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県南ってどこ?

  • 2023年02月27日

「県南ってどこですか?」
県外から三沢市に移り住んで8年になるというオサムさんからの質問です。

「県南を調べてもはっきり定義されているものが見当たりません。横浜町や六ヶ所村まで県南と言われてもピンときません。そもそも誰が言いだしたのか謎です」というものです。

この質問に、NHK三沢支局勤務歴4年目となる私(記者=浅井)も、具体的なエリアは答えられませんでした・・・。

ボーっと生きてきた訳ではないですが、県南がどことも知らず、「何となくこのあたりかなぁ」と思いながら、県南にあると思われる三沢市の市民として生活してきました・・・。

確かに使われることもある県南。
知ってるようで知らない県南という地域。
そこはどこなのか・・・。
まずは地元の人たちがどのように捉えているのか取材を開始しました。

まずは、三沢市で聞いてみました。

私(記者:浅井)「県南はどこですか?」
女性「野辺地から下・・・?」

私(記者:浅井)「県南はよく使う?」
男性「よく使います。八戸、三沢、十和田、三戸郡、東北町とか」
私(記者:浅井)「六ヶ所村は?」
男性「どうなんでしょう。そのあたりは微妙ですね・・・」

三沢市で話を聞いた人の意見を総合すると、いわゆる三八上北地域のあたりと考えているようです。

八戸市でも話を聞きました。

私(記者:浅井)「県南って使います?」
男性「あまり使わないですね」

女性「自分ではあまり使わないです」
私(記者:浅井)「どういう人が使う?」
女性「アナウンサーの方がよく使うのかなって・・」

どうもいい答えがでてきません。
八戸ではあまり使わないようです。
アナウンサーの方がよく使うということで、八戸市出身の北向アナウンサーにも聞いてきましたが・・・・

私(記者:浅井)

「アナウンサーが使っているイメージがあるという街の声があったのですが・・・」。

北向アナウンサー

「普通に使います。県南で何かがあったとか。県南といえば八戸などが、ぱっと浮かぶと思いますよ。でも、『県南は正確にどこですか』と言われると、ちょっとうまくいえないかもしれない・・」。

うーん、ここでも判然としません。
県南は、いろいろな人の話を総合すると、北の境はどうも野辺地町や六ヶ所村、それに横浜町あたりにありそうです。南の境は、人によっては岩手県の県境でした。

さて、ここで県庁に聞いてみると・・・。
県南という名称は基本的には使っておらず、決まった定義はないとしています。

一方、県警本部は、事件や事故などを報道発表するときにも、県南という名称を使う場合があります。実際にNHK青森の原稿を確認してみると、確かに警察関係の原稿でよく使われていました。それはどこを指すのか聞いてみますと「三八上北地域を指す」という回答です。

なかなか、答えにたどり着けないため、一度歴史的な経緯から紐解いてみることにしました。
話を伺ったのは、三沢市立歴史民俗資料館でおよそ20年間アドバイザーを務める川村正さんです。川村さんは、青森県史の編纂などにも携わってきた、青森の歴史に関するエキスパートです。

私(記者:浅井)

「誰が県南と言い始めたんですか?」

川村正さん

「誰が最初に言い始めたのか・・。これは面白い質問ですね。私は青森県庁ができたときの役人。あるいは弘前地域の学校の先生や元の侍たちが作ったと思われます」。

明治の初め、廃藩置県などを経て主に弘前藩、黒石藩、八戸藩、七戸藩、そして斗南藩が治めていた地域が最終的に青森県になりました。

川村さんは、当時、県庁所在地をいまの青森市にした際、青森市に住む人から見て東側、つまり、江戸時代の長い期間、旧南部領だった地域を指して、県南ということばができたのではないかと考えています。

訪れたのは平内町と野辺地町の境界付近にある藩境塚と呼ばれる場所です。
昔の津軽領と南部領の境界を示しています。
青森県が誕生したことで、2つの地域の往来が盛んになり、津軽地方の人たちが自然と県南ということばを使いはじめた可能性があるといいます。

川村正さん

「青森市など津軽地域から出張で八戸や十和田、三沢に行く場合、『県南に行く』ということばを自然に使い、広く伝わった。一般的な用語として今でも綿綿と生きていると考えられます」。

また、八戸市の人たちが、自分たちの地域を指すとき、あまり県南とはいわない理由については、次のように指摘しました。

川村正さん

「どちらかというと津軽の人たちが、旧南部領に来る時、その地域を指して県南ということばで使われたので、八戸やその周辺に住む人たちはあまり使わなかったと思われます」。

つまり川村さんの説によると、津軽側から見て、県東部のあたりのエリアを『県南』と呼ぶようになったというのです。
その、『南(なん)』の部分は旧南部領に由来しているといいます。
そして津軽側から見てできた言葉だからこそ八戸の人たちなど、いわゆる県南に住む人たちは、ピンとこないし、あまりその言葉を使わないということです。

今回のまとめです。
「県南」の範囲は、地域の人たちへの取材や県警察本部の対応などから、今では、だいたい「三八上北」の当たりを指すようだということ。
歴史的経緯から県南の「南」は方角の南ではなくて、旧南部藩に由来するとの話を聞くことができました。

知っているようで知らない県南。
あくまで説の1つですけれども旧津軽領と旧南部領という2つのいわば「国」が合わさり青森ができたという複雑な歴史的プロセスが関わってる点は、非常に興味深いと感じました。

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