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戦後78年 東京大空襲など被害者救済の署名活動 なぜ今?

  • 2023年11月16日

太平洋戦争中の空襲などによる被害者を救済する法案の成立を目指して、被害者などでつくる団体「全国空襲被害者連絡協議会」=「全国空襲連」が、ことし10月から、賛同する人の署名を集める活動を始めています。
終戦から78年。なぜ今、この活動が行われているのでしょうか。
(首都圏局/記者 鵜澤正貴)

厚生労働省前で行われる署名活動

厚生労働省の前で行われている署名活動の様子です。
10月19日から始まり、街頭での活動は、国会開会中の毎週木曜日の昼の時間帯に行われています。署名は全国各地の被害者などを通じても集められているほか、メールやファックスでも受け付けています。

空襲被害者はこれまで救済されてこなかった?

戦後78年が経つ今、なぜあらためて、この活動が行われているのでしょうか。
先の大戦をめぐって、国と雇用関係にあった軍人や軍属、またその遺族に対しては、恩給や遺族年金といった国による補償が行われてきました。
しかし、民間人に対しては、放射線の被害を受けた広島と長崎の原爆の被爆者など一部を除いて、国による救済措置はとられてきませんでした。空襲に巻き込まれた民間人被害者への国の救済措置もありません。
また、戦闘に協力したと認められた場合を除き、沖縄の地上戦の民間人の被害者も救済されていないということです。
背景にあるのが、いわゆる「受忍論」です。

「受忍論」
当時、戦争によって国民すべてが何らかの形で被害を負ったため、戦争で受けた損害を国民は同じように堪え忍ぶべきだという考え方。昭和55年には当時の厚生大臣の諮問機関が「戦争という非常事態のもとで、国民が何らかの犠牲を余儀なくされたとしても、すべての国民がひとしく受忍しなければならない」などとする意見をまとめています。

同じ敗戦国のドイツが、戦後まもなく制定された連邦補償法で、軍人と民間人を区別せず救済の対象としているのとは対照的です。

今回、署名活動を始めた「全国空襲連」のメンバーは、これまでもこの問題への理解を呼びかけるチラシを配るなどの街頭活動を続けてきました。
この活動の中で、空襲被害者が救済されていないことを知らない人は多いと感じたと振り返ります。東京大空襲で母親と2人の弟を亡くした事務局次長の河合節子さん(84)はこう話します。

「全国空襲連」事務局次長 河合節子さん(84)
「軍人や軍属だけでなく、民間人の被害者も当然、救済されているのだろうと思っている方がほとんどなのではないかと感じます。『まさか、何も救済されていないなんて、うそでしょう』ということを言われます。『もうちゃんと救済されているのに、また何かほしいと言っているのか』みたいな言い方をされる方もけっこういます。『強欲ばばあ』とか、そういう言葉をかけて、通り過ぎる方もいらっしゃいます」

戦後繰り返し行われた 救済求める活動

被害者たちによる救済を求める活動は、戦後繰り返し行われてきました。
国会には、1970年代から80年代にかけて、あわせて14回、野党により法案が提出されましたが、いずれも廃案となりました。

司法の場に訴える動きもありました。
東京大空襲に関しては、2007年に被害者や遺族が国を提訴。
しかし、最終的に2013年に最高裁で原告の敗訴が確定しています。
ほかの裁判も同様で、当時の国民すべてが何らかの形で戦争の被害を負っていたため、裁判所が救済する人としない人を選別することは困難だと考えられ、司法を通じた救済への道は閉ざされた形となっています。
一方で、東京地裁や高裁の判決では、「戦闘行為を行った軍人等の救済には合理的な根拠があり、原告らが旧軍人等との間の不公平を感じることは心情的には理解できるが、戦争被害者をどのように救済するかは立法を通して解決すべき」と指摘していて、再び国会にボールが投げ返された形です。
その後、与野党を超えた議員連盟が発足し、議論が行われてきました。現在では法案の要綱もまとまっています。

救済法案の内容は?

