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NHK ASIAN FILM FESTIVAL NHKアジア・フィルム・フェスティバル
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ADVISER MESSAGE アドバイザーメッセージ
草壁久四郎  『台北ソリチュード』への期待
 High Expectations for Sweet Degeneration

 草壁久四郎
(映画評論家/'97 アドバイザー)
第2回NHKアジア・フィルム・フェスティバルがいよいよ開幕である。最初の企画委員会からまる1年。その間いろんな困難があったことを知っているだけに、4つの作品がどんな仕上りを見せてくれるか、なんだか胸がどきどきという気持である。
アジアの国々から埋もれた才能を発掘して新しいアジア映画を生み出そうというこのプロジェクトは、アジアの映画人たちに大きな反響を呼んだ。それだけにマレーシア、スリランカ、ウズベキスタン、そして台湾と4ヵ国の新しい才能から、どんな作品が生れるか第2回の成果が期待されるわけである。
4つの作品はともにアジア映画ではあっても、それぞれの国のいわばナショナルカラーを色濃く映し出した個性ゆたかな作品ばかりである。その中でもとくに私が興味と関心をもつのは『台北ソリチュード』である。
この数年らいのアジア映画パワーのなかで、中国語圏映画の活躍が目立っているが、とくに最近の台湾映画の伸展ぶりは刮目すべきものがある。ことしの東京国際映画祭ではヤングシネマ、インターナショナルと二つのコンペ部門やシネマプリズム部門で陳玉勲、柯一正、林正盛といった台湾映画の新しい世代の作品が大きな話題となっていた。
その林正盛監督の『青春のつぶやき』に次ぐ新作が『台北ソリチュード』である。林作品の特色はごく平凡な市井の人たちの日常生活を通して、家族、人生、人間の生命といったものをシリアスに追究してゆくというその作家としての姿勢にある。またその映像はきめが細かく、対象となる人間の皮膚の感触と、その息吹を感じさせるような、すぐれて温かいものだ。感性も豊かでアジアの映画作家として稀な資質をもつひとである。シノプシスからシナリオとその出来上りを見守ってきただけに『台北ソリチュード』の完成が期待されるわけである。

(草壁久四郎さんは昨年8月ご逝去されました。つつしんでお悔やみ申し上げます。)
山田太一  敗者の情熱を、肯定に溺れず描ききる
 A Depiction of Noble Failure without Over-Valorization

 山田太一
(脚本家/'97 アドバイザー)
ウ・ウェイ・ビン・ハジサアリ監督には、'94年に『放火犯』という作品がある。それはかつてオランダ植民地時代に独立運動の闘士であり、今はトラック1台に家族を乗せて仕事を求めるゴム農園の季節労働者の物語である。作品は子供が見た父の姿として描かれる。
その父は家族に対しては有無をいわさぬ家長であり、愛情の表現は不器用で孤独で、農園主とは口をきくが使用人とは口をきかないというような屈折したプライドを抱いている。
そのプライドはかつては独立運動の源泉であったはずである。しかし、細かな日常を生きる他はない今では、世渡りの邪魔になってしまう。正義を求める情熱も、屈折して歪み、とどめようもなく放火という表現に追いこまれて行く。
当然、少年の父に対する思いには、憎しみも反撥も悲しみもあるが、通奏低音は共感と哀惜である。
その視点は、新作『闘牛師』のヒーロー、ママットへのものでもある。
しかし作品は、はるかに複雑で重層的で、物語としての魅力を格段に増している。 ママットは闘牛の熟練したトレーナーである。ところが政府は闘牛を禁じてしまう。禁じる根拠は西欧近代主義かと思うと、イスラム原理主義なのである。それにさからってママットはタイへ移住する。そのあたりの国情の差、人々の気持、私には知らないことばかりだった。
ママットのいい分は「闘牛は昔からやって来たことなんだ」というものである。素朴だが浅薄ではない情熱に支えられている。美しい。しかし、敗北は目に見えている。 そのママットを、安物のピストルは一度撃ったら熱くて持っていられないというようなドキドキする細部描写の集積で、肯定に溺れずに描ききった作者に、心から拍手を送りたい。
高野悦子  監督の思い、ひしひしと
 Deeply Touched by the Director's Thoughts

