メディアフォーカス

独ZDF,設立50周年

ドイツの公共放送である第2ドイツテレビ(Zweites Deutsches Fernsehen/ZDF)が6月6日,設立50周年を迎えた。この日シェヒターZDF会長は,「50年前,世界の模範となるような,ドイツの多様で活発な放送体制の基礎が築かれた」と述べた。

ZDFは,1950年代末の西ドイツのメディア政策をめぐる政争の末に誕生した。

当時,ドイツのテレビ放送は,各州に基盤をおくARD(ドイツ公共放送連盟)が1チャンネルだけで行っていた。ARDの政府に批判的な報道姿勢にいら立っていた連邦首相アデナウアーは,1960年,連邦政府の影響力を強めるため,第2チャンネルでテレビ放送を行う国営の放送会社を設立した。番組制作は,新聞社が合弁で設立する民間の制作会社が担い,広告放送の収入を財源とする構想だった。

しかし1961年2月,連邦憲法裁判所が,放送政策の権限は連邦ではなく州にあるとする判断(第1次放送判決)を示したため,この「アデナウアー・テレビ」は放送を開始する前に頓挫することになった。代わりに各州首相は1961年6月6日,ARDとは別に,受信料と広告放送を財源とするもう1つの公共テレビ局ZDFを全州共同で設立することで合意した。ZDFは,アデナウアー・テレビの施設や人員を大部分引きつぐ形で,1963年4月に放送を開始した。

ZDFは,「全視聴者に世界の出来事の客観的な展望を与え,特にドイツの現実について包括的なイメージを伝える」ことが任務とされた。また視聴者が番組を選択できるよう,ARDとニュース番組などが重複しない編成が求められた。

ZDFの番組は,全体としてARDよりも保守的で,キリスト教カトリックの価値観を基調としたものとなったが,これは初代会長カール・ホルツアーマー氏の哲学を反映したものだった。1960,70年代を通じて,家族全員で楽しめる大がかりな娯楽番組や慈善番組,映画の国際共同制作への参加などで知名度を高め,国民の生活に浸透していった。

1980年代には,オーストリアとスイスと共にドイツ語圏向け文化チャンネル3satを開始,また独仏共同の欧州文化チャンネルARTEの制作にも加わり,国境を越えてサービスの幅を広げた。1990年代以降は,3つのデジタル専門チャンネルを開設したほか,2006年にはインターネットによるオンデマンド番組配信をいち早く開始するなど,デジタル戦略を積極的に展開してきた。

現在,年間視聴シェアは,RTL,ARDとともに毎年トップ3の座を占めている。職員数は約3,600人。2009年の収入は,受信料と広告収入を合わせて20億4,570万ユーロ(約2,400億円)と,ARDの中で最大の西部ドイツ放送協会(WDR)を上回る規模である。

ドイツの放送界のなかで確固たる地位を占めているZDFであるが,現在,若年層の公共放送離れという,ARDとも共通した問題をかかえている。また2009年11月にZDFの報道局長が,シェヒター会長の意に反し,内部監督機関の政治的な動きによって解任されるという事件が起こり,内部監督機関における政治家の影響力が問題視された。これについて憲法違反の疑いがあるとして連邦憲法裁判所に提訴が行われ,現在審理が行われている。判決は2012年に下るとみられている。

杉内有介