13歳の「負けず嫌い」が目指すオリンピック~スケートボード界の新星・赤間凛音~

去年の東京オリンピック。強烈な印象を残した競技の一つがスケートボードだ。
真っ青な空の下で、10代前半の選手たちがノビノビと滑る姿は、勝ち負けだけではない、スポーツの魅力を私たちに教えてくれた。

宮城にはスケートボード界、期待の星がいる。
13歳、仙台市の中学2年生・赤間凛音(あかま・りず)だ。
階段や手すりなどが設置されたコースを滑って技を競う種目「ストリート」を専門とする。

akama220415_1.jpg

赤間が一躍有名になったのは、去年12月に行われたスケートボードの日本選手権。
赤間はこの大会で、東京オリンピック・金メダルの西矢椛をやぶり、初優勝を果たした。
再来年のパリオリンピックに向け、メダルが期待される選手の1人として注目されている。

<同世代の活躍を刺激に 大技を習得>

世界各国を転戦してきたシーズンの結果で、惜しくも東京オリンピック出場を逃した赤間は、同世代が大活躍する姿を複雑な気持ちで見ていた。
「西矢椛選手や中山楓奈選手(東京オリンピック・銅メダル)が結果を残した時は、すごいなと思った。でも、あの場所に自分が出られたらなという悔しい気持ちがあった」と、正直な気持ちを話してくれた。

akama220415_2.jpg

一緒に練習する機会のある選手たちの活躍を目の当たりにし、赤間は練習への向き合い方が大きく変わったという。
普段、川崎町にある廃校を利用した施設で平日3時間以上の練習を重ねている赤間。
取材に行った日も、学校終わりの午後6時前には施設を訪れ、午後9時までみっちりと練習をしていた。休憩をとる時間はほとんどない。
どんなに失敗して、転んでも、繰り返し様々なトリック(技)に挑戦していたのだ。

akama220415_3.jpg

「東京オリンピックが終わり、意識が変わった。練習をより大切にするようになった。
1日1日の時間を無駄にせず、他の人ができない技を身につけようと思った」と話す。
そんな赤間がオリンピック後に習得した大技が、「バーレーグラインド180アウト」だ。
海外選手のSNSなどで紹介されていた動画を参考に、自分の持ち味を生かせる技として選んだ。

akama220415_4.jpg

akama220415_5.jpg
※バーレーグラインド180アウト

通常、赤間は左足を前にして滑る。この技はボードを回転させてレールに飛び乗り、後ろの車輪を滑らせて元の方向で着地する。世界の女子選手でも珍しい大技だ。
ボードをはじく力の調整や利き足以外の力をうまく扱える赤間だからこそできた技といえる。
地元・宮城でこの技を磨き上げ、わずか数カ月で自分のものにした赤間は、優勝を果たした去年12月の日本選手権で初披露。見事に決め、周囲を驚かせたのだ。
「女子選手ではあまりやっていないし、絶対大会では完璧に出せるようにしたい。
普段練習している場所での完成度は上がってきたが、大会の会場に合わせないといけない。精度を上げ、高さなども対応できるようにしたい」と話している。
表情ひとつ変えずに冷静に自分を分析している姿はとても13歳には見えなかった。
今はほぼ毎週末、新潟県にある国内屈指の施設を訪れ、さらなる高みを目指している。

akama220415_6.jpg
※新潟へは両親の車で遠征。毎回、車中泊。

<負けず嫌いが強さの原点 恩師が語る素顔>

7歳のときにスケートボードを始めた赤間。
父親に連れられ、遊びで始めたことがきっかけだった。

akama220415_7.jpg

赤間が技を磨いてきたのが、小学2年生から通う仙台市泉区のスケートボードスクールだ。
国内で活躍するトップ選手であっても、小さい頃から競技の基礎を学んでいる選手は少ない。遊びながら技術を高める選手が多い中、赤間は幼い頃からボードに乗る姿勢や体の使い方などをみっちりと鍛えてきた。指導してきたのは、荻堂盛貴(おぎどう・もりたか)さん。

akama220415_8.jpg
※荻堂盛貴さん

akama220415_9.jpg

荻堂さんは30年以上の競技経験があり、プロスケートボーダーとして長く活躍してきた。
東北におけるスケートボードの草分け的な存在である荻堂さんは、赤間のセンスだけではなく、性格を高く評価していた。
「体の軸がしっかりしていて、バランス感覚も良く、昔から滑りが安定していた。驚いたのは、性格がとても負けず嫌いだということ。私ができるトリックができないとすぐに泣いていた。先生に対抗する選手はあまりいない」と笑いながら当時を振り返った。
赤間は今でも定期的に荻堂さんの元を訪れ、教えを乞う。
何度も失敗しても、新しい技に挑戦できる背景には、小さい頃から磨いてきた基礎と負けず嫌いの性格があったからだと、取材を通じて強く感じた。

「今の自分があるのは、周りのみんなのおかげ。オリンピックに出てお世話になった人に恩返しがしたい」と話す赤間。宮城から世界を目指す13歳の挑戦に注目だ。