法案の要綱は、昭和16年12月8日の開戦から、沖縄戦が公式に終結した昭和20年9月7日までに行われた空襲、艦砲射撃、沖縄地上戦の被害者のうち、身体に障害やケロイドを負った人およびPTSDなどを負った人に、1人あたり50万円を給付するというものです。
また、国が空襲被害などの実態調査を行うこと、追悼施設を設置することも求めています。
かつて東京大空襲の裁判で国に求めた内容は、1人あたり1100万円という金額で、その対象には遺族も含まれていましたが、法案の要綱では、遺族は対象外となっています。
それと比べると金額もかなり下げられ、対象も狭められた形です。これならなんとか成立が見込めるのではないか、でもこれ以上は要求を下げられないという、調整が進められた結果と言えます。

実はいま活動の中心を担い、防空頭巾をかぶって街頭に立った、「全国空襲連」の吉田由美子共同代表、事務局次長の河合さんの2人も、ともに救済対象ではありません。
2人とも、東京大空襲で親やきょうだいなど家族を失い、苦難の中を生きてきました。
吉田さんは空襲で大きなけがをすることはありませんでした。河合さんも当時、疎開していたため、無事だったのです。

河合節子さん
「大やけどをしながら生き延びた父親が今も生きていれば、対象だったかもしれませんが、もう亡くなっていますし、私自身は対象ではありません。『この内容でいいんですか』と聞かれることはもちろんありますし、これで十分だとは思いませんけれども、それでも民間人にこれだけ戦争によって被害が出たんだということを、きちんと国として調査してほしい、認めてほしいというのが一番の私たちの願いです。金額の問題ではないんです。国として戦争をしたわけですから、認めないということは、これから先もそういう態度をずっと取り続けるのではないかというおそれもあります。必ずこの法律は成立してほしい」

救済法案はなぜ国会に提出されない?

しかし、この法案は国会への提出にすら至っていません。
国はこれまで「戦後補償は解決済み」という立場です。全国空襲連によりますと、こうした事情もあり、政府・与党間での調整が進まないということです。
1つ、新たに救済を認めてしまうと、そこからさらに責任も財源も範囲が広がってしまうということを懸念しているのではとも言われています。
この状況はなかなか変えることができません。空襲連としては「もう時間がない」との思いから、署名活動を行うことで、国会や世論に訴えたいと考えたのです。
署名は来年2月末までに50万人分を集めることを目標にしていて、総理大臣や衆参両院の議長宛に提出する予定です。来年の通常国会中の法案成立を望んでいます。
法案の救済の対象者は、数年前の時点の試算で4600人と推定されていますが、対象者の高齢化はさらに進んでいて亡くなった人もいるため、もっと減っているとみられています。

河合節子さん
「本当に戦争の後始末が終わっていないということをつくづく感じています。戦争の被害が、これから先、絶対あってはならないと思って、ずっと戦後を生きてきました。子どもや孫たちの世代に私たちと同じあの苦しみを味わわせてはいけない。
今も現にこの世の地獄というふうに言われているパレスチナのガザで、たくさんの人が亡くなっています。あの状況は78年前、日本のあちこちで起こっていたことなんです。
戦争が始まれば、民間人が必ずたくさん死んだり、傷ついたり、家族を失ったりします。今のガザの状況は、私たちにはとても他人事とは思えないのです。
諦めずに、訴える。いつもうできなくなるかわかりませんけど、可能な限り、続けていきたい、訴えていきたいと思っています」

取材後記

署名のお願いの文書の最後には、「民間人被害者を国が救済することは将来の戦争を抑止するためにも必要と考えます」と記されています。河合さんはインタビューの中で、「裁判に訴えた2007年ごろよりも、世界情勢などを見ると、今の方が戦争への不安がだんだんと増大しているように感じます」とも語っていました。戦争を経験した世代からの「今に続いている問題なのだ」という声を重く受け止めたいと感じました。

  • 鵜澤正貴

    首都圏局 記者

    鵜澤正貴

    2008年入局。秋田局、広島局、横浜局、報道局選挙プロジェクトを経て首都圏局。 先の大戦に関する取材を続ける。

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