明治時代、26歳という若さで亡くなった歌人・石川啄木は、一般的にあまりよいイメージを持たれていないのかもしれません。しかし、啄木の短歌や文章、日記などを文学紹介者の頭木弘樹さんが読み解くことによって、今まで知らなかった石川啄木という人が見えてくることでしょう。(聞き手・川野一宇)
【出演者】
頭木:頭木弘樹さん(文学紹介者)
明治時代、26歳という若さで亡くなった歌人・石川啄木は、一般的にあまりよいイメージを持たれていないのかもしれません。しかし、啄木の短歌や文章、日記などを文学紹介者の頭木弘樹さんが読み解くことによって、今まで知らなかった石川啄木という人が見えてくることでしょう。(聞き手・川野一宇)
【出演者】
頭木:頭木弘樹さん(文学紹介者)
東海(とうかい)の小島(こじま)の磯(いそ)の白砂(しらすな)に
われ泣きぬれて
蟹(かに)とたはむる
石川啄木『一握の砂』 青空文庫
――頭木さん、今回は石川啄木ですね。
頭木:
はい。
――啄木といいますと明治時代の歌人で、数多くの有名な短歌を残しています。歌集に『一握(いちあく)の砂』『悲しき玩具(がんぐ)』があります。昨年が没後110年でしたから、今年は没後111年ということになりますね。
頭木:
はい。1912年(明治45年)4月13日に、26歳の若さで亡くなっています。
――本当に若いですね。結核で亡くなったんですね。
頭木:
はい。生まれたのは1886年(明治19年)2月20日です。ただ、実際には前の年の10月27日に生まれた、とする説もあります。時期的にはちょうど、世界初のガソリン自動車がドイツで誕生した頃です。そう考えるとずいぶん昔ですね。
――ずっと昔ですね。でも、没後111年の今でも、石川啄木の短歌は非常に皆さんに愛されていますね。
頭木:
そうですね。私は最初は、感傷的すぎるんじゃないかなという気がしていたんですよね。すぐに泣いたり悲しんだりするんで。でも、感傷的すぎるからこそいいんだなあと思うようになりました。
――そのうちそう思うようになりましたか(笑)。
頭木:
はい(笑)。
――今回、最初にご紹介した短歌も泣いていますね。
改めてご紹介します。
東海(とうかい)の小島(こじま)の磯(いそ)の白砂(しらすな)に
われ泣きぬれて
蟹(かに)とたはむる
石川啄木『一握の砂』 青空文庫
『一握の砂』という歌集に入っている短歌です。
頭木:
とっても有名な歌ですよね。たいていの人がどこかで耳にしたことがあるんじゃないでしょうか。海に行って、浜辺で泣いて、カニと戯れているんですから、もうベタベタに感傷的ですよね。笑ってしまう人もいるかもしれません。
――かもしれませんね。
頭木:
感傷的、センチメンタルなのはあまりよくない、みっともないとされたりするじゃないですか。それこそ、昔は「男は涙を見せるもんじゃない」なんてむちゃなことも言われていたわけで。それなのに石川啄木は、お構いなしにとことん感傷的なんですよね。これは啄木の歌のよさのひとつだと思います。
やっぱり、人間、感傷的になることがありますし、センチメンタルに浸りたいときもありますよね。そういうときに啄木の歌があるというのはやっぱりとても助かると思うんです。
――はい。
頭木:
この啄木の短歌は3行に「分かち書き」してあるんですよね。
――東海(とうかい)の小島(こじま)の磯(いそ)の白砂(しらすな)に
で改行して、
われ泣きぬれて
で改行して、
蟹(かに)とたはむる
というふうに書いてあるんですよね。
頭木:
こういうふうに3行に書くというのは、当時はとても斬新だったんですね。それまでは、短歌というのは1行で書いてあったわけです。今でもそれが一般的ですが。
――啄木の『一握の砂』に入っている短歌はすべて3行に分けて書いてありますが、どこで分けるかは歌によって違うようですね。
頭木:
そうなんですよ。どこで区切るかで、作者がこういうふうに読んでほしいという意図が伝わりますし、見た目も詩のようになりますし、味わいがずいぶん変わるんですよね。
――でも、なぜ啄木はこんなふうに短歌のかたちを変えたのでしょう。
頭木:
それは、啄木が『歌のいろ/\』という文章の中でおもしろい言い方をしています。生きていく上で、いろんな不便な苦痛を感じるが、それを自分はどうすることもできない。自由に変えることができるのは、置き時計の場所とか、机の上の文房具の位置とか、そして歌くらいだ、と。
