紫式部の「絶望名言」前編

絶望名言

放送日:2024/01/29

#絶望名言#歴史#平安#大河ドラマ

古今東西の文学作品の中から、絶望に寄り添う言葉を紹介し生きるヒントを探す「絶望名言」。文学紹介者の頭木弘樹さんが、紫式部の絶望を読み解きます。(聞き手・川野一宇)

【出演者】
頭木:頭木弘樹さん(文学紹介者)

日記で知る紫式部はいつもかなり絶望していた

人生の苦(にが)さを味(あぢは)つて居る

過去を悲(かなし)んで灰色になつて居る心

 紫式部

(与謝野晶子訳『紫式部日記』 『鉄幹晶子全集〈16〉』勉誠出版より 以下同)

――今回は紫式部です。紫式部は、平安時代中期の作家・歌人で、『源氏物語』の作者です。『源氏物語』はおよそ1000年前に書かれた物語ですが、いまだにとても人気がありますし、日本だけではなく20か国以上の言語に翻訳され、世界でも高く評価されています。

頭木:
『源氏物語』を書いた作者の紫式部が、いったいどういう人なのか、気になりますよね。それを今回、ご紹介したいと思います。実は『紫式部日記』というのがあるんです。ただ、日記といっても、誰にも読まれないように、こっそり書いていたプライベートなものではなくて、みんなに読んでもらう公式記録のようなものなんです。

――日記ではあるけれども、公式的な記録のようなものだったということですか。

頭木:
当時、「女房日記」というものがあったそうです。「女房」というと、今では妻のことですけど、当時は「宮廷や貴族の屋敷で働いている女性」のことですね。紫式部も「女房」でした。中宮(ちゅうぐう)彰子(しょうし)に仕えていました。中宮というのは天皇の后(きさき)、つまり妻のことです。その中宮彰子の出産の様子を記録しているのが『紫式部日記』なんです。

――公式的な記録だとすると、紫式部自身のことはあまりよく分からないんじゃないですか。

頭木:
それが不思議なことにですね、紫式部自身の内面の思いが、かなり書き込んであるんです。いかにも公式記録なところと、すごくプライベートな心情の描写と、両方が混在しているんです。

――どうしてそんなことになったんでしょう。

頭木:
これはいろいろ説があるようです。公式記録として書いた後に、自分のプライベートな内面を書き足したんじゃないかとか、誰かに書いた手紙が混じったんじゃないかとか。いずれにしても『紫式部日記』のおかげで、紫式部がどんな人なのかが分かるわけです。やっぱり書き残すというのは、大きいですね。

――そうですね。では紫式部は、どういう方だったんでしょう。

頭木:
ひと言で言うと、いつもかなり絶望しているんです。

――おおっ……この番組にうってつけという感じがしますね。『源氏物語』の作者ですから、それこそ、恋多き才女で華やかな感じの人かと思っていましたが。

頭木:
そうですよね。それが、当人は、いたって地味で真面目で、恋愛にも消極的で、内向的な人で、人づきあいが苦手で、感じやすくて落ち込みやすくて、すぐにネガティブなことを言うという、そんな感じなんですよね。だから実は紫式部は、絶望名言だらけなんです。ですから、今回は『紫式部日記』から、いろいろな紫式部の言葉をご紹介したいと思っています。ただ、原文は古文なんですよね、平安時代ですから。現代語訳でご紹介したいと思うんですけど、まるっきりの現代語訳だと、ちょっと趣がないのでどうしようかなと思っていたら、与謝野晶子が『紫式部日記』を訳しているんですね。

――与謝野晶子は、明治から昭和にかけて活躍した歌人で、『源氏物語』も訳していますね。

頭木:
そうなんです。与謝野晶子は12歳の頃に『源氏物語』を素読していたという人で、『源氏物語』の文体とかリズムが、体にしみついているんですね。『源氏物語』の訳も、学者の訳のように一語一語正確というのではないんですが、原文が伝えようとしていることを見事にくみ取って、美しい文章にしているんです。大正時代の訳なので現代では少し難しいんですが、それもちょうどいいくらいかなと。そういう古風な感じのする訳で、紫式部の言葉を味わっていただければと思います。

――わかりました。では冒頭でご紹介した紫式部の言葉を、改めてご紹介しましょう。

人生の苦(にが)さを味(あぢは)つて居る

過去を悲(かなし)んで灰色になつて居る心

 紫式部

頭木:
これは『紫式部日記』の冒頭のところの一節ですが、冒頭から自分のことをこんなふうに描写しているんですね。さらにいくつかあります。

自分は過去に何と云ふ長所も無く、
さればと云つて未来に希望と慰藉(いしゃ)を求めることも出来ない女である

自分の憂悶が人並のものであつたなら

 紫式部

頭木:
過去もダメ、未来もダメという、なかなかのネガティブさですよね。自分の憂悶(ゆうもん)が、人並みのものであったならと言うほどですから、人並み外れて、うつうつと悩んでいたということですよね。

――『源氏物語』のようなすばらしい物語を書ける人が、どうしてこんなに暗く落ち込んで悩んでいるんですか。

頭木:
それをこれから見ていきたいと思います。

――では、次の紫式部の絶望名言をご紹介します。

紫式部が女に生まれて「自分は不幸」と嘆く父

兄の式部丞(しきぶのじよう)が子供の時分に史記を習つて居るのを傍(そば)で聞き習つて居て、兄のよく覚えなかつたり、忘れて居たりする所を自分が兄に教へるやうなことをしたので、学問好きの父は、
「残念なのはこの子を男の子に生まれさせなかつたことだ。自分はこの一事で不幸な人間と云つていい。」
と常に嘆息をした。

