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熱量が、大切

  • 2022年4月1日
 

教員か、アナウンサーか

教員になりたいという目標を漠然と抱いていた学生時代。『人に何かを伝える仕事がしたい』という思いが根底にあり、より専門性を高めるため大学院に進学しました。
ただ、大学4年生のときに試しに受けたアナウンサー試験で、面接官から聞いた話がずっと頭の片隅にありました。民放の3社を受けて結果的にはどこともご縁がありませんでしたが、どの面接でも「アナウンサーは1日として同じ日がない。常に新しい出会いや発見がある」と聞き、とても魅力的な仕事だなと感じたのです。
教員もアナウンサーも『人に伝える』という点では共通しているところがあると思います。そこで、大学院生のときにもう一度チャレンジしました。

心を動かされたことば

民放もNHKも受けましたが、面接が進んでいくにつれ、NHKに入りたい気持ちが強くなりました。「アナウンサーになったら災害報道に向き合いたい」。その思いを最も真摯に、長い時間をかけて聞いてくれたからです。

アナウンサーを目指すようになったきっかけのひとつに、2016年に起きた熊本地震での武田真一アナウンサーのことばがあります。「被災地のみなさん、そして私と同じように、ふるさとの人たちを思っている全国のみなさん。不安だと思いますけれども、力を合わせて、この夜を乗り切りましょう。この災害を乗り越えましょう」という、心に寄り添ったことば。それまで「ニュース原稿を読む仕事」と漠然と捉えていたアナウンサー像が、がらりと変わった瞬間でした。時を経て、NHKで働いてから学んだこともあります。それは、災害報道における呼びかけや、気持ちに寄り添ったことばを考え続けてきた歴史があるということ。先輩方が積み上げてきた知見が脈々と受け継がれていて、その模索はいまも続いています。当時の面接官が長い時間をかけて話を聞いてくれたのも、そうした「文化」が根付いているからなのかもしれません。

<初任地・岡山局時代>先輩の豊原アナと塩田アナ
西日本豪雨以降、城に住みついたといわれる猫と(岡山県高梁市)

まずは、姿勢から

就職活動をしていたときは不安でいっぱいでした。面接会場の待合室には、ミスターコンテストの優勝者や海外でのインターンシップ経験者などがたくさん。誰もがきらびやかに見えて、どんどん自信がなくなっていったのを覚えています。一方、私が話せることは剣道と社交ダンスに打ち込んだことくらい。正直、「いまさら、背伸びをしても仕方がない」と腹をくくるしかなかったのです。
その中、面接で心掛けたのは、背筋をピン!と伸ばし、堂々と話すこと。小手先のことと思われるかもしれませんが、面接でも意識して背筋を伸ばしていると、なんとなく自信が出てくるし、緊張もほぐれるような気がしたのです。思い返すと、社交ダンスの大会で結果が出ないときは緊張してこわばり、前かがみになっているとき。よく先輩から「背筋を伸ばせ!」と言われていたことが、頭の片隅に残っていました。面接では姿勢をほめてくださる方もいて、そこから会話が生まれて「社交ダンスと剣道をやっていましたので」と自分の得意分野をアピールすることもできました。

<大学時代> 社交ダンスの大会

熱量をもって語れるか

就職活動では、とことん自分を見つめ直しました。自分は何が好きなのか?どんな人間なのか?そういうことを再確認する機会だったと改めて感じます。
たとえば、私は昔からお笑い番組が大好きです。最初はこのことが自分のアピールポインになるとは思っていませんでした。しかし、自分を見つめ直す中で、もしかすると「お笑いが好き」というのは自分の個性であり強みではないかと考えるようになりました。
ある面接では、面接官とお笑い番組について意気投合。好きなお笑い芸人の魅力について、コントや漫才の構成、劇場に足しげく通ったことなどを話しました。好きなことは、情熱をもって話すことができます。大事なのは、何に興味をもっているかではなく、どれだけそのことについて熱量をもって語ることができるか、だと思います。

<初任地・岡山局時代> “お笑い”好きをスタジオでも

伝えるときは、より深く

今回、面接を担当する機会がありました。学生時代とは逆の立場になって改めて感じたのは、「具体的なエピソードにこそ、その人の魅力があらわれる」ということです。
抽象的な話よりも、具体的なエピソードを交えながら話してくれる人のほうが魅力的ですし、もっとその人のことを知りたくなります。
ぜひ、等身大の自分で、これまで情熱を燃やしてきたことを生き生きと伝えてみてください。充実した就職活動になることを、心から願っています!

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