川柳の「絶望名言」前編

絶望名言

放送日:2023/12/25

#絶望名言

現代でも人気の「川柳」ですが、今回は江戸時代の川柳「古川柳」を文学紹介者の頭木弘樹さんが読み解きます。江戸から現代、生活は大きく変わりましたが、川柳で詠まれる事柄は恋愛や親子関係、子育てや仕事での苦労、お酒の失敗など普遍的なものばかりです。(聞き手・川野一宇)

【出演者】
頭木:頭木弘樹さん(文学紹介者)

人間の根本的な気持ちはいつの時代も変わらない

大晦日(おほみそか)首でも取つてくる気なり

『柳多留』第一巻 岩波文庫

――今回は「川柳」ですよね。

頭木:
はい。

――昔の、江戸時代の川柳、「古川柳」ですね。

頭木:
川柳は今も盛んで、サラリーマン川柳とか、シルバー川柳とか、おもしろいものがたくさんありますよね。

――月刊誌「ラジオ深夜便」のほうでも川柳のコーナーがありまして、評判がいいんですよ。

頭木:
そうですか。日本の古いもののよさを改めてじっくり味わっていただきたいので、今回は古い川柳をご紹介したいと思います。

――古くなると時代背景がわからなくなってくる、というものも結構ありますね。

頭木:
そうなんですよね。江戸時代と今では生活がすごく変わりました。何しろ、江戸時代には電車も車もないわけですから。スマホどころかテレビもラジオもありませんしね。それはもう大変な違いですよね。そういう激しい変化を受けて、人の気持ちもずいぶん変わったんだと思います。でも、恋愛したり、親子でもめたり、仕事で苦労したり、お酒飲んだりギャンブルしたり、全然変わらないところもたくさんありますよね。

――そこのところを聞くと、ああ、変わらないな、と。基本的なものというのは変わっていないのかもしれませんね。

頭木:
ええ。古い川柳を見ていると、本当にそう思いますね。昔の川柳で今でも心に響くものというのは、やはりいつの時代でも変わらない、人間の根本的な気持ちを描いてるんだと思います。

――そうなんでしょうね。俳句と川柳の違いというのは大体分かるような気がするんですが、実際はどこがどういうふうに違うんでしょうか。

頭木:
どちらも基本的に「五・七・五」の文字数ですね。で、俳句には「季語」、季節を表す言葉が入るんですが、川柳は入っていなくてもいいと。
俳句には「切れ字」というものもありますね。例えば「かな」とか「けり」とか。これも、川柳はなくてもいいと。

――なるほど。川柳の方はより自由がきくということですね。

頭木:
あと、俳句の場合は主に自然を詠みますね。で、川柳は主に人間を詠む、というところの違いでしょうか。

――笑える内容が多い、ということでしょうね。

頭木:
川柳は基本的に風刺やユーモアですよね。笑えるものがすごく多いと思います。

――その笑える川柳の内容を、どうして「絶望名言」という時間で取り上げようと思ったんですか?

頭木:
ふふ(笑)。それですよね。笑えると言っても、おもしろい冗談を言えば川柳になるかというとそうではなくて、これは落語と同じで、やっぱり、人間のダメさとかかなしさとか絶望とか、そういうものを表現しているのが多いんですよね。で、それをあえて笑いにするという。

