1. トップ
  2. 一番きつかったのは16歳のとき。伊藤美誠はどう乗り越え「普通じゃない」プレーと強さを身につけたのか

一番きつかったのは16歳のとき。伊藤美誠はどう乗り越え「普通じゃない」プレーと強さを身につけたのか

「一番怖いのは母でした」って言ってもらいたい

伊藤選手の活躍を支えているのが、通称「チーム美誠」と呼ばれる人たちだ。中でも小さいころに「訓練」と称した練習を課していた母親の美乃りさんについて、私がとても印象に残っていることばがある。

「普通っておもしろくない」

おととし伊藤選手と美乃りさんが食事をしている様子を取材させてもらった時、会話の中で何気なく美乃りさんが発したこのことばに、私は「なるほど!」と妙に納得した。

練習を「訓練」と呼ぶこと。

幼い子どもに毎日7時間の猛特訓をさせること。

練習でうまくいかなくて泣きだす娘に「あんたが泣いても私はなんとも思わない。自分で立ち直って」と言い放つこと。

どれもこれも普通じゃない。

その「普通じゃない」に込めた思いについて、美乃りさんはこう語ってくれた。

「あの監督怖いなとか、あのコーチ怖いなって萎縮してしまったり、言われたことに対してこっちでもはい、あっちでもはいって言ったりして、私の意見ってなんだろっていうふうになってしまうと本物のアスリートにはなれないと思っていたんです」

「監督やコーチが言ったことでも、これは自分には必要ないと思ったら、一応話は聞いて、はいと言ったとしても、実行しないとか、意見があるなら、自分の意見を言える、そういうアスリートになってほしかった。そうじゃなければ、絶対世界チャンピオンにはなれないと思ったので」

「これから出会う世界中のいろんな方の中で『一番怖いのは母でした』って言ってもらえたら、私は間違っていなかったなって思います。そういう教育をしてきました」

確かに2016年のインタビューで伊藤選手は語っていた。

「お母さんがすごい怖かったから、何かが怖いっていうのは感じなくなりました」って。

厳しい「訓練」を通して伊藤選手が感じ、理解していたのはこの母親の信念だったのだと思う。だからあれだけ厳しくされても母のことも卓球のことも嫌いにならず、「普通じゃない」突き抜けた強さを身につけることができたのだと思った。

(前編の記事はこちらです

母のおにぎりと、ペットボトルの似顔絵

こんなふうに書くと美乃りさんを怖いだけの人だと感じるかもしれないが、そんなことはない。

伊藤選手の中学進学とともに、それまでの「コーチ」から「マネージャー」的な役割に変わっていた美乃りさんが、同行する海外遠征に必ず持って行ったのが炊飯器だ。

お米が大好きな伊藤選手は、練習の合間や試合直前にもよくおにぎりを食べる。このおにぎりを美乃りさんがホテルの部屋で握っている様子を何度も取材させてもらった。ちなみに伊藤選手が好きな具は「しそ」だそうだ。

ある時、試合前に美乃りさんがペットボトルに何かを書いていた。

「おでこが広く、まゆげが太いので」と言いながら、ふたの部分に書いていたのは、伊藤選手の似顔絵。

緊迫した試合中にドリンクを飲む時、少しでも気持ちが和めばという親心からだった。

伊藤選手が試合でうまくいかなくてイライラした時には、聞き役に徹していた。

誰よりも伊藤選手の性格を理解し、寄り添い続けてきた美乃りさんの存在の大きさを、私も取材の中で何度も感じていた。

「一番きつかった時期」の母との対話

順調にキャリアを積み重ねていったように見える伊藤選手だが、リオデジャネイロオリンピックの翌年は、本人が「一番きつかった」と振り返るように人知れず苦しい時期を過ごしていた。

リオのオリンピックでは補欠だった同い年の平野美宇選手が、中国のトップ選手を連続して破りアジア選手権で優勝するなど脚光を浴びる中で、伊藤選手は早々に敗れる試合が続いていた。

世界ランキングも石川佳純選手、平野選手に次ぐ日本選手3番目。今でこそ国際大会の出国や帰国の時には空港で多くのマスコミに囲まれるが、そのころは私を含めて2、3人しかいないという時もあった。

この時期、「聞かれたら嫌だろうな」と思いつつも記者として聞かなければならないと覚悟を決めて聞いた質問がある。

「幼いころから同い年のライバルとして競ってきた平野選手の活躍に悔しさはないですか?」

当時16歳だった伊藤選手は嫌な顔を全く見せることなく、大人な対応を見せた。

「あんまりないです。尊敬するというかすごいなって。自分を勇気づけてくれるし、切磋琢磨してお互い頑張っていけたらと思う」

伊藤選手がこの時、本当は心の中でどう思っていたのかは分からない。

ただ練習試合でも勝って終わらないと気が済まず、「あと1本」と相手に頼み込んで試合を続けようとする姿を何度も見て来たから、伊藤選手が誰より負けず嫌いなことは知っていた。だから彼女が「悔しい」と思っていないことは絶対ない、それを口にしないのも負けん気の強さの表れだと感じていた。