 紫式部

――なんだかお兄さんがかわいそうです。

頭木:
これは、弟という説もあります。ともかく長男がいて、父親が熱心に勉強を教えるんですけど、あまり勉強に向いてないんですね。一方で娘の紫式部は、それをそばで聞いているだけで覚えてしまう。勉強に向いているわけです。それで父親が紫式部に、おまえが男の子ではないのが残念だと言うわけですね。

――これは、女の子にとっても男の子にとっても、ショックなことがらです。

頭木:
そうですよね。当時の男性貴族は、漢文を習得しないといけなかったんです。一方で、女性は漢字を使うことはなかったんです。それどころか「女性が学問をすると、不幸になる」と言われていたようですね。紫式部が大人になってからのことですけど、家で漢文の本を読んでいると、侍女たちが集まってきて、こんなことを言うんです。「奥様(おくさん)はああしたむづかしい物のお読めになるのが却(かへつ)てご不幸な原因(もと)になるのですよ。女と云(い)ふものは全体云えば漢字で書いた本などを読んでいいものではありませんよ。昔はお経さへもそんな理由で不吉だと云つて女には見せなかったさうですよ」。女性が男性みたいに漢字の本を読んではよくない、不吉だとまで言うんですから、すごいですよね。紫式部は、こう書いています。

自分の家の侍女達にさへも読書の気兼(きがね)をする自分では無いか。

頭木:
自分の家でさえ、漢字の本は読みにくかったわけです。

――中宮彰子に仕えているときはどうしていたんでしょう。

頭木:
それについては、こんなエピソードが『紫式部日記』の中にあります。

左衛門(さゑもん)の内侍(ないし)と云ふ女がある。不思議にも自分に悪感情を持つて居ると云ふことである。自分にはどう云う理由(わけ)か解らない。その人の口から出たと云う悪評を随分多く自分は聞いた。陛下が源氏物語を人に読ませてお聞き遊ばれた時に、
「この作者は日本記(にほんぎ)の精神を読んだ人だ。立派な識見を備へた女らしい。」
と仰せになつたことに不徹底な解釈を加へて、
「非常な学者ださうですよ。」
と殿上(でんじやう)役人などに云い触らして日本記のお局(つぼね)と云う名を自分に附けた。
(中略)
此事を聞く女達がまたどんなに自分に反感を持つかも知れないと恥しくて、御前に居る時などはお屏風の絵の讃にした短い句をも何事か解らぬ風をして居たのである。

頭木:
「日本記」というのは、『日本書紀』から『日本三代実録』までの六国史(りっこくし)のことだそうで、いずれも漢文で書かれているそうです。それを男性が理解できるのは立派なことだけど、女性だと、こうしてからかいや反感のたねになってしまうわけですね。だから紫式部は、屏風(びょうぶ)に書かれた漢字も読めないふりをしていたと。それどころか、こう書いています。

一と云う漢字をさへも書くのを憚(はゞか)つた。

頭木:
これはすごいですよね。「一」という漢字は、横に棒をひっぱるだけですからね。それも、書かないようにしていたと。そこまで隠さないといけなかったんですね。

――でも、紫式部は『源氏物語』を書いたわけです。当然、それは漢字を使わずに書いたということになりますね。

頭木:
そうですね。平安時代に入ってひらがなが発明されて、女性も文字を使えるようになって、女文字とも呼ばれていたそうです。だから、かなで書いたんでしょうね。ただ、紫式部の直筆原稿は残ってないんです。すべて写本、つまり他の人が書き写したものです。だから確実なことはわかりませんけどね。

――紫式部は漢文の読み書きができたのに、女性であるがために、それを発揮できないどころか隠さなければならなかった。なんと残念なことでしょう。

頭木:
父親から「おまえが男の子だったら……」と言われたのは、きっとショックだったでしょうね。でも、これは1000年以上前の話ですけど、けっこう最近までこういうことはありましたよね。これは何十年か前の研究だったと思いますけど、アメリカの心理学の本に書いてあったんですが、成績のよかった女性が大学に進学した後、成績が下がる傾向があると。それはなぜなのかを調べたら、男性以上に勉強ができると、かえって社会の中で不利になるから、あえて抑制していたと。これを読んで、アメリカでもそうなのかとびっくりしたことがあります。今もまだ、そういうことは残っているかもしれません。われわれは男性なので気づきにくいですけど、今も紫式部のように苦しんでいる女性が多いのかもしれませんね。

男性のほうも、紫式部の兄か弟のように、自分に向いていないことを「男性だから」と強いられるのは、これもまたつらいですね。だから平等に、適材適所ということになるといいんですけど。

【絶望音楽】テイラー・スウィフト「ザ・マン」

――それではここで、頭木さんに選んでいただいた「絶望音楽」をお聴きいただきましょう。

頭木:
今回は、テイラー・スウィフトの「ザ・マン(The Man)」という曲です。「もし自分が男だったら……」という内容で、男と女では社会の対応が違うということを、コミカルかつ、かなり痛烈に批判している曲です。紫式部もきっと、「自分が男だったら、漢文が読めることも隠す必要がなかったし……」とか、そんなふうに思うこともあるんじゃないかと思って、この曲を選んでみました。

♬ テイラー・スウィフト「ザ・マン」

光る君へ

日曜日 [総合] 午後8時00分/[BS・BSP4K] 午後6時00分

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【放送】
2024/01/29 「ラジオ深夜便」


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