発掘ニュース

No.321

2023.09.01

アニメ/人形劇

プルルくん、50年ぶりにNHKのスタジオ登場!

今回の発掘ニュースはNHKに1本も保存が無い“幻の人形劇”『プルルくん』。1973年4月から3年間に100本以上が放送された教育テレビの番組です。

その『プルルくん』の2つの発見情報を、『ひるまえほっと』(関東甲信越のみの放送)の「発掘!お宝番組」のコーナーでお伝えしました!

◆発見その1 プルルくんの人形が長野県に!

プルルくんたちがいたのは、長野県飯田市の「国際糸操り人形館」。ここにはおよそ3000体もの人形が展示、保存されています。NHKの人形劇番組を始め、数々の人形劇を手がけた竹田人形座が制作したもので、最後の座長で飯田市出身の竹田扇之助さんが寄贈しました。

プルルくんたちを発見したのは、人形館にある空調設備の完備された倉庫。50年間、人形館の外に一歩も出ることなく大切に保管されていました!

そのプルルくんたちが50年ぶりにNHKに戻ってきました!

人形劇『プルルくん』は原案:手塚治虫。主人公の5歳の男の子プルルくんが魔女のお母さんに連れられて南の島に移住。そこでトラの子ダンをはじめ色々な動物たちと友達になり友情や生きる力の大切さを学んでゆくというお話でした。

人形を操ってくれたのは、『プルルくん』で実際に人形を操っていた竹田人形座の鈴木友子さん。当時の放送ではトラの子ダンの担当だったそうです。

小学6年生のころに実家の目の前に竹田座が引っ越してきて、学校から帰ると毎日竹田座の工房の窓から人形作りや稽古をのぞいていたとのこと。そんなに好きだったらと、父親と座長の竹田扇之助さんが話して、ある夏休みに毎日竹田座に行くように言われ、中学3年で正式な団員に。以来、竹田座の人形一筋で来たそうです。

そんな鈴木さんに人形操演の基本を教えてもらいました。

古谷アナ松尾リポーターにうながされて人形操演に挑戦!

古谷アナの第一声は「意外に重さがあるんですね!」ある程度重さがないと人形を扱いづらいのだそうです。文楽をはじめとした伝統芸能に詳しい古谷アナ、上手に手を動かしたり座らせたり…。鈴木さんへの質問は「一番難しい動きは?」

「立たせることなんです。足が浮いてしまったり、ひざが曲がってしまったり。普通に立たせて歩かせることが一番難しいんです。」

◆発見その2 プルルくんが動く映像を見つけた!

2つ目の発見はこちらのビデオテープ。飯田市の人形館で保管されていた2分の1オープンリールのビデオテープに、『プルルくん』の本編ではありませんが“ある番組”が録画されていました。それが…

1974年放送の小学2年生向け社会科番組「はたらくおじさん」です。おなじみのテーマ音楽でおぼえている皆さんも多いかと思います。

この回では竹田人形座や人形作者の竹田喜之助さんの仕事を追いかけて、人形劇のできあがるまでをわかりやすく紹介しています。ここに、プルルくんの稽古風景が記録されていました!

ありました!プルルくんの動く映像!番組ではNHKで収録をするところまで追いかけています。

操っているのは2mくらいある高い場所、足元もかなり狭い板の上。スタジオでの収録には若き日の鈴木さんの姿もありました。

「ちょうどこのスタジオのライトがつってあるところくらいから操っていました。危ないですよね~(笑)落ちそうになったことはあるんですが、落ちたことはないです。」

古谷アナ「人形は2~3メートル下にあるのに、どうして細かい動きがつけられる?」
鈴木さん「もう感覚ですね。自然と人形の重みが手に伝わってきて、今どういう動きをしているのかが分かってくるようになるんです。…当時は毎週1本、1週間ってあっという間で収録に追われていましたね。おけいこして収録して、その間に人形を作って。」

今回、もうひとつ映像が発掘されました。そこには人形操演を極める秘けつが記録されていました。今から52年前、当時の竹田座団員のトレーニングの様子を記録した「カメラリポート」という番組です。

基礎は人形を歩かせること、これを徹底的に覚えます。また団員たちは、人形の動きを極めるために様々な稽古をしていました…

ラテンのリズムの練習では、人形を操る自分自身がリズム感を養います。さらに、バレエや日本舞踊の基礎練習も!人形使いは人形と同じ動きができなくてはいけないということで、当時、若い団員たちは、さまざまなお稽古ごとを学んでいました。

「浅く広くですけれども、それが人形を操ることにとても重要だったのだと思います。間の取り方というのが大事で、そうしたこともいろいろなお稽古ごとで学んだと思います。決してそれ自体は上手ではなかったと思います、極めてはいませんでした。でも日舞などをやっていると間の取り方が分かるようになるんです。」

さて、プルルくんの生みの親でもある人形作家の竹田喜之助さんはちょっと変わった経歴の持ち主です…
1923(大正12)年、現在の岡山県(瀬戸内市)で生まれ、太平洋戦争中に東京大学でも難関の航空工学科で学びます。在学中に糸あやつり人形劇に出会い、この道に入り、亡くなるまで2600体の人形を制作しました。これらの人形は喜之助人形と呼ばれ、世界的にも高い評価を得ました。プルルくんもその一つです。

「喜之助さんはとても繊細な方で、優しくて。陰でものすごくご苦労なさったと思うんです。彼がすべて人形制作をやっていましたので、もちろん私たちも手伝いましたが。彼が作る人形はとても使いやすくて、緻密に計算されているんです。例えば足ひとつにしても、人間の足は外側と内側では太さが少し違います。人形で例えると本当に1ミリとか0.5ミリとか微妙なのですがきちんと計算されているのでバランスよく、だれが使っても扱える人形です。」

「ボクたちの番組を始め、NHKの古い番組を録画したテープなどをお持ちでしたら是非ともNHK番組発掘プロジェクトまでご連絡ください。ホームページ、または、お電話でお願いいたします!情報、お待ちしていまーす。」

そしてプルルくんの人形は、来年3月まで埼玉・川口のNHKアーカイブス、シアターラウンジで展示されています。是非、会いに来てくださいね~!

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