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「根っからの負けず嫌い」本気で金メダルを目指した伊藤美誠が教えてくれたこと

「普通じゃない」プレースタイルとは

伊藤選手のプレーのどこがどう独創的なのか。

まずほとんどの選手はスマッシュを浮いたボールに対して打つが、伊藤選手はラリー中の低いボールに対しても積極的に打ち込む。

「難しいボールでも結構私自身、パーンって打っちゃったら入ったりもする。そういうところは、真面目じゃない証拠というか。真面目だったらやっぱりそういう(低い)ボールは打たないと思うんですけど、真面目じゃない証拠、私らしいなって思います」(伊藤選手)

ミスをするリスクが高いボールでもスマッシュを打ち込む自分を、「真面目じゃない」と表現したのも彼女らしくておもしろい。

また伊藤選手はバックハンドに「表ソフト」と呼ばれるスピード重視で回転がかかりにくいラバーを貼っている。そのラバーを貼ったバックハンドで「チキータ」と呼ばれる強い回転をかけるレシーブを返す。

「表ソフトのラバーだからといって、できないことはない」と話し、回転がかかりにくいラバーで回転をかけるなど、不可能を可能にしてきたのも彼女ならではだ。

独特と言えば伊藤選手のサーブを打つときのフォームは、独特としかいいようがない。

ひじを高く上げたところから打ったり、左手の上に乗せたボールの周りをラケットで半円を描くようにして腕を大きく後ろに引いてから打ったり、ラケットを頭の上から振り下ろして打ったり。

文章だと何のことだかわからないくらい、独特な動きを入れてサーブを打つ。

とにかく相手選手に回転の方向や打つコースなどを読まれないように工夫した結果だが、それについての本人の解説も独特すぎる。

「私のフォームはもともとぐちゃぐちゃという感じなので、みんながやっていないような動きだったり、もっとぐちゃぐちゃにした動きだったりをしたいなと思って。まねしても、なかなかできないんじゃないかなというくらいのサーブをやりたいなと思っている」

母親の美乃りさんの「普通っておもしろくない」を体現するようなプレースタイルで卓球王国・中国から最も警戒され、「大魔王」とも呼ばれる選手に成長していった。

(前編中編の記事はこちらです)

「早くコンビニで振り込みしないと!」

そんな「大魔王」もふだんはおしゃれが大好き。

ここ数年は海外遠征や練習でゆっくりと買い物をする時間もないため、国際大会で優勝するとホテルで「自分へのご褒美をネットショッピングするのが楽しみなんです」とうれしそうに話していた。

意外だったのは彼女の支払い方法がクレジットカードではなく、コンビニ振り込みだったこと。

「きょうの21時までに支払わないといけないんです」と走ってコンビニに向かう姿を見て、とてもほほえましかったのを覚えている。

スポンサー企業がついたり大会で高額な賞金を稼いでいたりしているのに、しっかりした金銭感覚を身につけるためにコンビニ払いにしていた。

「いつか海外に洋服やアクセサリーの買い付けに行きたいんですよ。今は海外に行っても試合会場とホテルの往復しかできないから、時間ができたらゆっくりと自分がいい!と思うものを買い付けしたい」

独自の感性を持つ伊藤選手がどんな洋服やアクセサリーを買い付けするのかも楽しみだ。

金メダルは夢じゃない。打倒中国、本気の挑戦

2018年10月、日本の卓球界で新しい国内リーグの「Tリーグ」が開幕した。

高いレベルの実戦機会が得られるとあってほとんどのトップ選手が参戦する中でも、伊藤選手は「東京オリンピックで金メダルをとるため、限られた時間を強化に専念する」という理由で、リーグ参戦を見送った。

日本卓球界の顔の1人だった伊藤選手に多くの大人たちが説得を試みたが、当時17歳の彼女は決して首を縦に振らなかった。

「私は練習で強くなる」

周りに何を言われても自分の意思を貫き通した。

美乃りさんに小さいころから「自分のことばに責任を持つ」と教えられ、小学4年生の時に「愛ちゃんを抜かして、上に立ちたい」と話して最年少の勝利記録を更新した時から、「有言実行」を果たしてきた。

