震災12年 芥川賞作家 佐藤厚志が紡いだ3つのことば

東日本大震災をテーマにした「荒地の家族」で芥川賞を受賞した仙台市出身の書店員、佐藤厚志さん(41)。NHKでは東日本大震災から12年となることし3月、佐藤厚志さんに、番組や取材で被災地の思いについて聞いてきました。そこで明かされた佐藤さんの3つのことばから、震災を考えます。
(仙台局 伊藤奨記者)

 

【佐藤厚志のことば①「震災は自然と目に映る」】

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ことし、芥川賞を受賞した仙台市出身の佐藤厚志さん。市内の書店で働きながら執筆活動を続けています。受賞作「荒地の家族」では、東日本大震災の津波で仕事道具をさらわれた主人公が、震災2年後に妻を病気で亡くし、喪失感を抱えながら、生活をたてなおそうともがく姿を描いています。

佐藤さんにとっての3月11日はどんな日か尋ねると、次のような言葉が返ってきました。
「僕はいま本屋に勤めていて、当時も(同じ)本屋に勤めていたので、当時の揺れや水を確保するところから、お店を再建するまでの苦労が思い出される日です。同僚とはこの日が来ると、苦労した話題をしながら、本を届けるのが仕事ですから、淡々と仕事をやっていくという感じです。」
ふだん通りの静かな口調で言葉が返ってきました。

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では、なぜ、震災をテーマにした小説を書いたのかを聞くと、次のような言葉が返ってきました。
「僕は震災を伝えようという動機から描いたわけではないですけど、生きている人の日常を描こうとしていました。宮城県に住んでいますから、震災は自然と目に映る。その中で描いてみました。」

被災地に住んでいるからこそ目に映る被災地の現状。それでも佐藤さんは、震災をテーマに小説を書くことに難しさを感じているといいます。その理由は、小説はフィクション(虚構)ではあるが、実際に被災者が読んだ時にどう思われるのかを考えているからだというのです。「嘘だと言われるようなことがあってはいけない」ということ。虚構とリアルという矛盾した考えの間で、被災者を傷つけることがあってはならない。仙台市出身の小説家という立場で、「震災を描かないという選択肢はありえない」と断言しています。

 

【佐藤厚志のことば②
「12年は区切りではない」】

佐藤さんは小説「荒地の家族」で震災で以前の風景が一変した現状を描いています。

「ある地点で電信柱が新しくなった。そこが境界だった。海が人の暮らしを舐めた形跡、生と死、この世とあの世の境目だった。(「荒地の家族」より)」

こうした形で被災地を表現した理由について、次のように話していました。
「住宅があったところが平らになって、なかなか当時を思い出そうとしても、手がかりすらない状況です。なんとかそこで今ある景色にしがみついて振り返ってみました」

震災から12年、今回、佐藤さんは、NHKの番組で被災地を回ったり、犠牲者を悼む人たちを見たりしました。佐藤さんから見た「12年の被災地」は、どのように映ったのか聞くと次のような言葉が返ってきました。

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「沿岸部では震災から12年がたって整備されて防潮堤が建ちました。きれいになっているけれども、なかなか人の営みが戻ってきていない印象があって、まだ時間が止まっている印象を受けました。」

それでも、違った印象を持ったことも口にしました。

「小説では『荒地』と表現しましたが、どうにか人の営みを立て直そうとしている人がいるのを見たり話を聞いたりして、そこには希望を持ちました。ひとりひとり置かれた立場や経験が違う。苦しみというのはずっと抱え続けている方もいるので、12年というのは区切りではない。これからも目の前にあることとして注視しないといけないと思いました」

たとえ時間が止まっているように見えても、時間は経過し、もがき続けている人たちが今もいること。佐藤さんが伝えたかった思いでした。

 

【佐藤厚志のことば③
「自分の出来事として書く」】

今回、NHKでは、震災の記憶を共有しようとしたり、伝えていこうとしたりして語り部を始めた若者たちを取材し、佐藤さんにも見てもらいました。

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「近い人でもなかなか当時のことをつっこんで聞くのは難しいことで、一方で共有していくことは大事なことだと思いますし、難しいことだと思っています。それでも震災を自分の生活の地続きのものとして学ぶのは大事だと思うんですけれども、震災の情報にアクセスするのはハードルが高い。そのなかで当事者じゃない(震災を伝承する)解説員や、学校があって仲間と一緒に学ぶ環境があるのは、率直に言っていいなと思いました」

震災を思い出すこともつらいと感じる人たちがいる中で、その記憶を共有し、伝え始めた若者たちの姿に、佐藤さんが希望を感じていたように感じました。

小説家として発信を続けている佐藤さん。震災12年の報道を見て感じたことを聞きました。

「震災から点で捉えるのではなく、いまでも苦しんでいる人が引き続きいるわけですから、長い時間軸でとらえて、現時点で振り返ってみて小説で考えてみた」
「報道やノンフィクション、ドキュメンタリーで(伝えることが)できる部分と、小説で、すくう部分はまた別だと思うんですけど、そこで重なる部分もあるし、双方で補完し合いながら伝えていければいいと思います」

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そして最後に、これから震災とどう向き合っていくのか。佐藤さんの答えです。
「いまの時点で、震災をテーマの1つとして描きましたが、それはあくまで震災から12年たってから振り返ってみて見える光景です。ただ、これからさらに5年、10年たってまた違う風景が見えるかもしれません。宮城県を舞台にまた小説を描いていこうとは思っていて、自分の出来事として、被災地と向き合って書いていきたいと思います」

 

【取材後記】

3月11日、佐藤さんは被災地の様子を映した映像を食い入るように見つめていました。「自分がコメントするということを一瞬忘れていた」と話していたのが印象的でした。佐藤さんは、震災をテーマにした作品をいつ書くのかどうか決まっていないと話していました。それでも「表現せずにはいられなかった」という震災。5年後、10年後の被災地の「違う風景」がどのように佐藤さんから見え、紡がれていくのか。次の作品を待ちながら、私も取材者として、自分の出来事として震災の取材を続けていきます。

 

ito_20230322.jpg仙台局記者 伊藤奨
2016年入局。福井局を経て仙台局。現在は経済や文化などを担当。仙台市出身で、震災で自らの生活も変わったことをきっかけに報道を志した。