壺井栄の小説『二十四の瞳』。どこにでもあるような小さな島の、小さな村の分教場の純真な先生と純真な12人の子どもたちが戦争にじわじわ飲み込まれ、やがて終戦を迎え……。文学紹介者の頭木弘樹さんが、この大変有名な小説を読み解きます。(聞き手・川野一宇)
【出演者】
頭木:頭木弘樹さん(文学紹介者)
壺井栄の小説『二十四の瞳』。どこにでもあるような小さな島の、小さな村の分教場の純真な先生と純真な12人の子どもたちが戦争にじわじわ飲み込まれ、やがて終戦を迎え……。文学紹介者の頭木弘樹さんが、この大変有名な小説を読み解きます。(聞き手・川野一宇)
【出演者】
頭木:頭木弘樹さん(文学紹介者)
幼い子どもらは麦めしをたべて、いきいきと育った。
前途に何が待ちかまえているかをしらず、
ただ成長することがうれしかった。
『二十四の瞳』壺井栄 角川文庫
――今回は、あの『二十四の瞳』ですね。
頭木:
はい。
――著者は壺井栄さんです。明治、大正、昭和を生きた小説家、詩人で、児童文学もたくさん書いています。代表作に『二十四の瞳』の他に『母のない子と子のない母と』『柿の木のある家』などがあります。
頭木:
壺井栄は明治32年、1899年の生まれで、同じ年に生まれた人には、『のらくろ』を描いた田河水泡がいます。 川端康成も同じ年の生まれですね。海外だとヘミングウェイ、ナボコフ、ボルヘスなどそうそうたる方々がいます。それから映画監督のヒッチコックも同い年ですね。
――『二十四の瞳』が出版されたのは昭和27年、1952年ですね。
頭木:
終戦が昭和20年ですから、その7年後ですね。『アンネの日記』の日本語訳が初めて出版された年でもあります。
――そうですか、この時代に。
頭木:
『アンネの日記』もそうですけれど、『二十四の瞳』、タイトルは皆さんご存じだと思います。ただ、読んでいるかというと、なかなか読んでいない人も多いと思うんですよ。
――有名な作品なんですがね。
頭木:
私もそうで、だいたいどんな話かというのを知っているせいもあって、実際には読んだことはなかったんです。
川野さんは読んでおられましたか?
――いえ、私も読んでいないんです。
今回手にして、本として読んでいないんだ、映画の影響が大きかったな、と思いましたね。
頭木:
私は、改めてじっくり読んでみようと思ったら、この『二十四の瞳』の朗読がインターネット上にあったんですね。それをきっかけに、ちょっと聴いてみようかと思って。そうしたら、これがとてもよかったんですねえ。
――なるほど、そういう手がありますね。
頭木:
ええ。この壺井栄という人は、おばあさんの昔話とか子守唄とかをたっぷり聴いて育った人で、語り口がとてもいいんですね。朗読にとても向いていると思います。
――とても素直な文章で、難しいところがなくて、聴いていてもすっと入ってきそうですね。
頭木:
そうなんです。こういう文章は簡単に書けそうに見えますが、実は書けないですよね。私の憧れの文章でもあります。
――頭木さんから見てもそうですか。
壺井栄という人はあえてそういう文章を志して、書いていたんでしょうか?
頭木:
新聞のインタビューで、こんなふうに語っています。「下積みの人たちが激しい生活の中に秘めている深い怒りや悲しみを」その人たちにも読まれるように書くことが「信念である」と。(『女性作家評伝シリーズ12 壺井栄』小林裕子著 新典社より)
壺井栄自身も大変な貧乏や病気で苦労した人ですから、そういう思いが強かったんですね。
――ああ、なんとなくわかるような気がします。
頭木:
『二十四の瞳』は、小さな島の岬の分教場にやってきた新任の若い女性の先生と、その分教場に1年生として入学してきた12人の子どもたちとの交流を描いた物語です。
――子どもたちが12人で、瞳が24。二十四の瞳、ということですね。
頭木:
そうですね。その美しい瞳を濁らせたくない、という思いですね。
1928年、昭和3年の4月から約18年間の物語です。
――舞台は小豆島だと思っていましたが、違うんですか?
頭木:
実は、小説には小豆島とは出てこないんですね。でも、全国どこの村でもこういうことがあったはず、というふうにしたかったのかな、と思うんですが。ただ、明らかに小豆島がモデルで、それは間違いないですね。
――壺井栄さんは小豆島の出身であるんですね?
