今、伝えたいこと 俳優 山谷花純さん

仙台市出身の俳優、山谷花純さん。朝の連続テレビ小説「らんまん」に出演するなどドラマや映画、舞台など幅広く活躍する若手俳優の1人です。仙台市出身で小学生の時にデビューした山谷さんにとって、忘れられない出来事がありました。東日本大震災です。俳優として、震災を経験した1人として、今、伝えたいメッセージとは。

(仙台局 藤岡しほり)

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インタビューをしたのは11月2日。宮城県が主催するイベントに参加するために宮城を訪れたときでした。ステージに登場した瞬間、会場が一気に華やかな雰囲気に包まれていて、私は、これからインタビューをするのに少し緊張したことを覚えています。

仙台市出身の俳優、山谷花純さん。小学6年生でデビューして、宮城と東京を行き来しながらも、高校まで宮城で過ごしました。上京したときのエピソードを伺うと・・・。

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「芋煮会は上京するまで全国にあるものだと思っていたら、『芋煮ってなに?』と言われたのは結構衝撃的で、コンビニとかでも芋煮のカップとかあったりとかするんですけど、東京にはなくて、河原でみんなで親戚とか友達とかで集まってするのが結構宮城ではメジャーだと思っていたのに東京だとないんだと驚きました」

いまは東京を拠点として活動していますが、ふるさとのことは忘れません。

「四季折々の空気というか、東京とは違った空気の温度を感じられて、新幹線のドアが開いた瞬間にどんな香りがするかなっていうのを毎回楽しみに帰ってきています。上京する前はそこまで自然に目を向けたりしていなかったのですが、都会に身を置くようになってからは、地元にどれだけ緑が多かったのかと改めて感じています」

【思いやりを大切に演じてきた15年】
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ドラマや映画、舞台など幅広く活動する山谷さん。ことしは朝の連続テレビ小説「らんまん」に出演し、自分の過去と向き合いながらも主人公との出会いを通じて、未来を生きようとする女性を演じました。

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「たくさんの方に愛していただける役を演じさせてもらって、街を歩いていても、自分の名前よりも先に役名で呼ばれるのはすごく役者的には幸せなことで、そういう役をもっとこれからたくさん作っていかないといけないなと思いますし、ここからもう1回頑張ってみようって思っています」

デビューしてことしで15年。演じる上で大切にしているのは相手への思いやりです。

「例えば泣くシーンがあるときに、目の前にいる人に傷ついて泣かないといけないのに、昔、別の誰かに傷つけられたことを思い出して泣くのはすごく失礼な行為だと思っています。お芝居はセッションだと思っていて、目の前にいる人同士が影響し合って、その一瞬にしか生み出せない空気感を大切にしたいので、その瞬間を無視して自分がやりたいことを貫くのは、誠実じゃないと思っていて、これからも思いやりをもって演じたいです」

【深く刻まれているあの日のこと】
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「思いやり」を大切に仕事と向き合ってきた山谷さんにとって、影響を与えた出来事がありました。12年前の東日本大震災です。体育館で先輩の卒業式の準備をしていたときに大きな揺れに襲われました。中学2年生の時でした。

「風が吹いて木が揺れてるのかと思ったら、地震で木が揺れていたりとか、鳥が全員同じ方向に飛んでいったりとか、ものすごく、時間はたっているのに、未だに地震警報の音を聞くとドキドキしますし、深く刻まれてる記憶なんだろうなと思います。避難所では、みんなが自家発電機とかガソリンを持ち寄っていて、『電気がついた』『配給のパンがきた』というドラマや映画にあるような世界が目の前に広がってました」

すでに仕事を始めていた山谷さん。次の日も東京で仕事を控えていましたが、新幹線は動かず、キャンセルに。大きな揺れのあと、山谷さんは避難所に避難しました。持って行ったのは1冊の映画の台本でした。

「避難しようってなったときに、短時間の中で何も考えずに手に取ったのは台本でした。その台本はオーディションに受かった作品で、初めて誰かに認められた気分だったので、その核心を突いた作品の台本だけは手放したくなかったんだと思います。自分の中で居場所を見つけた世界がお芝居の世界で、そう思わせてもらったきっかけだったのが映画という現場で、大人たちのいる世界だったんです。だから、すごく濃い思い入れがこの台本にはありました」

【“忘れないで”を伝えたい】
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震災後、さまざまな役を演じてきた山谷さんにとって、俳優として、震災を経験した1人として自分の役割は何なのか。それは俳優という表現の仕事を通して、震災を思い出してもらうきっかけになることだと感じています。

「宮城魂じゃないですけど、いろいろな大変なこととか悔しいことがあっても、あのときの電気がついた瞬間の喜びを思い出せば何でも頑張れるなと思いましたし、『忘れないで』って思う瞬間がすごくあるので、それを思い出させる役目なんだろうなと思います。第三者の人に思いも言葉も届けられる仕事をしているからには、きっかけになる人になりたいとは思って、それをバネに仕事を続けてます」

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震災から10年の時の投稿(山谷さんのSNSより)

3月11日には定期的に自身のSNSでメッセージも発信しています。震災から10年の時には、1年に1回でもあの日のことを振り返ってみてほしいという気持ちを投稿していました。

「時間が経つにつれて、皆さん自分の人生に忙しいからこそ、災害とかは忘れられがちだと思うので、もう一度、思い出すきっかけになってほしいなと思って書いたのかなと思います。未来は見えないけど過去は振り返ることはできるから、その未来のためにも、もう1回、考える時間を設けようとは思っていて、それを自分だけじゃなくて、他の人たちが一緒にそういう時間を過ごせたらいいなと思って発信しています」

【今の自分と向き合うこと】
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インタビューの最後に、山谷さんが書いたメッセージ。それは「今」のひと文字でした。これを見たみなさんに、今の自分と改めて向き合ってみてほしいという思いが込められています。

「今、私が話したことは、ものすごく私自身を振り返るきっかけにもなりましたし、皆さんにも過去を今、振り返ってみて、現状というのを確認してもらいたいなと思いました。今の自分と向き合う人が1人でも多かったら、もっと明るい未来が宮城県の皆さんから派生して、どんどん全国につながっていくんじゃないかなと思って『今』にしました」

 

 

 


わたしも小学生のとき、山谷さんと似た状況で震災を経験しました。体育館で感じた大きな揺れや、同級生たちと一斉に校庭に避難して、雪が降る中で親の迎えを待ったこと、いまでも覚えています。それでも日常を送るなかで、時々振り返らないと、あの時の気持ちを忘れてしまいそうになる自分がいることも確かだと感じます。山谷さんからのメッセージで、私も含めて多くの人たちが震災を思い返すきっかけになってほしいと思いました。

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仙台放送局記者
藤岡しほり
2022年入局
くらし・経済取材担当
白石市出身