丸森町にはどうして"猫神様"が多いの?
今回のみやぎUP-DATEでは、こちらの投稿にお応えします!
丸森町では、猫が彫られた石碑や石像を猫神様と呼んでいるんです。
今回は調査員が調べてきました!
いざ、丸森町へ!
調査員がまず向かったのは、丸森町内の公園。
調査員 「あ、ありました!」 |
公園の一角にある石碑の中に…ありました。
こちらが猫神様です。
江戸時代後期に作られたものだといいます。
猫神研究の第一人者の石黒さんにお話を伺ったところ、丸森町は日本の中でも特に猫神様が多いそうです。
石黒さん 「(丸森町には)猫の石碑が77基、猫の石像が7基。合計で84基。 間違いなく日本で一番多い。」 |
石黒さんの19年の研究の結果、日本に168基の猫神様があるうち、丸森町が日本一多い場所だと分かりました。
先ほどの石碑を詳しく見てみると、彫ってあるのは猫だけではありませんでした。
石黒さん 「歌のような文言が彫られていまして。 『今朝のゆき いきふじ花の かたみかな』という。」 |
石黒さんによると、こちらの石碑は「ふじ」という猫が亡くなって供養のために建てられたと考えられます。
丸森町内の猫神様の多くは、このように猫の供養のために作られたそうです。
しかし、なぜ「神様」と呼んでいるのでしょうか?
“ある産業”が関係していた!
猫を「神様」と呼ぶのはなぜか?
そのヒントが町内のお宅にありました。
船山さん 「親父がここに氏神様と猫神様を祭ったみたいで。 養蚕、蚕をやっていたから、(蚕を)食い荒らすネズミ、それを退治するのは猫ということで。」 |
かつて養蚕業が盛んだった丸森町。
蚕の幼虫を食べるネズミを退治するため、養蚕農家の多くは猫を飼っていました。
元禄15年に出版された日本最古の養蚕方法が描かれた書物にも「猫を飼うように」との記述が。
石黒さん 「ネズミをいっぱい捕ってもらった猫が亡くなって、その供養のために建てた。」 |
ネズミを捕ってくれた感謝の気持ちを込めて「神様」と呼ぶようになったといいます。
さらに、もう一つ理由があるそうです。
石黒さん 「丸森は花こう岩の産地ですので、石工さんもたくさんいたと思います。 その関係もあります。」 |
丸森町には石が豊富にあり、石を掘る職人がたくさんいた中で、猫への愛情によって多くの猫神様が生まれたといいます。
船山さん 「(猫神様に)家が守られてきた、成り立ってきたというのもあるから、それは引き継いでいきたいなと思っています。」 |
こんなものも!
町内で調査を進めていると、突然大きな猫の顔が現れました。
これは何なのか、NPOあぶくまの里山を守る会の照井 良久さんにお話を聞きました。
調査員 「すみません、あちらに猫が見えたんですけど、あちらはなんですか?」 |
照井さん 「あれは『ねこ窯様』です。」 |
調査員 「ネコガマさま!?」 |
「猫神様」ではなく「ねこ窯様」。
実はこれ、ピザ用の窯なんです。
照井さん 「令和元年の台風のときに、がれきとか石とかいっぱい流れてきたところがあるんです。 災害を忘れないようにって、子どもたちと我々が作ったんです。」 |
4年前の台風19号により、大きな被害を受けた丸森町。
被災した照井さんたちが、がれきを撤去する中で「復興のシンボル」を作りたいという話が持ち上がりました。
土石流で流れてきた石を土台に、災害廃棄物の陶器や瓶のかけらを埋め込み制作しました。
今では地元のイベントなどでも活用されているそうです。
照井さん 「災害で下ばかり見ていられないからね、みんなで集まって前向きにっていう場所も欲しいでしょ、人間だから。 そういう場所になればいいなと。」 |
お祭りもあるらしい!
丸森町では、去年から2月に「猫神祭」も開催されています。
お祭りではオリジナルの猫の御朱印や猫神社が作られ、今年は全国から約1000人の猫好きが集まったそうです。
安藤のひとこと。
安藤さん 「時代が移り変わって産業も大きく移り変わる中ですが、それでも町の人々の“猫への思い”というのは変わらず、さまざまに形は変わるんですけれども、思い自体は受け継がれていっているんだなとしみじみ感じました。」 |
みやぎアップデートでは皆さんから「気になる・知りたい」を募集しています。
投稿は、NHK仙台放送局1階の投稿ボックスかこちらの投稿フォーム、
またはX(旧ツイッター)で #みやぎUPDATEをつけてお送りください。