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新世紀はアジア映画の世紀である Asian Films Get Its Turn in the New Century
草壁久四郎(映画評論家/'99 アドバイザー) |
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待望の第3回NHK・アジア・フィルム・フェスティバルの幕開けである。こんどはどんな新しいアジア映画ができるか、胸をどきどきさせながらフェスティバルのオープンのときを待つ、それがいまの正直な気持である。
5年前にこのアジア・フィルム・フェスティバルという新しい機構がスタートするとき、関係者の一人として、その成果について大きな期待と同時にいささかの不安がないわけではなかった。それがフタをあけてみると予期以上の成果だった。ベトナムの『ニャム』はじめ第1回のフェスティバルに登場した4本の作品はいずれも清新でユニークな、そして100パーセント純粋種のアジア映画であった。
そして第2回にはウズベキスタンというアジア映画としてはニューフェイスも加わって、第1回にひけをとらない成果をあげることができた。そしていよいよ第3回の開幕である。これで日本をはじめアジア13カ国の映画が顔を揃えることになるわけだが、いまやこのNHKアジア・フィルム・フェスティバルに対するアジア各国の期待は大きい。それだけでなく世界の映画界からのつよい注目をあつめていることも事実である。
前回のフェスティバルのオープニングの挨拶のなかで、私は“新しい世紀はアジア映画の世紀となるだろう”という意味のことを述べた記憶があるが、2年後の現在ではそれはすでに既成事実になりつつあるといえる。そこで私は「アジア映画が世界映画の主流となるであろう新世紀」にアジア映画の連帯が実現することを期待したい。その母胎となるのがNHK・アジア・フィルム・フェスティバルである。すでに実質的にはその役割を果たしつつあるこの機構からさらに前進して、アジア・フィルム・ファンデーションともいうべき、アジア映画連帯への基地としてのよりつよい存在となることを、そしてそれが新世紀のはじめに実現することを期待したい。
(草壁久四郎さんは昨年8月ご逝去されました。つつしんでお悔やみ申し上げます。) |
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近しいものの差違 Difference within Similarity
山田太一(脚本家/'99 アドバイザー) |
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アジア映画の面白さの一つは、依然として未知なるものの多さである。
アメリカの家庭の朝食がどのようなものかは、かなりくっきり目に浮かぶが、ベトナムの、あるいはタイの、あるいは中国の朝食は、ぼんやりした焦点しか結べない。
それを映画で見せられると、ただもうそれだけでも楽しい。距離的には近い国々の、そんなディテールがいまだに新鮮だということは、いかにアジア映画に接する機会が、アメリカ映画に比べて少ないかということであるけれど、ただそれだけの理由でもないように思う。アジアの国々との差違は、たとえばスウェーデンやロシアの家庭との差違より、私たちには楽しめるところがある。身近なるものの差違は、細かく味わえるのだ。
外国人には、私の家の夕食と隣家の夕食の差違は、ほとんど感じとれなくても、お互いは、その違いに驚いたりしている。違いを味わいとしてさえ受けとることが出来る。
そのようなところが、アジア映画にはあると思う。
そして、それは同時に、近しいものの安らぎも備えていて、「あ、こういう感傷は、かつての日本人と同じだねぇ」と、なつかしさをかき立てられたりするのだ。無論「いまの日本人と同じだねぇ」という場面 もいくらでもあるのだが、それは正直いってそんなに楽しめない。「かつての日本人」との類似を見て、自分の失ったものに気づくというのも、私にはアジア映画の魅力の一つである。それは、アメリカ映画にはほとんどない、弱さの美しさであり、運命の受容であり、曖昧、感傷、滅私、耐えるものの輝きである。それらを、日本映画もいつの間にか失ってしまっているのに気づくのである。
アジア映画は、いま自分がいる位置を、さまざまに教え、感じさせてくれる。
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アジア映画の未来のために For the Future of Asian Films
