ALSなど重度の障害で介護が必要な人にヘルパーを派遣する公的な介護サービス「重度訪問介護」。ほとんど全額が公費で賄われますが、どれぐらいの時間を支給するかは市町村が判断しているため、ばらつきがあるのが実情です。
千葉県松戸市に住むALS患者の男性は、介護をする妻が体調を崩したことなどを受けて、去年、「重度訪問介護」を1日あたり24時間まで増やしてほしいと市に申請しましたが、その申請は却下されました。
「家族が介護を行うのは当たり前ではない」。男性が市に対応を変えるよう求めた裁判で、千葉地方裁判所は「市は妻の心身の状況などを十分に考慮すべきだ」として、別の医療サービスなどとあわせると24時間相当の利用を認めるよう市に命じました。
(千葉放送局記者・上原聡太)
千葉県松戸市に住む原告の男性(62歳)は、全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病ALSを患っています。2017年から疲れやすくなったり手足が震えたりするようになり、2018年、56歳のときにALSと診断されました。現在は、妻と、ALSと診断された直後に生まれた息子と3人で暮らしています。
男性は徐々に筋肉が衰えており、おととしからは寝たきりに。去年からは呼吸を補助する器具を常に装着しており、呼吸不全で容体が急変する可能性があります。さらには、飲み込む力も低下しているため、必要なときは、すぐに「吸痰(たんを吸い出すこと)」をしてもらわなければならず、24時間の介護が必要です。
男性の妻は、介護に加えて、育児、アルバイトで家計を支えることで生活を続けてきました。しかし、症状の進行とともに介護の負担も重くなり、疲労やストレスで体調を崩しています。
男性は、NHKの取材に対して、ALSと診断されてからの5年余りを振り返り、率直な思いを語ってくれました。
ALS患者の原告男性
「診断を受けたのは長男が生まれる予定日の2か月前で、本当に地獄に突き落とされた気持ちでした。その気持ちが少しずつ和らぐことはありますが、基本的に、とんでもない災難がふりかかったという思いは今でも続いています。ALSは”きのうできたことがきょうできなくなるのが特徴”といわれますが、まさにそのとおりの病気でした。きょうできたことがあすできなくなる恐怖と毎日向き合っています」
徐々に症状が進行するなかで男性が頼りにしたのが、公的な介護サービスである「重度訪問介護」でした。
障害者総合支援法に基づくさまざまな障害福祉サービスの1つで、費用のほとんどを公費で賄い、重度の障害で常に介護を必要とする人に入浴や食事などの介護をするヘルパーを派遣するものです。
その支給時間を決めるのは申請者が住んでいる市町村ですが、判断基準には、市町村ごとにばらつきがあるのが実情です。男性は、2019年から松戸市に「重度訪問介護」の申請を行い、症状が進むにつれて支給時間は増えてきました。そして、去年5月には1日あたり18時間半程度の支給決定を受けていました。
ただ、残りの数時間分は家事や育児、家庭のすべてを担う妻が行う必要がありました。「疲労やストレスから心身の体調を崩す妻を休ませることがなによりも大事だ」。男性は1日あたり24時間の支給を求めることにしました。
これに対し、松戸市は去年8月、申請を却下する処分を出しました。市は有識者からなる審査会への意見聴取などを踏まえた上で「自宅にたん吸引などができる同居者がいるため、常時の重度訪問介護のヘルパー派遣の必要はないし、家族の介護負担は現状の支給時間数で軽減されていると評価できるから」と判断したといいます。
ALS患者の原告男性
「妻は精神的にピリピリした状態が続いていました。却下処分を受けたあとは、どうしてこんな仕打ちになるのかと憤る毎日でした」
市による却下処分を取り消し、1日あたり24時間の支給に変更するよう求めて、男性は去年、市を相手取り裁判所に訴えを起こしました。そして、1年間の審理を終え、迎えた10月31日の判決で、千葉地方裁判所の岡山忠広裁判長は、次のように指摘しました。
千葉地方裁判所 岡山忠広裁判長
「男性の病状は深刻であり、介護がなければ生命を維持するのが困難な状態である。妻は介護だけでなく、子どもの育児や家事、仕事を担い負担が集中していて、妻が単独で介護する時間帯に疲れなどからたんの吸引などができないおそれがある。市は妻の心身の状況などを十分に考慮することなく、また、公的サービスを受けている時間帯に妻は一切の介護負担をしていないという皮相的な見方を前提として却下決定をしている。男性の病状や妻の介護状況などに照らせば、男性には基本的に1日あたり24時間に相当する介護支給が認められるべきである」
その上で、別の医療サービスなどとあわせると1日あたり24時間相当の「重度訪問介護」の利用を認めるよう市に命じました。
判決を受けて、原告の男性は、オンラインで報道陣の取材に応じ、喜びを語りました。
ALS患者の原告男性
「たびたび体調を崩していた妻と抱き合って喜びました。妻は気持ちの面で少し前向きになれたようです。『家族が介護するのが当たり前』というのが前提ではない社会になってほしい」
一方、松戸市はことし5月、千葉地方裁判所から今回の判決と同様の趣旨で仮の決定を受けていたため、すでに状況を改善しています。松戸市福祉長寿部は「まずは判決内容を精査し、今後も適切に対応していきたい」とコメントしています。
男性の弁護士は今回の判決を評価したうえで、原告の男性と同じように、重い障害を持つ人が家族と同居している場合に十分な介護サービスを受けられていないケースは多いと指摘しています。
原告側の藤岡毅弁護士
「重い障害がある人が家族と同居している場合、1日3時間程度は家族が介護すべきだとして『重度訪問介護』の時間を差し引くことが全国の多くの自治体でなされており、当事者や家族がつらい思いをしているケースは多いです。今回、裁判所が男性の病状や家族の状況から基本的に訪問介護が1日24時間相当必要だと判断したことは、日本の社会保障のあり方に影響するほど大きなインパクトがあるもので、この判決で解決の方向に向かってほしいです。弁護士に何も頼まずとも、しっかりと必要な支援が受けられる世の中になってほしいという思いを強く持っています」
障害者支援に関する法制度に詳しい専門家は、支給時間を決める多くの市町村で「家族で介護するのが当たり前」という前提が根強いのではないかと指摘しています。その上で、自治体には個別の状況に目を向けることが求められると話しています。
名城大学の植木淳教授
「『重度訪問介護』は、もともと法律では、本人の身体の状況のほか、家族や介護者の状況を踏まえて支給時間を決定することが求められているのですが、多くの自治体で『家族で介護するのが当たり前』という前提で支給時間が決められていました。これに対して、今回の判決では、介護をしていた妻が養育や就労をし、体調も崩していたことも踏まえて判断していることが画期的だと思います。それぞれの自治体は介護の支給時間を決める際、『家族がいるから介護させて当たり前』と考えるのではなく、家族や介護者の状況をより詳しく検討した上で決めなければいけないということを意識すべきだと思います」