そして「東京オリンピックで金メダル」も必ず実現させると、卓球にすべてをかけていた。

その決意をかいま見たのが海外遠征中の練習風景だった。

トップアスリートの練習を一日中取材できる機会はめったにないが、国際大会の練習場はメディアも入ることができる貴重な取材の場だ。

私も2017年から新型コロナの影響で国際大会が中止になる2020年3月まで、数々の国際大会を現地で取材した。

ワールドツアーと呼ばれる卓球の国際大会の多くは、木曜から日曜にかけて試合が行われる。

伊藤選手は日曜か月曜には現地に入り、2日間か3日間、試合会場に併設された練習場で調整する。多くの選手は午前中に練習したあと、昼食を取るためにホテルに帰って休憩をとったあと、会場に戻って練習する。

しかし伊藤選手だけは午前中に会場に来ると一度もホテルに戻らず、ずっと練習を続けた。多い時は50人以上いる練習場に昼食の時間帯は伊藤選手だけ、ということもあった。

ホテルを往復する時間すら惜しみ、昼食も練習場の隅でおにぎりをパパッと食べてすぐに練習に戻る。

プレーとプレーの合間に立ったままおにぎりを一口か二口食べて、そのまま練習を続けていたこともあった。

試合で負けたあと、練習場で懸命に課題の修正に取り組む姿を何度も目にしてきた。大会の最終日には、運営スタッフがそろそろ卓球台を撤収したいと申し出るまで練習を続けたこともあった。

「東京オリンピックのあとのことは考えていない」

いつもそう話していたが、20歳で迎える東京オリンピックで目標を達成したら卓球をやめるつもりではないか。そう感じさせるほどの気迫だった。

銅メダルでは喜べない

コロナ禍で史上初の一年延期のあと、ついに始まった東京オリンピック。

「出場する3種目すべてで金メダルをとる」

強い決意の一方で伊藤選手は驚くほど自然体だった。

練習場では笑顔も見えてリラックスした様子だったし、コートへの入場を待つ「ファイナルコールエリア」と呼ばれる試合直前の待機場所で、美乃りさんが作ったおにぎりをパクパク食べる姿にも驚かされた。大舞台でもマイペースに試合に臨むことができるのも、伊藤選手の強さなのだ。

7月26日。伊藤選手は水谷隼選手とペアを組んだ混合ダブルスの決勝で、中国ペアにフルゲームの末に競り勝ち、日本卓球界初の金メダルを獲得した。私にも家族や友人などから30件以上も「おめでとう」「感動した」というLINEが届いた。

表彰式のあと記者会見が終わったのが夜中の12時。そのあとドーピング検査もあり、伊藤選手が寝たのは朝の4時すぎ。睡眠時間3時間ほどでシングルスの初戦を迎えることになったが「これだけたくさん練習してきて、体力には自信がある」と危なげない試合運びで順当に勝ち上がった。

しかし準決勝では同じ20歳で互いにライバルと認め合う中国の孫穎莎選手にまさかのストレート負け。目標にしてきた金メダルに届かず、かなり落ち込んでいた。

銅メダルをかけた3位決定戦まで7時間。金メダルだけを目指してきた伊藤選手が気持ちを立て直すことができるのか。

私自身も不安な気持ちで3位決定戦を迎えたが、それは取り越し苦労だった。

3位決定戦のスコアが書かれた私の取材ノート)

しっかりとポイントを重ねていくなかで、私は彼女が勝った瞬間にどんな表情を見せるのかに注目していた。

多くの選手と同じように笑顔を見せるのか。

銅メダルでは満足できず悔しそうな表情を見せるのか。

この種目で日本選手初のメダルを獲得した瞬間、彼女には笑顔もガッツポーズもなかった。シングルスの初戦を勝利した時と同じくらい、淡々とベンチに引き上げていった。

「えがおなし」)

