紫式部の「絶望名言」後編

絶望名言

放送日:2024/01/29

#絶望名言#歴史#平安#大河ドラマ

古今東西の文学作品の中から、絶望に寄り添う言葉を紹介し生きるヒントを探す「絶望名言」。文学紹介者の頭木弘樹さんが、紫式部の絶望を読み解きます。(聞き手・川野一宇)

【出演者】
頭木:頭木弘樹さん(文学紹介者)

面白くもない庭でただ季節を知るだけ

面白くも何ともない自分の家の庭をつくづくと眺め入つて自分の心は重い圧迫を感じた。(中略)苦しい死別を経験した後の自分は、花の美しさも鳥の声も目や耳に入らないで、唯(ただ)春秋(はるあき)をそれと見せる空の雲、月、霜、雪などに由(よ)つて、ああこの時候になつたかと知るだけであつた。何処(どこ)まで此心持が続くのであらう、自分の行末(ゆくすゑ)はどうなるのであらうと思ふと遣瀬(やるせ)ない気にもなるのであつた(後略)。

 紫式部

(与謝野晶子訳『紫式部日記』 『鉄幹晶子全集〈16〉』勉誠出版より 以下同)

――紫式部は、苦しい死別を経験したと言っていますね。

頭木:
これは夫を亡くしたということです。

――結婚していたんですね。

頭木:
はい。当時の女性は、10代前半に裳着(もぎ)の儀式、成人式のようなものですが、それを済ませると、親の決めた相手と結婚していたそうです。でも、紫式部は、20代になっても結婚していませんでした。結婚したのは、29歳頃ともいわれています。だとしたら、当時としては、相当遅かったと思います。

――お相手はどういう方だったんですか。

頭木:
熱心に言い寄ってくる男性がいたんですね。かなり年上で、紫式部と同じくらいの年の息子もいたんです。つまり、親子ほど年が違ったんです。正妻がいて、側室がいて、その他に愛人もいました。でも、結婚して娘も生まれたんです。ところがこの夫が、結婚して2年数か月で亡くなってしまうんです。残された紫式部は、そんなふうに思いがけなく変わっていく人生というものに無常を感じて、この先どうなっていくのかと心細く思ったわけですね。そのさびしさの中で、物語を読んだり、さらに自分でも書いたりし始めるんです。

――なるほど。このあたりから、書き始めるんですか。

頭木:
そうなんです。こうして『源氏物語』が生まれていくわけです。それを、友達に読んでもらったり、文学好きに読んでもらったりしているうちに、評判になっていったんですね。そして、ついに藤原道長の目にとまって、スカウトされて、中宮(ちゅうぐう)彰子(しょうし)に仕えることになるんです。中宮彰子は、藤原道長の娘ですね。

――ここで、紫式部は女房になるというわけですね。藤原道長といえば、あの有名な歌、「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」を詠んだ人ですね。

頭木:
これはすごい歌ですよね。こんなに自分の人生に満足している人って、歴史上でも、なかなかいないですよね。だからいつも、うらやましいなぁと思います、ほんと……。ただこのときは、まだこの歌を詠む前で、娘を天皇の后(きさき)にして、これからさらに権力の階段を上っていこうとしているときです。

――紫式部は、そういうすごい人に選ばれて、いわばスカウトされて、中宮のそばに仕えるという名誉なことになって、喜んだでしょうね。

頭木:
それが、そうではないんですね。紫式部は宮仕えなんかしたくなかったんです。内向的で人づきあいが苦手なわけですから、そんな気を遣うところにひっぱり出されたくないですよね。いくら偉い人だからといったって、仕えてその下で働くわけですから。

――でも藤原道長に言われたとなると、なかなか断れない、逆らえないということになりますね。

頭木:
そうですね。女房になって、それから何年も務めることになります。紫式部の人生、なかなか意外な展開ですよね。

――では、次の紫式部の絶望名言をご紹介しましょう。

宮仕えに慣れた自分は悲しい運命の女である

初めて御奉公に出たのもこの十二月の二十九日と云ふ日であつたと思ひ出して、その時分に比べて人間が別な程宮仕(みやづか)へに馴れたものになつて居る。自分は悲しい運命の女であるなどとしみじみと思つた。

 紫式部

――嫌だった宮仕えにも、紫式部はだんだん慣れていったわけですね。

頭木:
そうですね。これは、宮仕えに出てから2~3年くらいたったときの言葉です。

――慣れたならよかったと思うんですけれども、どうして紫式部は、自分は悲しい運命の女であるなどと思ったんでしょう。

頭木:
好きではない仕事に慣れていくって、悲しくないですか? ただ仕事に慣れるだけならいいんですけど、その仕事向きの人間に、自分も変わっていってしまうわけですよね。

