権力、借金、ギャンブル・賭博……。古今東西の文学に残されたお金にまつわる絶望を、頭木弘樹さんが読み解きます。(聞き手・川野一宇アナウンサー)
【出演者】
頭木:頭木弘樹さん(文学紹介者)
権力、借金、ギャンブル・賭博……。古今東西の文学に残されたお金にまつわる絶望を、頭木弘樹さんが読み解きます。(聞き手・川野一宇アナウンサー)
【出演者】
頭木:頭木弘樹さん(文学紹介者)
「高利貸の金を借りる様になった。段々深みに落ちて行つたので、再び這ひ上がる事は困難になつてゐるのが、その場の自分にはよくわからなかつた。足の裏に川底の砂が触れる所まで沈んで行つた」 内田百閒
「質屋の暖簾」 『新輯 内田百閒全集 十八巻』福武書店より
――今度は借金が出てきました。
頭木:
お金の話ということになると、借金というのも大きなテーマだと思うんです。この内田百閒の言葉は、読んだときに、ぞーっとしました。エッセーなんですけど、内田百閒はまず知り合いにお金を借りて、次に質屋に通うようになって、ついに質屋に持っていくものもなくなって、金貸しからお金を借りるようになって、さらに高利貸しから借りるようになるんです。そうやってだんだん深みにはまっていったので、深みにはまっているということが自分ではそのときよくわからなかったというんですね。
――だんだんわからなくなる。そこが恐ろしいところです。
頭木:
そうですね。高利貸しにお金を借りたりしたら駄目だっていうのは、誰でもわかりますよね。だから借りるほうが愚かだと思ったりしますけど、でもそれは本当に困ったことがないから客観的にそう思えるだけで、本人にしてみたら、生きていく目の前のお金に困ったら、なんとかしなければならないわけです。だんだんと深みにはまっていったら、自分でも状況がよくわからなくなってしまうものなんですね。それが実に見事に表現してある貴重なエッセーだと思います。
――内田百閒は、借金、あるいは貧乏を、少し楽しんでいるくらいの境地なのかなと思ってましたけど。
頭木:
私もそう思っていました。貧乏を、いいことのように書く人もいますね。特に若い頃の貧乏暮らしは楽しい思い出のように。でも、それは元気がまだ十分にあって、なんとかなるレベルの貧乏だからですよね。しかも後に貧乏でなくなったからそう言えるのであって、本気の貧乏で年をとってからもずっとそうだったら、楽しいわけがないですよね。
――以前、「絶望名言」でチャップリンを特集したときに、「わたしにとって貧困とは、魅力的なものでも、自らを啓発してくれるものでもない」と言ってました。
頭木:
それが本当だと思いますよね。ただですね、借金については意外な話もあるんです。ローマのシーザー、カエサルのエピソードなんですけど、カエサルは有力者に、ものすごく多額の借金をしていたんです。でもその借金のせいで、出世できたというんです。
――どういうことですか?
頭木:
ものすごく多額の借金なので、それを貸している有力者にしてみたら、カエサルが失脚したら困るわけです。借金を返してもらえなくなりますから、カエサルには成功して出世してもらわないといけないわけです。だから有力者は、一生懸命、カエサルを応援したんですね。
――強大な権力を持っていた人だから、できたんでしょうね。
頭木:
まあ、他の人はやってないですよね。カエサルの、お金に対する考えの独特さですよね。塩野七生さんがそれをこういうふうに書いています。「借金が少額のうちは債権者が強者で債務者は弱者だが、額が増大するやこの関係は逆転するという点を、カエサルは突いたのであった」(『ローマ人の物語〈8〉 ユリウス・カエサル ルビコン以前(上)』新潮文庫より)。
おもしろいですよね。少ない借金だと、つらいことですよね。でも額が大きくなりすぎると、「なんとかあなたに成功してほしい」と思われるようになると。こういう借金のしかたもあるのかとびっくりしました。ちょっと小気味いいエピソードです。
――では、次のお金の絶望名言です。
「賭博は(中略)運命が普通には(中略)永い年月をかけてしか産み出さないあまたの変化を、一瞬にしてもたらす術でなくて何であろうか? 他の人々にあってはその緩慢な生涯に散らばっている数々の感動を一瞬にして搔き集める術でなくて何であろうか? 全生涯を数分にして生きる秘訣でなくて何であろうか?」 アナトール・フランス
「賭博者」 『エピクロスの園』岩波文庫より
――権力があって借金があって、今度はギャンブル、賭博ですか。
頭木:
お金に関しては、ギャンブルも大きなテーマですよね。でも、このアナトール・フランスの言葉を読んで、初めて「なるほどなあ」と思いました。ギャンブルというのは、胴元がもうかるだけで基本的に他の人は損する仕組みですよね。それなのにどうしてこんなにギャンブルに夢中になる人が多いのか、不思議といえば不思議ですよね。
普通、こつこつお金をためていくとしたら、かなり時間がかかるわけです。逆にお金を少しずつ失っていく場合も、破滅するまでにはかなり時間がかかりますよね。それがギャンブルだと、一瞬にして大金を手にできる。あるいは破滅する。いずれにしても速いですよね。人生がぎゅっと凝縮されているわけです。それだけに感動や衝撃も大きいですよね。一瞬で何十年分の感情を感じるわけですから、それはどうしたって魅力があります。ギャンブルというのは、ある種のタイムマシンなわけですよね。
――ギャンブルはタイムマシン……。