試合直後のインタビューでは涙をこぼした。

それが喜びの涙でないことはすぐに分かった。

インタビューのなかで私からこう尋ねた。

「勝って泣くのは、伊藤選手らしいですね」

本気でシングルスの金メダルを目指し、強い覚悟ですべてをかけて挑んできた姿を見てきたからこそ出てきたことばだった。

伊藤選手は止まらない涙を拭いながら答えてくれた。

「完全に悔し涙です。最後に勝つことができてよかったんですけど、正直勝った瞬間も準決勝のことがよみがえってきて。すごくたくさん練習してきて、私の中では一番練習してきた選手だと思っているので、自信を持ってこの大会に臨めて。でも準決勝では中国選手に全然歯が立たなくて、そこがすごく悔しい」

銅メダルで悔しくて泣く、ブレない姿をここでも目の当たりにして「これこそ伊藤美誠だ」と強く感じたインタビューだった。

これからの伊藤選手へ

東京オリンピックが終わって2か月が経った10月上旬。久しぶりに伊藤選手にインタビューをさせてもらえることになった。

「東京オリンピックのあとのことは考えていない」と話していたので、モチベーションの維持に苦労しているのではないかと心配していたが、インタビューの部屋に現れた伊藤選手の充実した表情を見て、それが全くの的外れだったと分かった。

「今、練習も本当に楽しいですし、世界選手権のために頑張ることができているのが、すごく幸せ。オリンピックの時よりも強い自分がいるので、世界選手権で自分自身がどんな卓球をするのか、どんな試合をするのか、どれだけ大人になっているのか、楽しみ」

伊藤選手は東京オリンピックでの試合が終わった後すぐに「11月にアメリカで行われる世界選手権で優勝する」という次の目標を立てていた。東京オリンピックでは果たせなかった「中国選手に勝ちたい」という強い思いが伊藤選手を突き動かした。

やはり根っからの負けず嫌いだなと感じたし、オリンピックが終わっても変わらない姿にどこかほっとした気持ちにもなった。

ただ一つ、オリンピックに対する思いはこれまでと違った。東京オリンピックは小学6年生の時に「金メダル」という目標を立て、それに向かって9年という長い年月をかけて走り続けてきた。しかし伊藤選手は、現時点で3年後のパリオリンピックでの目標は立てていない。

「パリオリンピックを見据えるというよりは、目の前をもっともっと大事にしたい。今はパリオリンピックよりも世界選手権が目標」

東京オリンピックにすべてをかけてきた強い思いや、自分を限界まで追い込む姿を知っているからこそ、私も簡単に「パリオリンピックを目指して頑張って」とは言えない。

伊藤選手が再びオリンピックの舞台に立つ姿を見たい気持ちはあるが、今は先の目標ではなく、目の前にある大会で一つ一つ目標を立ててそれをクリアしていくことで、前に進んでいくんだろうなと思っている。

あのクリスマスイブの出会いからもうすぐ11年。1人の選手を10年以上も継続して取材できる記者はNHKにはなかなかいないが、最初に卓球を担当した時に最年少記録を作ったのが伊藤選手だったこと、異動先が伊藤選手の練習拠点の大阪だったことなど偶然も重なり、充実した時間を過ごすことができた。

その間、20歳ほども年下の伊藤選手から「自分のことばに責任を持つ」とか「どんな時もブレない意思の強さ」とかたくさんの刺激をもらい、インタビューで向き合ったときに恥ずかしくない自分でありたいと常に思わせてくれる存在だった。

「普通っておもしろくない」を地で行く伊藤選手がこれからどんな道を切り開き、歩んでいくのか、楽しみでしかたがない。

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吉本有里 スポーツニュース部

2005年入局。初任地は徳島局。徳島の温かい人たちに囲まれて充実した5年間を過ごす。スポーツニュース部に異動し、2012年のロンドン五輪では、卓球女子団体の銀メダルや体操の内村航平選手の個人総合金メダルなどを現地で取材。その後は広報部で3年間、取材される側を経験し、取材を受ける人たちの気持ちも学ぶ。2015年に記者に復帰。大阪局ではフィギュアスケートなどを担当し、2018年のピョンチャン五輪を現地で取材。2018年7月から現在の部署に所属。ストレス発散はおいしいお酒とおいしいご飯。

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