頭木:
そうですね。それで、小豆島を舞台にした小説をたくさん書いています。小豆島は瀬戸内海で二番目に大きな島です。壺井栄は『母のない子と子のない母と』という小説の中で、小豆島のことを「子犬」が「うつむいてごはんを食べているようなかっこう」と表現しています。
――なるほどねえ。
頭木:
島ですからもちろん海がありますし、高い山もあります。川もありますし、海、山、川とそろっています。気候も温暖で、日本で最初にオリーブの栽培に成功した所でもありますね。
――そうなんですか。
頭木:
正直、最初のほうはあまりにものどかで、純真な先生と純真な子どもたちのお話で、ちょっとついていけるかなあとも思いました。それが大変なことになっていくんですよね。
――昭和3年からの18年間ということは、その間に第二次世界大戦が起きるわけで、大変な時代に入りますよね。
頭木:
そうなんです。戦争という大きな世の中の動きとは全く関係なさそうな、小さな島の小さな分教場の、先生と12人の子どもたち。
でも、いやおうなしに、そういうところまで戦争の影響は及んでくるわけです。のどかに始まるだけに、じわじわくる衝撃はすごいですね。
――それが最初にご紹介した言葉につながるわけですね。もう一度、ご紹介しましょう。
幼い子どもらは麦めしをたべて、いきいきと育った。
前途に何が待ちかまえているかをしらず、
ただ成長することがうれしかった。
『二十四の瞳』壺井栄 角川文庫
頭木:
この言葉は、これだけ読むとなんでもないようですけれども、読み終わってから振り返ると非常に胸にこたえますね。
――そうですねえ。
では、『二十四の瞳』がどういうふうに展開していくのか、お話をさらに深めてご紹介をお願いします。
「おなごのくせに、自転車にのったりして。」
『二十四の瞳』壺井栄 角川文庫
――頭木さん、これは確か生徒の言葉ですよね。
頭木:
そうですね。新任の若い女性の先生がやってくるところから物語が始まるわけですが、その先生が自転車に乗ってやってくるんですね。当時の村の人たちは、子どもたちだけではなく大人もみんなびっくりすることだったんですね。子どもたちまで「なまいきじゃな」と言いますし、同じ女性も「おてんば」とけなします。でも、学校まで片道8キロもある道を歩いて通うのは大変ですよね。
――それはそうですよね。
頭木:
今だと、女性が自転車に乗って何がいけないのかさっぱりわからないですよね。こういう時代ごとの不思議なルール、縛りというのはどうしてできるんでしょうね? 今も “女性の制服はスカート”とか、“野球部の部員は坊主頭”とか、不思議なルールはいろいろありますよね。そこから逸脱して、例えば野球部員が長髪にしたりすると全然関係ない人まで不快に感じたりする。考えてみると不思議なことですよね。
――なぜなんでしょうね。規範から逸脱することが気に食わない、許せないんでしょうね。
頭木:
でもですね、「大石先生の自転車いらい、女の自転車もようやくはやりだして」ということになっていくわけです。最初はそうやって非難されましたが、だんだん影響されて、女性で自転車に乗る人が増えてきたんですね。
――大石先生、というのがその先生のお名前なんですね。
頭木:
そうです。小柄なので、子どもたちから「小石先生」というあだ名を付けられてしまいます。
――早速あだ名を付けられて。
頭木:
で、その大石先生の逸脱のおかげで、村の女性たちも自転車に乗り始めるわけです。
そしてさらに、約20年後にはこうなります。
なまいきといわれてけなされた彼女の洋服や自転車は、それがきっかけになってはやりだし、いまでは村に自転車に乗れぬ女はないほどだ。だが二十年近い歳月は、もうだれも若い日の彼女をおぼえてはいまい。
誰かがルールからはみだして、縛りを破って、それでようやく世の中は変わっていくわけです。でも、その最初の人は非難されてしまいます。さらに、世の中が変わったときには忘れられてしまうんですね。
――きっかけを作った人なのに。
自転車という身近なものを使って、そういうことを巧みに説明していますね。
頭木:
そういうことが壺井栄は本当にうまいですよね。
小説全体を通して、自転車の話が何回も出てきます。戦後についてはこう書いてあります。
戦争は自転車までも国民の生活からうばいさって、敗戦後半年のいま、自転車は買うに買えなかった。
自転車という身近なものだからこそ、女性の立場とか、戦争の影響とか、そういうものがとてもわかりやすく伝わってきますね。
――『二十四の瞳』の中にはこういう言葉も出てきます。女の子の生徒の言葉です。
私は女に生まれて残念です。私が男の子でないので、お父さんはいつもくやみます。
頭木:
同じことを紫式部も言ってましたよね。
――「紫式部」の回で以前言ってましたねえ。紫式部が難しい漢文などをたちどころに覚えてしまうのに兄弟は物覚えが悪く、ああ、この子が男だったらなあ、とお父さんが言った、ということを覚えています。
頭木:
そんなにも長い間、女性は嘆かなければならなかったわけですね。
――この『二十四の瞳』という小説の冒頭に、こういう文章があります。
選挙の規則があらたまって、普通選挙法というのが生まれ、二月にその第一回の選挙がおこなわれた、二か月後のことになる。
頭木:
そこから物語が始まるのですが、昭和3年2月20日の第1回普通選挙で初めて満25才以上の、ほぼすべての男性に選挙権が与えられたんですね。でも“ほぼすべての男性”であって、女性にはまだ選挙権がありませんでした。
――信じられませんねえ、今からは。
頭木:
女性も選挙に参加できたのは昭和21年4月10日のことで、なんと18年後、戦後なんです。
今は選挙に行かない人も多いですけれど、選挙権って健康みたいなものだなあ、と思ったりします。
――それはどういうことですか?
頭木:
手にしているときには、どうでもいいものに思えて軽く扱ってしまうわけですけれど、いざ失ってみると、これは大変なことですよ。
――ああ、そうか。いろいろな人がすごい苦労をしてようやく手にした選挙権。でも実際には軽く扱われ過ぎていませんか? ということですよね。
頭木:
そうですねえ。まあ、そう言いながら、実は私も以前は投票に行ってなかったんです。だから偉そうなことは言えないんですが、最近は必ず行くようにしています。
――私もそうしておりますけれど、頭木さんは二十歳の頃から13年間病気で苦しみましたから、投票に行くチャンスもなかなかなかったでしょうね。
頭木:
でも、何らかの方法で投票しなければいけなかったなあと反省しています。
【放送】
2024/02/26 「ラジオ深夜便」
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