高野悦子(岩波ホール総支配人/'99 アドバイザー) |
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黒澤明監督の『羅生門』が、ヴェネチア国際映画祭でグランプリを受賞したのは1951年のことである。ついで1953年のカンヌ国際映画祭で、衣笠貞之助監督の『地獄門』が最高賞のパルムドールを受賞すると、日本映画の世界的名声は一躍高まり、アジアといえば日本映画といわれる時代がつづいた。
70年代に入ると、中国、香港、台湾の若者たちが国際舞台で活躍をはじめ、80年代にはアジアの映画といえば、中国語圏をさすこととなった。しかしよく観察すれば、欧米人の知らないところでアジア映画はいつもがんばってきたのである。韓国、タイ、ベトナム、インドネシアは、それぞれの映画史をもっている。フィリピン映画はまだ娯楽の王者の地位 を保っているし、インド映画は年間製作本数世界一を誇っている。イラン映画の躍進もめざましいものがある。
現在、商業的にはアメリカの一人勝ちという世界の映画界にあって、フランスを中心とするヨーロッパは、政治、経済と共に文化も連合しようとしている。ラテンアメリカ諸国は、共通 のスペイン語を武器に団結している。このような状況の中で、日本はアジアの国々と手をたずさえて、映画のために努力しなければならない時がきた。
1997年、香港がイギリスから中国に返還された。また昨年、韓国は国内での日本映画の上映を解禁した。こうした近隣の国々の変化は日本にも影響する。今、香港では韓国や日本との合作が進み、多国籍のアジアの俳優、スタッフたちの交流も盛んである。幸い、日本でも若い世代の台頭が目立ってきた。
この“アジア・フィルム・フェスティバル”は、モンゴル、ウズベキスタン、マレーシア、スリランカなど、日頃はあまり接することのないアジアの国々の映画もみせてくれる。若い作家たちに資金を提供して、自由に映画を製作してもらう本フェスティバルは、アジア映画の未来にとって、きわめて貴重な存在といえよう。 |
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アジア映画をどう見るか How We Should Define Asian Films
佐藤忠男(映画評論家/'99 アドバイザー) |
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いまアメリカ映画の主流がやたらとモノを壊すことを競うヒーローたちの殆ど悪夢的な活動力で成り立っているとすれば、アジア映画の重要な諸作品の特長は、乏しい生活必需品を大事に大事に扱う普通の人々の生き方の肯定の上に成り立っている。商業的には前者の圧勝だが、文化的には後者こそよほど大切に見守って育ててゆかなければならないものだと私は思う。
アジアの映画で国外で劇場公開される作品はまだあまり多いとは言えないが、すでに世界じゅうどこでも映画祭では、中国、台湾、韓国、イラン、インドなどの芸術の香り豊かな秀作群は欠かせないものとなっており、さらに、モンゴル、ベトナム、インドネシア、タイ、スリランカなども注目されている。それらの国々の映画はこれまで、素朴さといった点で認められることが多かったが、いまやその段階はとうに越えて、みずみずしく高度に洗練された秀作が少なくない。
つい近年まで、世界には映画を作る技術と能力を持つ一部少数の国々と、それを持たないその他大多数の国々とがあると思われていた。10年くらい前までは、私が未知の小国の秀作を紹介すると、よく、それを作ったのはどこの国の人ですか? と問い返されたものである。最近はそう聞き返されることは殆どなくなった。もちろんまだ、撮影は出来ても現像は近くの国に行かないと出来ないという国は少なくないし、技術面では先進国の援助乃至は協力を必要とする国々もある。
しかし、私自身、120ぐらいの国や地域の映画を見ているし、いまや映画を作っていない国を捜すほうが難しいくらいである。
しかし作られた作品が自国の国境を越えて国際的に流通している国となると限られている。私の考えではこの点で世界はいくつかの地域に分類することができる。
ひとつは、そこで作られた映画が、政治的理由で受入れを拒否乃至制限している若干の国を別として世界の殆ど全ての地域で恒常的に見られている国である。これは今日では殆どアメリカ一国である。
第2に、程度の差はあれ、ある程度それに準じている国々がある。ヨーロッパの先進諸国がそうである。アジアでは日本、中国(香港、台湾を含めて)、インド、イラン、韓国、と言いたいところだが、規模から言ったらどうだろうか。