――そうですね。そうせざるを得ないところもありますね。

頭木:
私は、30代後半くらいだったと思いますけど、中学校のときの同窓会に出たことがあるんです。とても懐かしくて楽しかったんですけど、当然、みんなすごく変わっているわけです。外見もですが、性格もすごく変わっていて、営業の仕事に就いた人は営業マンらしくなり、学校の先生になった人は先生らしく、銀行員は銀行員らしく、医者は医者らしく……そんなふうに、みんなその職業らしい性格に変わっていたんですね。中学生のときのみんなの性格を知っているだけに、とてもびっくりしました。職業が、人の性格をこんなに変えるものなのかと。私は当時、無職でしたから、よけい驚いたんです。

――頭木さんは、二十歳から難病でずっと闘病しておられましたからね。

頭木:
自分自身を振り返ってみたとき、そのとき初めて気づいたんですけど、いつの間にか自分は病人らしくなっていたんですね。みんなが職業の人らしくなっているのに、自分はずっと病人だったから、病人らしくなっていた。同窓会でそのことに気づいて、すごく嫌でした。病人らしさって……ありますよね。卑屈だったり、くよくよしてたり。長年の病人生活で身についたいろいろなことが、ゆっくりだから当人は自覚しづらいですけど、やっぱり変わっているんです。好きで病気になったわけじゃないですから、病人らしくなんかなりたくないわけです。

それと同じで、好きな仕事に就いた人はいいですけど、生活のためとか、なんらかの理由で好きでもない仕事をしている場合、その仕事らしい人間になっていくというのは、やっぱり同じように嫌だろうなと、思いましたね。だから紫式部も、そういうことじゃないでしょうか。宮仕えが嫌だったのに、いつの間にか女房らしい人間になってしまっている。そういう自分に気がついて、「自分は悲しい運命の女であるなどと、しみじみと思った」と書いたんじゃないでしょうか。

――そう言われると、なるほどと思いますね。それでは、次の紫式部の絶望名言をご紹介しましょう。

ぼーっとしたキャラは悔しくも本望である

自分は他から見て呆(ぼ)けたやうな人間になつて居るのである。それを人が見て、あなたは斯(か)う云ふ方だとは想像しなかつた、艶(えん)な、美人らしくして居る人で、交際(つきあ)ひにくい風(ふう)な、何時(いつ)もしんみりとした真実(ほんとう)の調子を見せてくれない人で、小説ばかり読んで居て、華やかなことを人に言ひかけたりすることが好きで、なんぞと云ふと思つたことを歌で述べる人で、人を人とも思はず軽蔑するやうな人であらうと、皆が評判して憎んで居たのです、今あなたを見ると、不思議な程大(おほ)やうで、そんな人では無い気がすると自分のことを云ふのを聞くと、自分は恥ずかしくなつて、他から与(くみ)し易(やす)い女として軽蔑されて居るのであると思ふ一面に、またさう云われるのが自分の本懐であるとも思ひ、猶(なお)さう思われたいと云ふことを望みにして日を送つて居る。

 紫式部

――これは、宮仕えをしているときの、他の女房たちとのことでしょうか。

頭木:
そうです。中宮彰子のところに出仕したときに、先にたくさん女房たちがいたわけですね。前からいる女房たちにしてみたら、『源氏物語』を書いた女性がスカウトされてやってくるというので、どんな人が来るのか、それは気になりますよね。ツンとすました、人を見下すような人が来るんじゃないかと恐れていたわけです。

――「皆が評判して憎んで居た」というんですから、そこにやってきた紫式部も大変だったでしょうね。

頭木:
そうなんです。紫式部は他の女房たちとうまくいかなくて、初出仕の後、数日で実家に逃げ帰って、5か月近くも家にひきこもっていたんです。でも、道長に呼ばれたのに、そのままひきこもっているわけにはいきませんから、なんとかまた出仕したみたいですけど、紫式部は、ちょっとぼーっとしたキャラを演じるわけです。

――周りから反感を買わないようにしたわけですね。

頭木:
そうですね。私の知り合いで、「擬態」ということを言っている人がいました。

――擬態。他のものに姿を似せることですから、本当の自分を隠すということでしょうか。

頭木:
そうですね。本当の自分のままでは周囲とうまくいかないから、うまくいくキャラクターを演じるということですよね。だから紫式部も、擬態をしてずっと暮らしていたということですよね。

――フリをして。苦労しましたね、紫式部さんは。

頭木:
ぼーっとしたキャラを演じることで、見下されているんだろうなと悔しくもあり、でも、それこそ望んでいることでもあり、両方の気持ちがあって、そこは複雑ですよね。だから本当は、人からどう思われても気にしないのが一番いいわけですけど、紫式部もこう言っているんです。

