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NHK ASIAN FILM FESTIVAL NHKアジア・フィルム・フェスティバル
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リトル・チュン Xilu Xiang / Little Cheung リトル・チュン
1999年/香港・日本/カラー/115分

●2000年 ロカルノ国際映画祭準グランプリ・C.I.C.A.E.賞スペシャル・メンション
●2000年 香港電影金像奨7部門ノミネート
【 物 語 】
9歳の少年チュンは学校から帰ると父母が営む食堂を手伝って電話とりから出前まで大活躍。出前先は近所のヤクザ、葬儀屋、売春宿などだ。チュンには優しいおばあちゃんがいるが、家に篭もりっきりで、フィリピン人のアーミが面倒を見ている。実はチュンには年の離れた兄がいるのだが、数年前、地下組織に入ってしまい、父親が追い出してしまったのだ。チュンは同い年の少女ファンと友だちになる。ファンもまた親の手伝いをよくする子で、2人は一緒に店の出前をやって小遣い稼ぎをしたり、ファンの幼い妹を連れて自転車で街を走りまわる。なぜかファンは学校にも行かず、警官の姿に異常に脅える。おばあちゃんから兄の数少ない写真の1枚を借りたチュンは近所の老人に兄のことを知っているか聞きまわる。それを知った父親にチュンは厳しく罰せられ、家出してしまう。居所をファンが告げ口したと思い込んだチュンはしばらくファンを許せずに過ごす。そんなある日、おばあちゃんが亡くなる。チュンが母親以上に慕っていたアーミも去ってしまう。そして、ファンは、不法入国者として中国本土へ強制送還されてしまう。ファンを乗せた車を必死に追いかけるチュンだが、いつのまにか別の車、救急車を追いかけていた……。

【 解 説 】
『リトル・チュン』は香港の下町にある食堂で両親を手伝う9歳の少年、リトル・チュンの目線を通した返還前後の香港が描かれている。出前の配達でチュンは黒社会の住民や娼婦、中国本土からの不法労働者、警察官、葬儀屋など様々な人の生活の一端に触れる。客は時には料金の支払いを渋ったり、ツケを希望したり、払わなかったりとチュンの周囲は決して恵まれた状況にないことが示唆される。はっきりとは明示されないが、チュンの兄ハンも小さな食堂の跡取りに納まるのが嫌で、地下組織に入ったのではないだろうか。
1997年7月1日の返還が近づくに連れて香港では将来に希望が持てず、地下組織に走る若者が増加した。同時に自殺者も増え、それに気づいたフルーツ・チャンは1996年、死に急ぐ若者たちの姿をチャウ、ロン、ペンの3人を通して描いた『メイド・イン・ホンコン』という映画をスタッフ5人という少人数で製作した。完成した作品は主人公の刹那的な生き方が返還を前に揺れる香港人の共感を呼び、1997年の香港を代表する映画となった。翌1998年には返還のため、英国軍をリストラされた中年男性たちが黒社会に落ちていく姿を強烈なブラック・ユーモアで描いた『去年煙花特別多(The Longest Summer)』を発表。『リトル・チュン』は返還三部作の最後を飾る作品となる。各作品は様々な角度から返還を写し、花火大会など時に同じ光景が交差する。しかし、『リトル・チュン』の最後に『メイド〜』のチャウとロンが妊婦姿のペンに仲睦まじく寄り添いながら街角を歩くという、悲劇的な結末を迎えた本編とはまた違う人生が映し出される。
フルーツ・チャンは「100年後の観客にとっても、リアルな記録として見られるような映画作りを目指している」と語り、その姿勢が毎回、プロの俳優ではなく、市井に生きる人々の起用に繋がる。今回も「チュンが見つからないと撮影しません」と断言していたというが、「香港で育った子供たちは多くのものを見すぎていて、大人と同じ目をしている。僕は無垢な瞳の少年が欲しい」とキャスティングは難航した。最終的に下町の路上で泥んこになって遊んでいるユイユエ・ミンを発見したわけだが、彼は中国本土から移住したばかりの少年で、あまり広東語は話せなかったという。香港の子供たちから失われたものへと思いを馳せてしまうエピソードだ。
最後に、食堂の人々が毎日、熱心にテレビを眺め、おばあちゃんが大好きだという俳優ブラザー・チュンこと新馬師曾(サン・マーシーチャン)について。1916年生まれの彼は1936年のデビュー作『美滿因縁』以来、300本近い映画に出演した名優で、香港人に親しまれた。1997年になって病状が悪化したがその際、妻と子供が彼の財産を巡って争い、テレビを騒がせることとなる。努力し、財産を築き、長生きしても、遺産を巡って家族が離散する。その姿は金儲けに邁進してきた香港人に苦い思いを残したに違いない。新馬師曾は返還を見ることなく、4月に逝去したことも加え、香港人に新たな人生観を模索させる一因となったのである。
金 原 由 佳

フルーツ・チャン監督からのメッセージ
1997年の香港の中国への返還に立ち会ったことは私の人生においてとても特別なことであり感情を揺さぶられる出来事であった。私はこの歴史的瞬間から触発された深い感情を表現したいと思った。そうして作ったのが『メイド・イン・ホンコン』だった。この作品で私は香港の若者たちの希望のない世界を通して自分の感情を表した。次作の『去年煙花特別多 The Longest Summer』では、ふたたび新しい社会システムに順応しなくてはならなくなった中年男たちの一群の物語に自分の気持ちを託した。3作目の『リトル・チュン』では、9歳の少年の目を通して時代の変化が香港の家族にどんな影響を与えているかを表したのだ。
Xilu Xiang / Little Cheung
フルーツ・チャン監督

フルーツ・チャン監督
1959年中国広東省海南島生まれ。5歳のときに両親とともに香港に移住。映写技師等、十数種の職業を経て、1980年代に入って映画に辿り着く。ツイ・ハーク、アン・ホイ、イム・ホーらが創設した香港フィルム・カルチャー・センターで脚本、演出などを学ぶ。1982年センチュリー・フィルム・プロダクション入社。助監督をつとめる。1984年ゴールデン・ハーベスト入社。助監督あるいは製作コーディネーターとして活躍。1991年スタッフとして携わっていたトニー・オウ監督の『さよなら・わが愛』が製作延期になったとき、この映画のセットを使って僅かな予算で処女長編映画『大閙廣昌隆(FINAL IN BLOOD)』を撮る。1994年『メイド・イン・ホンコン』の脚本を書き始めると同時に、携わった映画の使い残しフィルムを密かにストックしはじめた。1996年『メイド・イン・ホンコン』の製作開始。1997年『メイド・イン・ホンコン』が完成し、興行的大成功をおさめ、町で見つけて主役に起用したサム・リーが一躍人気者になる。1998年『花火降る夏』が香港にて公開。

スタッフ:
監督/脚本:フルーツ・チャン
製 作:ドリス・ヤン、上田 信(NHK)
製作補:飯野恵子(NHKエンタープライズ21)
撮 影:ラム・ワイ・チェン
美 術:クリス・ウォン
衣 装:ウィリアム・ファン
音 楽:ラム・ワイチェン、チュー・ヘンチョン

キャスト:
チュン:ユイ・ユエミン
ア・ファン:マク・ワイファン
ギンソ:マク・ゲイリー・ライ
ダイ・ワイ:ロビ


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