――おもしろいですね。歌は自由に変えられるから、3行にして書いたと。
頭木:
本当は言葉の数にこだわる必要もないし、古い言葉ではなく今の言葉を使った方がいいとも言っていますね。不自由を感じるんなら、どんどん変えろと。
そして、こんなふうに言っています。
我々の歌の形式は萬葉以前から在つたものである。然(しか)し我々の今日の歌は何處までも我々の今日の歌である。我々の明日の歌も矢つ張り何處までも我々の明日の歌でなくてはならぬ。
石川啄木『歌のいろ/\』 青空文庫
頭木:
実際、啄木の歌は「明日の歌」でしたね。だから111年後の今でも、とっても心に響きます。
――そういうことなんですね。
はたらけど
はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり
ぢっと手を見る
石川啄木『一握の砂』 青空文庫
――頭木さん、『一握の砂』の中の短歌ではこれも非常に有名な歌ですね。
頭木:
啄木の歌の中でも、一、二を争うくらい有名なものだと思います。私もとても好きで、なかなか物事がうまくいかないときは思い出します。
――おしまいの「ぢっと手を見る」というところがじんときますね。
頭木:
そうですよね。「はたらけど/はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり」だけだとかなしい愚痴のような感じになりそうですが、そこに「ぢっと手を見る」が加わると、なにかぐっと“人間のかなしみ"という感じになりますよね。
――原文では「ち」に濁点の「ぢっと」、「ぢっと手を見る」と。ああ、そうか、という感じがしますね。
頭木:
短歌って、花鳥風月を歌うものというふうに思ってしまいますが、この歌には花鳥風月は全く出てこないですよね。
――出てきませんね。
頭木:
ええ。石川啄木は生活を歌うんですよね。それも庶民の実生活を。これも啄木の大きな特徴で、魅力的なところだと思います。
絵画の世界でも、たとえばゴッホは貧しい人たちがジャガイモを食べているところを描いたりしますよね。石川啄木も花鳥風月の短歌の世界に「ぢっと手を見る」を持ち込んだわけですよね。
――石川啄木の歌は、生活の実感、哀感が感じられて、よけいに人の心を打つんじゃないでしょうか。
頭木:
そうですよね。
ほかの歌もいくつかご紹介します。
友がみなわれよりえらく見ゆる日よ
花を買ひ来て
妻としたしむ
石川啄木『一握の砂』 青空文庫
頭木:
これも有名ですね。みんなが自分より偉く見える日ってありますよね。さらに、親しむ妻がいない人も多いと思います……。
気の変る人に仕(つか)へて
つくづくと
わが世がいやになりにけるかな
石川啄木『一握の砂』 青空文庫
頭木:
これも、会社勤めをして、嫌な上司がいる人にはすごく共感できる歌ではないでしょうか。
――うーん。
一度でも我に頭を下げさせし
人みな死ねと
いのりてしこと
石川啄木『一握の砂』 青空文庫
頭木:
ここまでいくと少し怖いですが、でも人間って屈辱を受けるのはとてもつらいことですから、「こんなやつ、死んじゃえばいいのに」と思ってしまうことはやっぱりありますよね。
――それを歌にするっていうのがすごいですね、石川啄木。
頭木:
ええ。“ここに、実生活を生きる、情けないひとりの人間がいる"という感じを濃厚にするのが啄木の歌の魅力ですよね。
――そうなんでしょうね。グッと胸をつかむような歌です。
永遠(とこしへ)にまろぶことなき佳(よ)き独楽(こま)をわれ作らむと大木(たいぼく)を伐(き)る
石川啄木「石破集」(『明星』明治41年7月号 『石川啄木全集:歌集 第1巻』筑摩書房)
――雑誌『明星』の明治41年7月号に掲載された、「石破集(せきはしゅう)」という114首の短歌のうちの1首です。
頭木:
これまでご紹介した短歌と、ちょっと雰囲気が違いますよね。
――違いますね。
頭木:
これは、有名な『一握の砂』よりも前の短歌なんです。つまり、啄木の初期の短歌ということです。初期にはこういう、かなり変わったものもあるんです。奇想というか、斬新で奇抜な発想の歌ですね。
――永遠に回り続けるコマを作るために大木を切り倒す、というような意味ですよね。これはどういうことなんでしょうか?