 高野悦子
(岩波ホール総支配人/'97 アドバイザー)
第1回の成功を受けて、第2回アジア・フィルム・フェスティバル'97が開催されることを、私は本当にうれしく思います。それは、製作資金は提供するが、作品内容については作家の自由を尊重する、というこのプロジェクトの主旨を、私が心から支持しているからです。
委員の一人として、私も候補作品のシナリオを拝見しました。しかし、映画がシナリオ通りに出来上がるかどうかは、完成してみなければ判りません。そういう意味で、映画製作は危険を伴うスリリングなものなのです。第1回の4作品がすべて水準以上だったのは、奇跡にも近いことでした。
さて、『I WISH...』は私が期待と不安で待っていた一本です。私には1982年に参加したタシケント国際映画祭で、ウズベキスタンの人々と共に過ごした心地よい日々の思い出があります。それゆえに、ムサーコフ監督が企画書で述べていることがよく解るのです。
彼は映画作りの要素を、ユーモア、リリシズム、俳優のすぐれた演技、魅力的なプロットで、世界のあらゆる民族が理解できること、と言っています。私も全く同感です。しかし、このような人間的な作品は、現在、世界の映画界の中で次第に消えてゆこうとしています。言うは易く行うは難し、とも思えます。
また、心やさしい主人公が“望むこと”は、夢のようなことであり、それが文章で表現されていても、どのように映像化されるのか、心配でもありました。
今、出来たての『I WISH...』をビデオで見て、ほっとしています。日本語字幕はまだついていませんが、それでも監督の思いはひしひしと伝わってきました。これは人間を信じることのできる映画です。観客の皆さまとご一緒に、大きなスクリーンで見られる日を、私は首を長くして待っています。
佐藤忠男  新勢力の台頭いちじるしいアジア映画
 The Rise of a New Generation of Asian Film Directors

 佐藤忠男
(映画評論家/'97 アドバイザー)
一昨年の第1回アジア・フィルム・フェスティバル'95は、国内での好評はもちろんのことであるが、海外での反響が素晴らしいものだった。例えばベトナムのダン・ニャット・ミン監督の『ニャム』は世界の50以上の映画祭に招待されてベトナム映画の存在とその水準の高さを知らせることになったし、一部の国ではテレビ放送や劇場公開もされた。ベトナム映画といってもその存在すら知らない映画ファンが世界には多いのだから、これは画期的なことであった。インドのアドゥール・ゴーパーラクリシュナン監督の『マン・オブ・ザ・ストーリー』は昨年のインドの最優秀映画賞を受賞した。インドというと製作本数では世界最大の映画国なので、彼のような優秀な監督ならどんどん仕事ができそうなものだが、それは大衆娯楽映画のほうのことである。真実追求の芸術映画で、しかもケーララ州のマラヤーラム語映画というようなローカル作品となると、その製作条件の困難さは世界のインデペンデント系の映画人たちの悪戦苦闘ぶりと変わりはない。だから彼はNHKの出資で妥協のない本当に作りたい映画を作ってこの栄誉を得ることができたと心から喜んでいた。
モンゴル映画は社会主義崩壊と民主化の初期に解放感の盛り上がりにともなって製作が活発化した時期があり、そのときの代表的な作品である『枷』のナンサリーン・オランチメグ監督がNHKの注目を受けて『天の馬』を作ったのだが、このときにはもうモンゴル映画界は経済の混乱の打撃を真っ向から受けて製作は容易ならぬ状態になっていた。だからこの映画は、新発足したモンゴル映画の灯を絶やさないという重要な役割を果たしたことになるのである。タイの映画産業はアジアでは活発なもののひとつだが、それでも全盛期の数分の一に製作は減っている。チュート・ソンスィーの『孔雀の家』のようなおっとりとした伝統的な味わいの豊かな作品が一昨年に作られたことは喜ばしいことだった。
アジアの映画が国際的に注目されるようになったのは、せいぜいここ十数年のことである。1980年代の半ば頃からと言っていい。それまでは、日本映画とインド映画の一部を別とすればそれぞれの国外では殆ど知られていなかったのだが、いまでは世界中どこの国際映画祭でもアジア諸国の映画は引っぱり凧である。と言うと、1980年代頃になってとつぜんアジアの映画は盛んになったかのように思われるかもしれないが、事実はそうではない。日本で1950年代こそが映画産業の黄金時代であったように、アジアの広大な地域においても、おおむね1960年代、70年代頃こそが映画が儲かって儲かって仕方のない時代だったのであり、ただ外国人がそれを知ろうとしなかっただけなのである。そして、日本で1960年代になるとテレビの影響で映画産業の凋落が始まったのと同じように、ただそれに10年か20年の時差をおいてアジアの多くの地域でもテレビやビデオの普及による映画産業の縮小が始まったのである。つまりアジアの映画は国際的に注目されるようになった時期に産業的危機を迎えたのである。
国際的に注目されるようになってから、アジアの国々ではいずれも新勢力の台頭がいちじるしい。しかしこの新勢力は、産業的危機の中で活動をはじめたわけで苦戦を強いられている。それは現代の日本の映画作家たちの置かれている状況とあまり違わない。国によって条件は異なるが、ようやくかちとった国際的な注視の中で、それに応えるべく情熱を燃やす新しい人々が続々と現れているのに、彼らの置かれている状況はあまりにも厳しいのである。
アジア・フィルム・フェスティバルは、アジア諸国の人々の自己表現、自己主張を存分に受け止めることによって映像文化の全体を豊かにしようとする試みであるが、同時にそれが、盛んな意気込みを持ちながら苛烈な状況の下でその意欲の実現を妨げられているアジアの映画人たちへの、ささやかだがまごころのこもった支援になれば嬉しいと思う。
モンゴル同様、ウズベキスタンでは社会主義解体後の混乱で映画産業は存立の危機にさらされている。スリランカ映画にはしみじみとした内面的で情感豊かな表現の伝統があるが、少ない人口と乏しい経済でその保持は常に困難だった。マレーシアは高度経済成長の過程にあるが、あまり多くはない人口がマレー系と中国系、インド系と文化的に別々になっていることが民族的な映画産業の発展の妨げになっている。台湾映画は今や世界の先端を行く芸術的成功を収めているが、じつはテレビやビデオの普及とアメリカ映画の人気に押されて全盛期の十分の一ぐらいに製作が減っている。にもかかわらず各国とも、じつに意欲的な若い世代の台頭が見られることを、こんどの第2回アジア・フィルム・フェスティバル’97で皆さんは確認するはずである。ウズベキスタンのズリフィカール・ムサーコフのユーモア、スリランカのプラサンナ・ヴィターナゲーの悲哀、マレーシアのウ・ウェイ・ビン・ハジサアリの怒り、そして台湾のリン・チェンシェンの繊細。それぞれのみずみずしい成果をしっかり受け止めたい。
小栗康平  判断の遅れ
 Cognitive Dissonance