――なるほど。以前「チャップリン」の回で、こういう言葉があったのを覚えています。

人は
圧倒されるような失意と苦悩のどん底に
突き落とされたときには、
絶望するか、
さもなければ、
哲学かユーモアに訴える。

チャップリン

川柳も同じで、人の失意や苦悩や絶望、これをユーモアに訴えるというか、ユーモアにするということなんですね。

頭木:
本当にそうだと思います。チャップリンと同じというのもおもしろいですけれども、だから味わい深いんですよね。

――だから、江戸時代のものでも今も笑える、という内容になるんですね。

頭木:
そういうことなんですよね。笑いというものは変化しますが、人間の苦悩や絶望、ダメさ、そういうものはなかなか変化しませんからね。

――では、冒頭でご紹介した川柳をあらためてご紹介しましょう。

大晦日(おほみそか)首でも取つてくる気なり

『柳多留』第一巻 岩波文庫

これは前に「お金」の回でもご紹介したことがあって、覚えている方もいらっしゃるかもしれませんが。

頭木:
そうですね。改めてのご紹介です。

――そのときも説明はしましたけれども、改めて説明をしていただけますか。

頭木:
昔は、米でもみそでもお酒でも“つけ”で買えたわけですね。で、「節季」と言って、年に何度か支払いの時期があって、その中でも大みそかは一番大きな区切りです。この日は「掛け取り」という、つけのお金を取りに来る人も必死です。なんとしても払ってもらおうと。でも、つけを払うほうももちろん大変です。
こんな川柳もあります。

大晦日首でよければやる気なり

――なげやりですね(笑)。

頭木:
もうお金はないから、首でもなんでも持って行ってくれ、という。

――大みそかはそういう、駆け引きというか攻防が繰り広げられていたわけですね。

頭木:
ええ。これも笑えますけれど、実際には大変なことですよね。今でも年末の寒い時期にお金がなかったり、借金があったりすると大変ですよね。世の中はクリスマスとかお正月とかいろいろ華やかに盛り上がっていますから、ますます寒さが身にしみますよね。私も闘病中は無職で、お金に苦労しましたから、年末は特に心細い気持ちになりましたね。

――ああ、それはそうかもしれませんねえ。ということは、実はそういう絶望的な状況が描かれてもいるわけですね。
というわけで、なぜ「絶望名言」で笑える川柳を取り上げるのか、ということがよくわかりました。

ひとり「屁」と「咳」

屁をひつてをかしくもないひとり者

『柳多留』第二巻 岩波文庫

――さみしいですねえ。おならをしても笑う人もいない。孤独、という内容ですねえ。

頭木:
そうですね。俳句にも同じようなことを詠んだ有名な句がありますよね。

咳をしても一人

――思い出します。尾崎放哉ですよね。

頭木:
ええ。山頭火にもありますね。

咳がやまない背中をたたく手がない

――「種田山頭火」の回でご紹介しましたね。

頭木:
どちらもとてもさびしくて、切ないですよね。
これは「咳(せき)」だからで、これを「屁(へ)」に変えるだけで川柳になるわけですね。

――ふっふっふっ(笑)、そうですね。ぐっとくだけた感じになって、笑いがあるということになりますね。

頭木:
ええ。尾崎放哉や山頭火のこの句で笑う人はいませんけれど、この川柳だとふっと笑いますよね。でも実はかなしいと。そこが川柳の味ですよね。

――絶望的なことをユーモアで描くという内容なんですね。

頭木:
そうですね。「屁をひつて」なんて下品な下ネタと思うかもしれませんが、おならをそうやって隠すこと自体、実は人を苦しめる場合もあるわけですね。
こういう川柳もあります。

嫁の屁は五臓六腑をかけめぐり

おならをしないように我慢しているので苦しくて、そのおならが五臓六腑(ろっぷ)を、おなか中をかけめぐる気がする、ということですね。
昔の女性は、おならもなかなか自由にできなかったわけです。生理現象なのにひどい話ですよね。すごく大きなおならをしたせいで家を出されるなんて昔話も各地にあります。でも、結局はおならのおかげで手柄を立てて、どうか家に戻ってくれという展開になるんですけれどもね。

――おならぐらいちゃんと出してもかまわないじゃないか、ということですね(笑)。

頭木:
そうですね。

お酒の失敗は神代の時代から

神代にもだます工面は酒が入り

『江戸川柳辞典』浜田義一郎編 東京堂出版

――頭木さん、これはどういう意味なんですか?