頭木:
カフカという作家にも「こま」という、同じような短編があるんです。
ある哲学者が、子どもたちがコマを回して遊んでいるまわりをいつもうろうろしていて、コマが回りだすとそれを捕まえようとするんですね。その哲学者はどうしてそのようなことをするかというと、「きわめて些細(ささい)なことでも、それを本当に認識すれば、すべてを認識したことになる」と思っているんです。だから、回転するコマをうまく捕まえることができたら真理に到達できると思っているんですね。でも、コマを捕まえたら当然回転は止まりますよね。だから哲学者はいつまでも真理に到達できず、子どもたちに怒られて、がっかりしてよろめきながら去って行くんです。
――それはカフカの話にあるわけですか。啄木のこの歌と通じるものがありますね。
頭木:
ありますよね。永遠に回り続けるコマというイメージには、どこか人の気持ちを引き付けるものがあるんでしょうね。どっしりした大木から作れば永遠に回るコマが作れるんじゃないか、という発想もおもしろいですね。
――本当ですね。
頭木:
もうひとつ、ご紹介させてください。
大海(だいかい)にうかべる白き水鳥(みずとり)の一羽(いちわ)は死なず幾億年(いくおくねん)も
石川啄木「石破集」(『明星』明治41年7月号 『石川啄木全集:歌集 第1巻』筑摩書房)
頭木:
海にたくさんの白い水鳥が浮かんでいて、その中には1羽くらい、死なないでずっといる鳥がいるんじゃないかと。
――ちょっと変わったイメージですね。
頭木:
私も小さい頃、変なことを考えたことがあるんですよね。人間がこんなにたくさんいるんだから、この中には死なない人もいるんじゃないかと。でも、周囲に自分のことを知られていると、いつまでも死なないとおかしいんで、そういう人は移動し続けないといけないだろうな、と。
私は小学校のとき7回も転校していたんで、ずっと私のことを知っている人はいないわけです。このままうまくいけば、ずっと死なずに生きられるんじゃないかと思っていました。
――頭木さんって、ちょっと変わった子どもでした?(笑)。
頭木:
(笑)。ですから、この石川啄木の短歌を見つけたときにははっとしました。おもしろいな、と思って。
――そうでしょうねえ。
頭木:
もうひとつだけご紹介してもいいですか?
わが胸の底の底にて誰(た)ぞ一人物にかくれて潸々(さめざめ)と泣く
石川啄木「石破集」(『明星』明治41年7月号 『石川啄木全集:歌集 第1巻』筑摩書房)
――誰(た)「ぞ」と濁点が打ってありますが、誰(た)「そ」と読みます。
頭木:
自分の胸の奥底に誰か一人、人がいて、さめざめと泣いていると。これも多くの人がなんとなく分かるんじゃないですかね。自分が泣くんじゃなくて、自分の中に誰かがいて、その誰かが泣いている気がすることってありますよね。
――石川啄木の初期の短歌も違った味わいがあって、魅力がありますね。
不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて
空に吸はれし
十五(じふご)の心
石川啄木『一握の砂』 青空文庫
――これは『一握の砂』の中の短歌ですね。
頭木:
これもとっても有名ですね。
――あ、そうですか。私は知りませんでした。
頭木:
あっ、そうですか?