そしてこの時期に美乃りさんは、思うような結果を残せない伊藤選手を冷静に見ていた。

「リオのオリンピック前は、自分を追い込むのではなくて相手を困らせる、相手を追い込むための練習が多かったんです。でも相手に研究されれば当然、自分が追い込まれる。追い込まれた時に自分のペースに持って行くには、練習で自分を追い込むしかない。小さいころ、本当に異常な『訓練』をする私についてきたあのころの練習を、今度は自分から覚悟を持ってできるようになった時に、本物のメダリストになるのかなって思います」(美乃りさん)

面と向かって言うと反発する娘の性格を熟知している美乃りさんは、タイミングを見計らってLINEで少しずつ伝えていったそうだ。

基本的に”既読スルー”だったようだが、伊藤選手も

「(自分にも)少し甘いところがあったりするので、『そういう自分を変えればもっと上に行けるんじゃない』って(母などに)言われて、変えられるところは変えてみようかな」

と意識を改め、練習内容を大幅に見直した。

試合形式が多かった練習の中に、フットワークを使いながら2分間休みなくただひたすら打ち続けるといった基礎的な内容も多く取り入れ、フィジカル面を強化していった。

「教えない、手伝う」コーチが独創的なプレーを伸ばす

「チーム美誠」の重要なポジションを占めるもう1人が、美乃りさんに代わって中学生の時から専属コーチを務める松﨑太佑さんだ。伊藤選手が小学生のころに所属していた静岡県磐田市のスポーツ少年団でコーチをしていた。

(松﨑コーチと伊藤選手)

「小っちゃい子が楽しそうにやってるな」ぐらいの印象だった伊藤選手がめきめき頭角を現し、中学に進学して練習拠点を静岡から大阪に移した時、勤めていた会社を辞めて専属コーチになった。

トップ選手のコーチとしては珍しく、選手としての実績はほとんどない。

しかし伊藤選手が「松﨑コーチより卓球が好きな人がいるのかなというぐらい、異常なほど、卓球が大好きなんですよ」と話すほど、卓球への情熱はハンパない。

伊藤選手の試合の直前まで対戦相手の試合映像を見て、細かく分析する。睡眠時間が1、2時間で試合に臨むこともあるそうだ。

気になった点をノートに書き出して試合前の練習で伊藤選手に渡すが、渡すだけで、「ああしろ、こうしろ」とは言わない。

寝る間を惜しんで分析しても、自分の考えを押しつけることはしない。それは何事も自分で考えて決めたい伊藤選手の性格を熟知しているからだ。

松﨑コーチは自分の役割についてこう話す。

「何かを教えるというよりも手伝うというか、美誠が1人じゃできない部分を協力するっていう部分が一番ですね」

練習中も伊藤選手からアドバイスを求められなければ黙って見守り、気付いたことを短いことばで伝えるだけ。こうした松﨑コーチの指導スタイルが、「独創的」と言われる伊藤選手の強さを伸ばしたのだと思う。

「このままでは終われない!」

伊藤選手はコーチや母親から言われたことも、自分が納得しなければ行動には決して移さない。リオのオリンピックのあと、それまで積み上げてきた練習内容を変えるのは勇気がいることだったと思うが、このタイミングで周りの助言も聞きつつ、最後は自分で変える決断をした背景には、「このままでは終われない」という強い決意があった。

内容だけでなく練習に取り組む姿勢が大きく変わったのもこのころだった。

それまでは練習中、プレーの合間合間におしゃべりが長くなってなかなか次の練習が始まらないということがあったが、高い集中力で長時間、同じ練習に黙々と取り組むようになっていた。

成果は着実に表れた。翌年の2018年には全日本選手権でシングルスを含む3冠を達成、国際大会でも中国のトップ選手に勝利。

これが伊藤選手のさらなるやる気につながり、東京オリンピックに向けた練習はますます熱をおびていった。

※※※※※※※※※※

続きの記事はこちらでご覧いただけます。

吉本有里 スポーツニュース部

2005年入局。初任地は徳島局。徳島の温かい人たちに囲まれて充実した5年間を過ごす。スポーツニュース部に異動し、2012年のロンドン五輪では、卓球女子団体の銀メダルや体操の内村航平選手の個人総合金メダルなどを現地で取材。その後は広報部で3年間、取材される側を経験し、取材を受ける人たちの気持ちも学ぶ。2015年に記者に復帰。大阪局ではフィギュアスケートなどを担当し、2018年のピョンチャン五輪を現地で取材。2018年7月から現在の部署に所属。ストレス発散はおいしいお酒とおいしいご飯。

吉本記者がこれまで担当した番組や記事はこちらです。

「伊藤美誠 再生の旅」スペシャル - NHK

東京五輪で金メダルを目指す卓球の伊藤美誠。五輪延期で目標を見失うなか、自らを取り戻す為に行ったコロナ禍での異例の中国への長

伊藤美誠と孫穎莎|2人のライバル物語

卓球の世界トップで競い合う日本の伊藤美誠と中国の孫穎莎。2人がオリンピックという最高峰の舞台で戦い、共に表彰台に上がった。

東京へのキーワード"無敗の女" 卓球 伊藤美誠

東京オリンピックの卓球女子シングルスは2名が出場できます。内定に最も近いのが世界ランキングで日本人女子トップの伊藤美誠選手

トップページに戻る