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関東大震災「悪魔の口にのまれた」首都直下地震との共通点が未公開資料 約1000点から明らかに

  • 2023年9月1日

関東大震災直後の出来事を当時の小学生がつづった未発表の作文の存在が明らかになりました。その数は1000点近くに上ります。

「『悪魔の口』に呑(の)まれた」…。

つづられていたのは、子どもたちが目の当たりにした、火災からの『逃げ惑い』の脅威や、事実無根のデマによる混乱。現代の首都圏でも逃れることのできない、首都直下地震との共通点でした。(全2回の前編)

首都圏情報ネタドリ!取材班

1000近くの未公開文書 子どもたちが見た関東大震災

「家は波の如(ごと)くゆれ、方々から『母ちゃん』とさけぶこえが きこえました。私は外へでてふるえていました」(男子児童)

「煙や火の子(※原文ママ)がおいかけて来たり 人々がおして来るばかりでした」(女子児童)

「生きながらの地ごくかとさえ思いました」(女子児童)

(作文は、旧かな遣いや旧字体を、現代の言葉にしました)

関東大震災の資料を保管する東京都復興記念館で発見された、1000点近くの作文。被害が大きかった地域の7つの小学校の児童たちが、被災や避難の実態をつづっていました。

作文を書いた子どもたちの消息を訪ね歩いたところ、1人の男性にたどり着きました。

長野県に住む、70代の男性。震災当時、小学6年生だった金子銀七(ぎんしち)さんの息子です。

金子銀七さん(左)

現在の墨田区にあった、横川尋常小学校に通っていた銀七さん。作文には、激しい火災から命からがらに生き延びた体験談がつづられていました。

「火災は猛々と火煙をはき立てて、一帯を灰にしてくれんとばかしに、どんどんどんどんともえ広まる。
あっちへ行ったり、こっちの方へ来たりして、僕らは飛鳥(ひちょう)の如(ごと)く、かけ回り、ようやくその火の中をのがれたが、僕の友人三人は死んでしまった」

銀七さんは20年前に90歳で亡くなるまで、震災について多くを語ることはありませんでした。

金子銀七さんの息子
「100年前の文章が残っているというのは信じられなくて、奇跡かなって。父は自分だけが助かったっていうことがあったので、震災については本当にわずかしか伝えてない」

銀七さんは作文の中で、亡くなった友人に復興を誓っていました。

「僕はこれから復興につくすつもりですから、見ていてください」

「悪魔の口に呑(の)まれた」群衆を襲う炎の恐怖

今回発見された約1000点の作文を分析したところ、銀七さんと同じ横川尋常小学校の複数の児童が、火災の状況をある共通した表現で書き残していました。

「岡本君、君は『悪魔の口』に呑(の)まれてしまいましたね」(男子児童)

『悪魔の口』とは一体、何なのか。

関東大震災の研究を続けてきた武村雅之さんです。子どもたちが直面した、逃れることのできない炎の脅威が表現されているといいます。

名古屋大学減災連携研究センター武村雅之特任教授
「火災がめらめらとして燃えている様子から、悪魔の口を想像されたのではないでしょうか。そこに飛び込んでしまったら大変なことになる、それでまた別の方向を向いてまた逃げようとすると、また向こうに悪魔の口が開いているという感じだったのではないでしょうか」

地震発生時刻の9月1日の昼、11時58分。当時の火災の広がりを再現した、最新のシミュレーションでは、その直後に各地で火の手があがりました。

台風の影響で風が強かったため、火災は四方八方に広がっていきました。この炎が『悪魔の口』となって子どもたちに迫りました。

作文には炎から逃れようとする子どもたちの行動が記されていました。避難先を記録していたおよそ160人の作文を分析したところ、最も多くの子どもが書いていたのは「水戸様」という場所でした。

水戸様とは、水戸徳川家の屋敷。広大な庭園があったため、大勢の人が目指したとみられます。

しかし、その水戸様も9月1日の夕方には火の手に包まれました。子どもたちは炎に囲まれ逃げ場を失う「逃げ惑い」という状況に追い込まれていました。

当時の小学生が描いた震災時の様子

「水戸様へ火ついたので あつくてどてにいられない。隅田川へとびこんだ」(男子児童)

逃げ惑った人たちが一斉に命を落とす悲劇も起きていました。現在の墨田区内にかかる横川橋。警察の調べでは、1000人余りの人が亡くなりました。

東京の消防博物館に残されていた、この現場にいた女性の手記をもとに、今年、アニメーションが公開されました。そこには、逃げ惑う群衆の恐怖が描かれています。

「人に押し倒される女、馬に踏みつぶされる男。親を呼ぶ子の悲鳴。火の粉はあられのように落ちてくる。とてもこの世の様とは思われませんでした」

(女性の手記をもとにしたアニメーションより)

名古屋大学減災連携研究センター武村雅之特任教授
「橋を渡って逃げればいいって思って逃げても、また向こうからも火災が来るので、だから結局、こういう橋の上で鉢合わせになって、それで身動きがとれない。そのうちに火災に巻かれてしまって、亡くなる。そういう非常に悲しい歴史があると思います」

関東大震災の死者・行方不明者はおよそ10万5千人。子どもの命も多く失われました。

あれから100年。関東大震災当時と比べて、建物は燃えにくくなり、消防力も向上しました。

しかし、火災や群衆による逃げ惑いといった脅威は、いまも変わらずに残されていると専門家は指摘します

東京大学生産技術研究所 加藤孝明教授
「震災当時は田園地帯だった場所にも密集した住宅地が広がっています。火災が発生した時には、より広範囲が火災に見舞われるリスクがあり、火災や逃げ惑いといった脅威は、今も変わらずに残されています」

現代にも通じる災害時のデマ

さらに、今回公開された1000の作文からは、流言やデマによる混乱も読み取ることができました。震災直後に起きたある事件についての記述です。

「荒川のどてに13人鮮人(朝鮮人)が切られて死んでいました」(男子児童)

「どの人もどの人も血だらけになっていた」(女子児童)

(当時の状況をお伝えするため、用語・表現をそのまま載せています)

関東大震災では、朝鮮半島の出身者に関する根拠のない噂、いわゆる流言が広まり、多くの人が殺される事件が起きました。

作文からは、その流言が子どもたちの間に広がっていた様子がうかがえます。

「朝鮮人がビンの中へ毒を入れる、気を付けて下さい、と大きな声」「おちおち ねていられません」(女子児童)

「家の中へばくだんを入れて火事にしたのが三日ごろからわかり始めた」(男子児童)

こうした、災害時に広がる流言やデマ。

SNSが普及した現代では、地震や水害が起きるたびに、誤った情報が短時間で共有され混乱も生じています。

災害時に飛び交う情報とのつきあい方について、流言が広がるメカニズムに詳しい専門家は、100年前と現代の共通点があると指摘します。

東京大学大学院 情報学環・学際情報学府 関谷直也教授
「多くの人が急に不安になり、それが同時に多数の人に起きた時、流言は広まりやすくなります。

災害時に流言は発生するものだということを知り、間違った情報かもしれないと思ったら、それを人に伝えないことが大切です」

今後、高い確率で起きると言われる首都直下地震でも、住宅地など広範囲で火災に見舞われるなどの、関東大震災と同様のリスクが指摘されています。後編の記事では命を守るための避難や備えのポイントをお伝えします。

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