――ええ。
頭木:
「十五(じふご)」、15歳というのが非常に印象的な歌ですけれども。
――今、こうやって読ませていただいて、ああ、いい歌だな、って思いました。
頭木:
私は15歳のときに草の上に寝転んで空を見上げたことはないんですが、それでもなんだかこういう気持ちは分かるような気がして、ノスタルジーを誘われますよね。
――ああ、そうですね。「不来方(こずかた)の」っていいですね。岩手の、お城。で、「空に吸はれし 十五(じふご)の心」。おお、啄木らしいな、と今読んでそう思いました。
頭木:
こういうノスタルジーというのも、石川啄木の短歌の重要な要素だと思います。
ふるさとの訛(なまり)なつかし
停車場(ていしやば)の人ごみの中に
そを聴(き)きにゆく
石川啄木『一握の砂』 青空文庫
頭木:
これも有名ですね。駅のホームでたまたまふるさとのなまりを耳にしてなつかしい、というのでしたらあると思うんですが、そうではなく、「そを聴(き)きにゆく」とわざわざ聴きに行っているんですよね。ノスタルジーに浸るために、わざわざ出かけて行っているわけです。そのベタベタな感じがいいですよね。
ふるさとの山に向ひて
言ふことなし
ふるさとの山はありがたきかな
石川啄木『一握の砂』 青空文庫
頭木:
これも有名ですね。
――これは知っています。
頭木:
ふるさとの山をここまで肯定的に詠んだ歌はそうそうないんじゃないでしょうか。「言ふことなし」で「ありがたきかな」ですから。
かにかくに渋民村(しぶたみむら)は恋しかり
おもひでの山
おもひでの川
石川啄木『一握の砂』 青空文庫
頭木:
この「渋民村(しぶたみむら)」というのが“ふるさと”として啄木の歌にはよく出てきますね。
――そうですね。しかし、調べてみますと啄木が生まれたのは本当は渋民村ではなくて、同じ岩手県の日戸村(ひのとむら)の生まれということですね。
頭木:
1歳のときに渋民村に引っ越しています。渋民村の住職が急に亡くなって、啄木の父がその後を継ぐんです。
――啄木の父親はお坊さん、僧侶ですね。
頭木:
そうですね。だから啄木が生まれた当時は、啄木のお母さんはまだ正式には妻ではなかったんです。明治5年に法律で僧侶も妻帯を認められたんですが、とはいえ一般的には、やはりまだお坊さんが妻を持つことは白い目で見られていたんですね。ですので、啄木も生まれたときはお母さんの姓の「工藤」でした。「工藤一(はじめ)」というのが、石川啄木の生まれたときの名前です。
――ということは、「啄木」というのは雅号、ペンネームですね。
頭木:
そうですね。その後、父親はようやく妻がいることを公にして、ここで初めて啄木も父親の「石川」という名字になります。戸籍上は養子というかたちです。啄木が小学校2年生のときのことです。
――石川啄木はこの渋民村でとても幸せになったから、渋民村をふるさとと呼んでいた、ということなんでしょうか?
頭木:
確かに幸せな子ども時代を過ごしたようです。学校では神童と呼ばれ、家でもとても大切にされましたから。13歳のときに、のちに妻となる節子とも出会っているんです。
ただ、渋民村とは二度の悲しい別れを経験することになるんですね。
――ほう、悲しい別れが二度ある。
頭木:
はい。神童と呼ばれた啄木の成績は、中学2年生のころからどんどん落ちていきます。そして5年生のときに……当時、中学は5年生まであるんですけれども、学校の試験でカンニング的なことをしてしまって、結局自主退学をするんです。そうして啄木は渋民村を去るんです。啄木の学歴もここで終わります。16歳のときです。
これが一度目の渋民村との別れですね。
――啄木は東京に出ますよね。でもうまくいかなかったようですね。
頭木:
そうですね。のちに、20歳のときに母校の渋民尋常小学校に代用教員として戻ってきて、ここではとても熱心にがんばるんです。
日記にこう書いています。
生徒が可愛いためである。あゝこの心は自分が神様から貰つた宝である。余は天を仰いで感謝した。
『石川啄木全集:日記1 第5巻』 筑摩書房
頭木:
石川啄木というと、ちゃんと働かないというイメージを持っておられる方も多いと思うんですね。文豪の面白エピソードが紹介されるとき、石川啄木ってすごくエピソードが多いんですね。それも大体ひどい話で。ちゃんと働かずに友だちに借金して、それで遊びに行っていたとか。
――今回のことを調べていたんですが、ずいぶんと破廉恥なことをやった、というふうにありますよね。
頭木:
まあ、確かにそうなんですが、渋民村で生徒に教えていたときにはすごく熱心だったんです。でも村人たちとあまりうまくいかず、父親が金銭的な問題で寺の住職をやめさせられて、復職できるかどうか、ずっと檀家ともめたりしていたんですね。で、ついに父親は失踪してしまいます。どこかへ行ってしまうんですね。啄木も渋民村を去ることになります。
これが二度目の悲しい別れで、二度と渋民村に戻ることはありませんでした。
それで、こういう歌を詠んでいるわけです。
――それで、なんですね。
石をもて追はるるごとく
ふるさとを出(い)でしかなしみ
消ゆる時なし
石川啄木『一握の砂』 青空文庫
頭木:
それでも渋民村のことをノスタルジーたっぷりに歌っているわけで、帰れなくなった人ほど、ふるさとは恋しいのかもしれませんね。
――そうかもしれませんね。
【放送】
2023/10/23 「ラジオ深夜便」
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