 小栗康平
(映画監督/'97 アドバイザー)
初めてスリランカ映画を見たのは、ピーリス監督の『ジャングルの村』だった。15年ほど前のことである。人物に、人間としての「根っこ」がくっきり写っていて、私はこの映画にひきつけられた。
ヴィターナゲー監督の『満月の日の死』にも同じよさがある。厳粛といっていいなにかがここにある。
共通しているのは、主人公の「判断の遅れ」といっていいだろうか。盲目の老人は息子の戦死を信じない。しかしこれは盲目だから、ということではない。
歴史や社会が引き起こす不幸は、ときに人間の限度を越えて生起する。私たちはそこで「ずれた時間」を生きる。信じがたいことだから時間がかかるということではなく、どこまでいっても私に重ならない、そういう種類としての「ずれ」。「判断の遅れ」が人間としての表情になる。
ヴィターナゲー監督の『心の闇』は、何回か再生のチャンスがあったのにそれが出来ず、土壇場まで「遅れ」てしまった男が主人公であり、『城壁』は、判断不能なまま海を巡っていた男が25年も経って女のもとに戻ってくる映画だった。のろまでグズな、といってしまえばそれまでだ。
しかしどの映画も、そういう人物としての心理の劇ではない。一見すると心理の劇に見えるけれども、心理を見ようとするような固定した視点はどこにも設定されていない。むしろ「私はこうだ」という「私」が、作り手のなかで揺れている。その揺れのなかで、映画を探す。それがいい。
すぐれたアジアの映画を見るといつもそう思う。私はこうした人物をにぶい人間とは見ないし、にぶい作り手だとも思わない。
私たちの映画を見る慣れた目は、早い判断、早い行動を求めがちだ。しかし映画が力をもって見つめる場所は他にある。ヴィターナゲー監督はそのことをよく知っている。

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