放送史

調査研究ノート

文学者達が論じたラジオ・テレビ

~草創期の放送 その可能性はどう語られていたか~

大岡昇平、野間宏、井伏鱒二、野上弥生子、安部公房、寺山修司、谷川俊太郎…。これら戦後日本文学を代表する作家や詩人たちが、1960年代半ばまでの一時期、ラジオやテレビについて盛んに発言していたことはあまり知られていない。

彼らは、全盛期を迎えていたラジオ(1925年~)や当時“ニューメディア”だったテレビ(1953年~)が持つ、文学・芸術の表現媒体としての可能性、社会や文化や人間のあり方を変革させ得る潜在力などについて、文学者ならではの感性や想像力をもって様々な角度から論じていた。これらの議論には、今でも注目に値する視点や論点が含まれており、ちょうど同じ時期に成果を出し始めた社会学的な放送研究と並んで、放送が当時どのような媒体として認知され、期待されていたかを窺い知る好材料でもある。

本稿では、文学者達の「放送論」がもっとも活発に展開された1950~60年代半ばを対象に、彼らが放送について何を考え、どう論じていたのかを紹介、検討する。こうした作業は、「放送の世紀」「テレビの時代」などと呼ばれることになった、その後の時代を振り返るうえで有益であるだけでなく、21世紀に入って10年以上が経過してもなお有望な将来像を見出せずにいる放送の今後を考えるうえでも重要な意味を持つはずである。

文学者達による「放送論」の主要な舞台は『放送文化』『CBCレポート』『放送朝日』など放送業界の専門誌であった。彼らが寄稿した原稿は、放送への関わりに応じて幾つかの種類に分かれるが、本稿ではとくに、自らドラマの脚本や制作に関わった体験に基づき表現媒体としての放送の可能性等を論じたもの、文学者として、あるいは一有識者として、放送の役割や社会・文化への影響などを考察したものを中心に扱う。

谷川俊太郎、黒田三郎などの詩人にとって放送は、当時の現代詩が陥っている閉塞性を破り、社会へと接続するために有効なチャンネルであり、彼らは「放送詩劇」などの新しいジャンルを確立しようという模索を行った。

安部公房や寺山修司など前衛的な文学・芸術運動に関わっていた文学者にとっても放送は様々な可能性を持つ媒体であった。彼らは実験的なドラマの脚本などを通じて放送に関わり、またそうした体験を通じて大胆な「放送論」を語っている。

放送の可能性や課題、社会、文化への影響などについての「放送文化論」を展開した文学者も少なくなかった。なかでも佐々木基一はその代表的論客であり、テレビ時代の文化の担い手として、従来とは異なる身体性や価値観を身に付けた「テレビ的人間」が登場するだろうというユニークな議論を展開した。

放送論壇はその後、次第にその性格を変え、放送論壇を支えた専門誌は、放送業界の「情報誌」「広報誌」へと変容していった。だが、放送をとりまく環境が激変し、放送の将来像を描くことが困難になっている現在、放送に関する広範な人々の関心を喚起しながら、開かれた社会的議論の場(=放送論壇)を再び形成することが必要なのではないだろうか。

メディア研究部(メディア史) 米倉 律