頭木:
これは説明がないとわかりにくいかもしれませんね。八岐大蛇(ヤマタノオロチ)のことです。須佐之男命(スサノオノミコト)は八岐大蛇を退治するときに8つの酒だるを用意して、お酒に酔わせて退治しますよね。
これは『古事記』とか『日本書紀』に出てくる話ですけれど、そういう神代の時代から相手をだます工夫として、お酒が用いられるということですね。

――なるほど。

頭木:
神代の時代から今に至るまで、お酒の失敗は多いですよね。川野さんはご経験、おありですか?

――いえ、私はお酒、飲めないんです。全然。

頭木:
あっ、全然飲めないんですか?

――飲めないです(笑)。

頭木:
もともと、ですか?

――もともとです。

頭木:
そうですか。私はもともとは飲んでいたんです。すごく好きだったんです。

――じゃあ、強い方でした?

頭木:
そうですね、普通……でしたかね。だんだん量が増えていった感じだったんですが、難病になってお酒がだめになって、そこからはずっと飲んでいないんです。
飲んでいた人間が飲めなくなると、つきあいが難しくなったんです。

――ああ、そうでしょうねえ。

頭木:
あと、やっぱりつまらないなと思いましたし。
お酒を飲む人は「お酒を飲めない人生なんて生きている意味がないね」と(笑)。そこまで言うんだ、と思います。私は、今では全くそんなことは思わなくなって、ブドウジュースとかリンゴジュースをおいしく飲んでいます。

――おとなしく(笑)。

頭木:
私はお酒を飲む人につきあうのは好きなんですよ。自分は飲まずにね。それについて、かなりひどいというか(笑)、そういったセリフが山田太一脚本の『ふぞろいの林檎(りんご)たち』にあるんです。

「酔うのが嫌いなんだ」
「もっとも、人が酔って行くのを見てるのは、それほど嫌いじゃあない。毒薬が、段々きいてくるのを見ているようでね」
「当人はまだちっとも酔っていないつもりで、口調が少しだらしなくなったりする。そのうち顔が赤くなる。醜くなる」
「話がくどくなって、グラスを倒したりする。あとで思い出したら、死にたくなるようなこともしゃべり出す。吐いたりもする」
「それをのまないで見てるのは、楽しみでなくもない」

山田太一『ふぞろいの林檎たち』 新潮文庫

こんなこと言われたら飲めなくなりますよね。酔っている姿というのは、はたから冷静に見られるとつらいですよね。

――そうですよね。

頭木:
こういう川柳もあります。

酔つたあす女房のまねるはづかしさ

酔っ払って帰ってきた翌朝、妻はその様子をまねるわけですね。「あなたはこんなふうに酔っぱらっていた」と。夫のほうは全然覚えていなくて、まねされて恥ずかしいということですね。

――飲んだ翌日、一緒に飲んだ人から「昨日、こんなことしてたよ」とか「こんなこと言ってたよ」と言われて「えーっ、そんなことしたのか、そんなこと言ったのか」となるのは、これはちょっとつらいですね。

頭木:
そうですよね。もう一つ、こういう句もあります。

酔ひざめに土瓶のふたが鼻へおち

酔ったあとって水が飲みたくなりますよね。眠って、夜中に目が覚めたときとか。「酔いざめの水、千両と値が決まり」という言葉があるくらいです。そういうときに水が猛烈に飲みたくて、まだ酔いも残っていますから土瓶に口をつけて直接飲もうとして、それで土瓶のふたがパタッと鼻に落ちるわけですね。そういう、酔った人のなんとも言えない情景を描いています。

――うーん、うまいですね。

頭木:
ええ。お酒を飲む人というのはほほえましくもあり、飲まない人には見苦しくもある、そういうところですよね。

――神代の時代から、お酒には悲喜こもごもがあるというわけですね。

頭木:
そうですね。


【放送】
2023/12/25 「ラジオ深夜便」


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