チャイコフスキーの「絶望名言」前編

絶望名言

放送日:2023/11/27

#絶望名言#文学#音楽#クラシック

多くの名曲を残したチャイコフスキー。楽曲には体験が大いに反映され、甘く美しいメロディーの陰には、「幸福を夢見るたびに、寄せては返す波のようにきびしい現実がやってくる」という深い絶望があったようです。残された多くの手紙などから、頭木弘樹さんが絶望名言を読み解きます。

仕事・金・結婚。手紙に残された苦悩の痕跡

♪ チャイコフスキー 「交響曲第4番」ヘ短調作品36 第1楽章

頭木さん:
お聴きいただいたのは「交響曲第4番」第1楽章の最初のところ、「運命のファンファーレ」とも呼ばれる部分です。曲を聞いて「この曲もチャイコフスキーだったのか」と思われる方も多いかもしれません。チャイコフスキーの曲はコマーシャルとかテレビやラジオの番組でもよく使われていて、年末は特に耳にする機会が多いのではないかと思います。有名なバレエ音楽『くるみ割り人形』はクリスマス・イブのお話なので、海外では特に年末の定番らしいです。

――甘く美しいメロディーという印象が強いですが、絶望名言が、あるんですか?

頭木さん:
あるんです。なかなか大変な人生です。まず、お金の苦労。借金したりしてるんですけど、残された作曲のメモとかを見ると、横にお金の計算が書いてあったりするんです。作曲しながらついお金のことも気になって計算したんでしょうね。

作曲の仕事もなかなか認められなかったんです。自信作ができたので意気揚々と尊敬する恩人の音楽家の意見を求めたら、「なんの値打ちもなく、稚拙で、破り捨てたほうがいい」とまで酷評されてしまう。これはきついですよね。
結婚も大失敗して自殺未遂に近いことまでしてしまいます。ほかにもいろいろなことがあるんですけど、チャイコフスキーはたくさんの手紙を残していますので、そこからご紹介していきたいと思います。

――最後の交響曲のタイトルが「悲愴」というくらいですから、悲しいこともあったんでしょうね。ロシアの人で、生まれたのは1840年です。

頭木さん:
日本だと江戸時代で天保11年。幕末に活躍した長州藩士の久坂玄瑞や、実業家の渋沢栄一が生まれています。海外では彫刻家のロダンや画家のモネが同じ年の生まれです。

運命は幸福への到達を妨げる

これは運命です。幸福へ到達しようとするわれわれの熱望を妨げる、あの宿命的な力です。 (中略) それはダモクレスの剣(つるぎ)のように、いつも頭上にぶら下がっていて、私たちの魂を絶えず苦しめています。それは避けることのできない、制止し難いものです。妥協して、無駄に嘆くしかありません。

チャイコフスキー (森田稔『新チャイコフスキー考 没後100年によせて』日本放送出版協会 より)

頭木さん:
「交響曲第4番」第1楽章の冒頭部について説明していることばです。「運命のファンファーレ」とも呼ばれるわけですが、ちょっと聞くと、勢いのある力強い感じに聞こえますよね。でもチャイコフスキーの考える運命というのは、幸福への到達を妨げるもの、なんです。

――幸福になろうとする人間を運命が苦しめる。そう考えると、このファンファーレは恐ろしいですね……。

頭木さん:
ある日突然運命のファンファーレが鳴って、思いがけないことが起きて、苦しまなければならないということもあるわけです。私もある日突然難病になりましたから、「運命のファンファーレ」は怖いです。

――チャイコフスキーは「ダモクレスの剣」と言っていますね。

頭木さん:
古代ギリシャにダモクレスという人がいて、王様に対して「王様は幸せでいいですね」というようなことを言うと、王様はダモクレスを王座に座らせて、その上に髪の毛1本で剣をつるしたんです。髪の毛1本ですからいつ切れて剣が頭の上に落ちてくるかしれません。幸福そうに見える暮らしでも、いつ突然、危険がふりかかってくるかもしれないということです。

チャイコフスキーは、第1楽章全体をこうも説明しています。「あらゆる人生が、きびしい現実と、束の間の幸福の夢との、絶え間のない交代なのです……船着き場はありません……。海がお前を飲み込み、その深みへと連れ去らない間は、この海をさまよっていなさい」。幸福を夢見るときびしい現実がやってくるという繰り返しだ、ということですよね。寄せては返す波のように。そういう海をさまよい続けるのが人生だ、と。

「この曲にはその頃の私の体験が忠実に反映されています」とも書いています。それをこれからご紹介していきます。

人嫌いになっていく“ガラスの子ども”

♪ チャイコフスキー 「ピアノ協奏曲第1番」変ロ短調作品23 第1楽章

多くの人々との間に乗り越え難い溝を作っていることは本当だ。それが僕の性格に、疎外感、他人への恐怖感、臆病、並外れた内気、猜疑心、ひと言で言って、僕がますます人嫌いになっていく、数知れない特徴を与えている。

チャイコフスキー (森田稔『新チャイコフスキー考』より)

