清について〜
三木清(1897〜1945)は、兵庫県生まれの哲学者です。京都帝国大学で西田幾多郎に学び、またドイツ留学中にハイデガーの影響を強く受けました。日本でいち早くマルクスの思想を紹介し、その意義を論じた一人でもあります。ドラマで引用された文章は『人生論ノート』に収められています。


高校倫理考証 神戸和佳子(ごうど・わかこ)
哲学・倫理教師。中学校・高等学校・大学等の非常勤講師として、哲学的な対話の手法を用いた授業を行っている。東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。共著書に『子どもの哲学−−考えることをはじめた君へ』(毎日新聞出版、2015年)など。


よるドラ「ここは今から倫理です。」

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ミニ番組「ここはぺこぱと倫理です。」

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投稿者:スタッフ | 投稿時間:00:00 | カテゴリ:ここは今から倫理です。

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