インド映画は中近東から南アジアに市場を持ち、エジプト映画はイスラム圏で人気がある。中南米のいくつかの国々の映画も多少国境を越えて見られている。
しかしあと、世界の大多数の国々は、映像文化的に言うと、殆どなにかロクでもない事件、つまり内戦、暴動、飢餓、災害などが生じたときだけ、先進諸国から臨時にかけつけた報道カメラマンによって撮影されたものが国際的に流されるだけという状態におかれているのである。
映画、とくに劇映画というものは、なにがしか自国あるいは自身の誇りに思える面を拡大して見せる傾向のものであるが、だとすると世界は、美化した自身のイメージを全世界に流通させている国と、多少はそれができる国と、あと、自らが誇らしく感じているところを表現して外国人にも知ってもらうということが殆どできず、ただ、ロクでもないことが起こったときだけ、外国人からジロジロ客観的に観察されるだけという広大な地域とに分けられていると言える。こういう状況から生じる、自分の誇りを外国人にも知ってもらえるかどうかということの格差は非常に大きなものがあり、それは世界が全体としてひとつの村のように密接な間柄になりつつある今日、意外に深刻な不満を増大させることになるのではないか。
われわれはただ、カメラを持って行って世界を観察してくればそれで世界を理解できるのではない。その国の人々が彼ら自身のどういうところを誇らしいと感じ、なにを恥ずかしいと思っているかを知ることが重要なのであり、そのためにはその国の人たちが作った映画を見ることが役に立つと私は思う。
以前には、映画を作ることのできる国はごく限られていると思われていたから、人はあまり、そんなことは考えなかった。しかし世界のたいていの国で映画が作られていることが分かってきたいま、われわれはもっと未知の国で作られている映画を見ることに貪欲であっていいし、潜在的にはその能力はあっても資金や技術が乏しいとか、娯楽作品は作れてもシリアスな作品が作れない場合などには、先進諸国は積極的にそれを援助したほうがいい。現にイギリス、フランス、ドイツ、オーストラリアなどの主として公共テレビがその面で果たしている役割は大きなものがある。
今日の国際理解の促進にはこれは欠かせない仕事だと分かっているからである。そしてもちろん、NHKが続けているNHKアジア・フィルム・フェスティバルはその重要な一環である。 |
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「アジア映画」の異議申し立て Asian Film, Its Original Strength to Defy
小栗康平(映画監督/'99 アドバイザー) |
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先の東京映画祭でロベール・ブレッソンのレトロスペクティブがあった。ブレッソンの特別なスタイルは、ヨーロッパのスタンダードではない。それはただ一人のスタイルであり、ブレッソンはどこまでいってもブレッソンである。しかし見るものは、そこからまぎれもないヨーロッパの精神のかたち、を感受する。
アジアにもそうした映画監督はいた。日本では小津さんがそうであり、溝口さんもそうだった。インドにはサタジット・レイがいた。まだ「アジア映画」と、まとめて呼ばれる前のことだった。
今はどうだろうか。私たちはすぐれた「アジア映画」をたくさん知っている。ヨーロッパは自分たちの映画をとりたててヨーロッパ映画などと呼ばなかったけれど、私たちには「アジア映画」と呼んでみたい理由があったのだ。
しかしだからといって、ブレッソンがヨーロッパでそうであったように、私たちはアジアの精神のかたちを示せただろうか。
アジアにはヨーロッパのように、その世界を束ねる一つの宗教はない。似ているようでいて、私たちはそれぞれに違っている。
違っている分だけ、映画という同じメディアのなかで、文化の融合といってもいいような大きな変化を経験している。揺れ動いている。
問題はその揺れ動きの中身だ。これからかたちをなそうとしているものは、すぐに商業に結びつかないかもしれない。多くの国で映画産業の基盤は決定的に弱いし、「地域としてのアジア映画」はアメリカの影響下にあるのだから。急いては、せっかくの「アジア映画」の異議申し立てを見えなくするだろう。「融合」のじっさいはそう簡単なことではない。
このNHKの取り組みが、自立したアジアの一本一本の映画となっていくために、これからも大いにその力を発揮していただきたい。
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