――これは弟への手紙の一節です。

頭木さん:
ここで言っている「疎外感、他人への恐怖感、臆病、並外れた内気、猜疑心」というのは、多くの人が持っているんじゃないでしょうか。私も全部あてはまる気がします。

チャイコフスキーは、「ガラスの子ども」と呼ばれるほど、小さいころからナイーブな少年だったそうです。これは28歳になってからのことですが、動物園に行ったら大きなヘビがいて、そのおりに1匹のウサギが投げ込まれてヘビが丸のみにした。動物園としては、それはサービスだったわけです。ヘビがウサギを丸のみにするところを見たいだろうと。ところがチャイコフスキーはそれを見て泣き出して熱を出してしまったんです。それくらいですから、なかなか生きづらいですよね。

「ピアノ協奏曲第1番」はチャイコフスキーにとっては自信作でした。尊敬している恩人でもある音楽家のニコライ・ルビンシテインに見せるんですが、前にもお話ししたように、「何の値打ちもなく、稚拙で、破り捨てたほうがいい」とまで酷評されてしまいます。
これはこの曲だけではないんです。今ではとっても有名なヴァイオリン協奏曲も、当時ロシアで最も偉大なヴァイオリニストとされていた人に献呈するんですけど、演奏を拒絶されてしまう。別の人に演奏してもらうんですけど不評で、評論家からは「悪臭を放つ音楽」とまで酷評されてしまうんです。

これだけでもなくて、『白鳥の湖』も初演は不評で失敗に終わるんです。チャイコフスキーはとってもがっかりするわけですが、『白鳥の湖』が有名になるのはチャイコフスキーが亡くなってからです。さらに生涯の最後の交響曲、第6番「悲愴」も、初演は不評でした。

「ピアノ協奏曲第1番」も「ヴァイオリン協奏曲」も『白鳥の湖』も「悲愴」も、今ではとても有名で人気もものすごくありますよね。それが、俗っぽいとか低俗とか、そんなふうに評価されることもあるようです。クラシックを聞き込んだ通でないと分からないような難解な曲ではなくて、子どもが聞いたとたんに「いい曲だな」と思うようなとっつきやすさ。美しくて、心に残る、覚えやすいメロディー。そういうところでレベルが低いように言われてしまうことがあるわけですけど、当時は新しすぎて、なかなか受け入れてもらえなかったんです。新しすぎて理解してもらえなかったり、分かりやすすぎると低く評価されたり。難しいものですね。

「弦楽セレナード」が死ぬほど好き。その理由

♪ チャイコフスキー 「弦楽セレナード」ハ長調作品48

自分には本質的に何の罪もないのに、自分が哀れみを受け、許されていると思うことが、僕にとってつらくないと思うかい! 
それに、僕を愛している人々が、僕のことを恥ずかしく思うことがあるなんて、やり切れないとは思わないかい!
そしてこのようなことがすでに百回もあったし、これからも百回もあるだろう。
要するに、僕は結婚とか女性との明白な関係によって、いろいろな軽蔑的な奴らのロを封じたい。彼らの考えを僕は少しも恐れないけれども、それは僕に近い人々に苦しみを与えるだろう。


チャイコフスキー (森田稔『新チャイコフスキー考』より)

――こちらも弟への手紙の一節です。

頭木さん:
チャイコフスキーは「弦楽セレナード」について、「内面からの衝動に駆られて」作曲して、「死ぬほど好き」というふうに言っています。このことばですけど、なんのことなのか説明が必要だと思います。

チャイコフスキーは同性愛者でした。それを当人としてはよくないことだとは思っていないわけです。「自分には本質的に何の罪もない」というのはそういう意味です。ただ、世の中には偏見があるわけです。ロシアでは、チャイコフスキーの生まれる前ですけど、刑法で同性愛行為は5年以下のシベリア送りと、犯罪に認定されてしまうんです。チャイコフスキーが生きていた当時は同性愛は社会的にかなり容認されていたようです。それでも、「僕を愛している人々が、僕のことを恥ずかしく思うことがあるなんて、やり切れないとは思わないかい!」ということにはなってしまうんですね。
それでチャイコフスキーは、「僕は結婚とか女性との明白な関係によって、いろいろな軽蔑的な奴らのロを封じたい」と決意して、その後、本当に女性と結婚するんです。

――うまくいったんですか?

頭木さん:
ぜんぜんうまくいかなかったんです。たちまち破綻してチャイコフスキーは逃げ出してしまって、モスクワ川に入って自殺未遂に近いことまでしてしまうんですね。手紙にこう書いています。「まるで悪夢のようでした。妻とは2週間生活を共にしましたが、わたしにとって毎日毎日が言葉では言い尽くせないほどの苦しみでした。やがて慣れるだろうと考えていたことが、まったく無理だと知りました。絶望のあまり、死ぬことも考えました」 (翻訳 ひのまどか)。

先に「交響曲第4番」のときに、「この曲にはその頃の私の体験が忠実に反映されています」ということばがありましたけど、その体験の大きなひとつはこの結婚と破綻だったんです。


【放送】
2023/11/27 「ラジオ深夜便」


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