もう自分は人の評判などに構つて居ないことにしよう、
人がどう云はうとも斯(か)う云はうとも頓着(とんぢやく)せずに

頭木:
こういうふうに思うわけですが、やっぱりそうもいかなくて、また人目を気にしてしまうわけです。人目を気にしないほうがいいからといって気にしないようにできる人なら、そもそも気にしてないですよね。そうはいかないところが人間の弱さであり、その弱さがまた人間の魅力でもありますよね。そういう人の心の機微がわかっていたからこそ、紫式部はいい小説が書けたんじゃないでしょうか。

――そうですね。では、次の紫式部の絶望名言をご紹介します。

みこしの担ぎ手、その苦労は自分も同じ

着御(ちやくぎよ)遊ばされたのを見ると、駕輿丁(かよちやう)は下賤ながらも階段(きざはし)の上に昇つて居て、そして勿体なささうに、身の置き所が無いと云つた様子でひれ伏して居た。自分はそれを人事(ひとごと)とは思へなかった。
(中略)
苦労の尽きないことは自分も同じであると思ふのである。

 紫式部

――ちょっと言葉が難しいですね。どういう状況でしょう。

頭木:
中宮彰子に男の子が生まれて、一条天皇が対面のためにお越しになったんです。もちろん、ご自身で歩いてはこられませんから、みこしに乗ってこられます。そのみこしは係の人たちが担いでいるわけですね。その係の人たちが駕輿丁ですけど、担いだまま、階段を上がったわけです。みこしを担いで階段を上がるって、大変ですよね。そのまま上がったら、みこしが斜めになって乗っている一条天皇が転げ落ちてしまって大変ですから、階段を上がるときも、みこしを水平に保たなければならないわけですね。つまり、前のほうを担いでいる人は、体をかがめなければならない。そういう姿勢で、重いこしを担いで階段を上がらなければならないわけです。

その苦しそうな姿に、紫式部は目がいくわけです。でも、これ、すごいことだと思うんです。たぶん、他の人はそこに目が向かないですよ。だって一条天皇が来られたわけですから、普通、そちらに目を奪われますよね。天皇のみこしは鳳輦(ほうれん)と呼ばれる立派なものなんです。屋根の上に、金色の鳳凰(ほうおう)が飾りつけてあったりして。しかも、天皇を迎えるために、船楽(ふながく)といってすばらしい音楽も演奏されているんです。うっとりして、すてきだなぁとなるのが普通ですよね。そういうときに紫式部は、みこしを担いでいる身分の低い人たちの苦しそうな姿に目が向くわけです。これ、すばらしいですよね。

よく、ポジティブ・ネガティブの例え話で、同じ窓から外を見ていても、ポジティブな人は上の美しい星を見て、ネガティブな人は下の地面を見る、だからポジティブなほうがいいでしょ、みたいな話をしますが、本当にそうかなと思うんです。みんなが美しい星を見ていて本当にいいのかな、と。地面を見る人も必要じゃないかなと思うんですよね。

少なくとも私は、天皇の行幸(みゆき)というきらびやかなシーンで、そのみこしを担いでいる身分の低い人たちの苦しそうな姿のほうに目が向いてしまう、そういう紫式部が好きです。しかも、その身分の低い人たちに、かわいそうねと同情するだけでなく、自分と同じと思っているんですよね。ひと事として同情しているわけじゃなくて、自分と同じだと、一緒に悲しんでいるわけです。なかなかこういう人はいないですよね。

――頭木さんが紫式部を好きな理由が、だんだん分かってきました。

遊ぶ水鳥も実は苦しいのかも知れない

――最後にご紹介する紫式部の絶望名言について、ご説明ください。

頭木:
人の悲しさに目が向く紫式部ですけど、人だけじゃなくて、池にいる水鳥たちを見ても、ああして楽しく遊んでいるように見えるけれども、実は内心は苦しいんじゃないかなとか、これもまた自分を重ねてそう思って、歌を詠んだりするわけです。そういうふうに、何を見ても悲しいほうに気持ちが向いてしまうので、そういう自分がまた苦しいとも嘆いています。いいですよね。だからなんだか、1000年前の人という気がしませんよね。共感できる人は多いんじゃないかなと思います。

――では、その言葉を最後にお聴きいただきましょう。頭木さん、今回もありがとうございました。

頭木:
ありがとうございました。

立派なこと、面白いことを見聞きしても、忘れ得ない悲哀に引かれる心の方が強いために、好(い)いことや面白いことにも心底からさうと感じることの出来ないのが自分としては苦しいことに思つて居る。
(中略)

水鳥(みづどり)を水の上(うへ)とやよそに見(み)んわれも浮(う)きたる世(よ)を過(すぐ)しつつ

あの鳥もあんなに面白さうにして居るとは見えても、彼自身は苦しいのかも知れないと、自分に比べて思はれるのであつた。

 紫式部

光る君へ

日曜日 [総合] 午後8時00分/[BS・BSP4K] 午後6時00分

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【放送】
2024/01/29 「ラジオ深夜便」


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