放送史

もうひとつの“空中戦”

~『對敵電波戰』と今日的課題について~

第一次世界大戦から第二次世界大戦への流れの中で、世界の列強は海外放送を植民地経営の手段や海外侵略の道具として利用しました。1928年、世界で初めて短波による定時海外放送を始めたのはオランダで、日本ではソ連やフランス、イギリス、ドイツなどに次いで1935年6月1日から当時の日本放送協会が日本語と英語の2ヶ国語で始めました。当時、日本は大東亜共栄圏の名のもと、アジア各地への膨張・侵略政策を推し進め、1941年12月のハワイ真珠湾攻撃に端を発する太平洋戦争へと突き進んでいきました。

その過程で日本の海外放送は2ヶ国語放送から16ヶ国語放送に拡充されていくのですが、日本の敗戦で海外放送に関する記録や書類、放送原稿はほぼ完全に焼却処分され、現在では戦争下に当時の情報局が「指針」として取りまとめた『對敵電波戰』や『海外放送講演集』など若干の史料が残されているだけです。

小論「もうひとつの“空中戦”」では、こうした日本側の史料を分析して、当時海外向けに行われた宣伝放送の内容を紹介するとともに、イギリスBBCで戦時海外放送に携わった作家の故ジョージ・オーウェルの『戦況ニュース解説』との比較を試みました。更に小論執筆に際して新たに目にした大本営陸軍報道部作成の貴重な史料の中の新事実も紹介しています。

戦争の世紀と言われた20世紀を「テロとの戦争」という形で21世紀に引き継いだ今、有事法制に見られるように武力攻撃(戦争)と放送との関係が改めて問われようとしています。我が国に対する「武力攻撃事態(等)」を回避するために海外放送(国際放送)は何をすべきなのか、放送事業者に課せられた課題について考えてみたいというのが本小論のねらいです。

放送文化研究所 岡本 卓