頭木:
普通なら長い時間がかかる成功とか失敗を一瞬にしてもたらすわけですから。いったんその興奮にはまったら、やみつきになりそうですよね。
ギャンブルについても、すごく印象的なエピソードがあるんです。ドストエフスキーの伝記に載っていたんですが、ドストエフスキーというのは大のギャンブル好きなんです。それで何度も破滅しかけています。そのときも、どこか遠くに出かけていて、ギャンブルですっからかんになって帰るための旅費もなくなってしまって、奥さんに手紙を出して「今度こそギャンブルはせずに帰るから、帰りの旅費だけ送ってくれ」と頼むんです。それで旅費が届くんですが、帰ろうとすると最終の列車がちょっと前に出てしまっていたんですね。もう明日にするしかないと街を歩いていたら、賭博場がある。「見るだけで、決してやるまい」と誓って中に入るんです。
――入らなきゃいいのに(笑)。
頭木:
参加はせずに、ただギャンブルを見ているわけです。そうしたら自分が予想した目が次々と出るわけです。もし賭けてたら大金を手にしているはずです。それでだんだん思うんですね。「これは神がギャンブルをしろと言っているのではないか。さっき列車に乗り遅れたのも、ここでギャンブルをしろというお告げではないか」。
――都合のいいように(笑)。
頭木:
それでドストエフスキーはついにギャンブルに参加するんです。そうすると今度はぜんぜん思った目が出ない。そしてまた、すっからかんになっちゃう。
――お金を賭けていないときは当たって、賭けると外れるというのは、よく聞くことですね。
頭木:
ギャンブルあるある、ですね。このドストエフスキーのエピソードを読んで、やっぱりギャンブルはやってはいけないなあと思いましたし、あと、「これは神さまがやれと言っているのでは?」と勝手なことを考えてはいけないなあということを(笑)、すごく思いましたね。
でもそういう駄目なところがあるから、いい文学が書けるんでしょうね。ギャンブルしちゃいけないっていうのでただしないっていうんじゃあ、全然深みのあるものは書けないのかもしれないですよね。こういう駄目な心とか、ギャンブルですっからかんになってつらい気持ちとか、いろんなものを体験しているから、書ける。
――でも、「もう、駄目だ~」ってなる人も多いじゃないですか。
頭木:
ドストエフスキーも、もう何回もそんな目にあっていると思います。でもあるときから、ぱったりやめるんですね。
――だから作品が残っている?
頭木:
いや、わからないですよ。やり続けていたら、もっとすごいものが書けていたかもしれない(笑)。
――ずいぶんギャンブルを擁護しますね(笑)。
頭木:
いえいえ、僕は全然ギャンブルはやらないので。
――ドストエフスキーを擁護している?
頭木:
いや、弱い心っていうのは誰にでもあるので、それはやっぱり否定するより「やるもんだ」と思っているほうが、逆にやらずに済む面もあるんですよね。僕は、自分が弱いしすぐはまると思っているから、やらずに済んでいると思っています。
「友人のひとりが離婚したとき、「マンションを奥さんにあげてローンを僕が払うことになった」と云いながら、満々の笑みを浮かべていたことを思い出す。そんなにも離婚したかったんだなあ、と思って感動する」 穂村弘
「金額換算」 『本当はちがうんだ日記』集英社文庫より
――これは穂村弘さんのエッセーです。
頭木:
これを読んだときは衝撃でした。マンションって高いですよね。しかも、まだローンを払い続けないといけない。それなのに大喜びしているなんて。
――大金を払ってでも、離婚したほうが幸せだというふうに思ったんですね。
頭木:
「お金よりも大切なものがある」って、言うじゃないですか。でもそれってきれいごとというか、本当にそうなのかと疑ってしまうところもあるんですけど、穂村さんの書いておられるエピソードを読むと、まさにきれいごとではなくて、お金より大切なものがあるんだなあって、よくわかります。
――お金より離婚のほうが大切に思えることがあるように、他にも、お金より大切なことがあると、そう思いますよね。
頭木:
それを実感しました。きれいごとじゃなく言われると、より実感できます。
――それでは、最後にご紹介するお金の絶望名言について、ご説明いただけますか。
頭木:
最後にご紹介するのは、作家の尾崎一雄の言葉です。今の世の中って、抜け目なくうまくお金を稼ぐほうが、尊敬されますよね。「あの人は抜け目がない」というのはほめ言葉で、貧乏よりお金があるほうが、立派な人のように言われがちじゃないですか。それを当然だと思っている風潮が強くなっていると思うんですけど、昔はそうでもなかったようなんですね。抜け目なく立ち回るのは恥ずかしいことで、お金をもうけたりしないのはそれだけ立派な人格だからという、まったく逆の考え方もあったわけです。
そういう時代には、「貧乏でも、私は抜け目なく立ち回るようなことはしなかったぞ」とか、「得をしようとしなかったぞ」とか、自分の貧乏に誇りを持つことができたわけですね。そういうことは、今もあっていいんじゃないかなと思うんです。そういうことを感じさせてくれる尾崎一雄の言葉をご紹介して、今回は終わりにしたいと思います。
――頭木さん、今回もありがとうございました。
頭木:
ありがとうございました。
「ひどい貧乏だった。貧乏は厭だったが、一方、貧乏だということが気休めにはなった。(俺は、この世で得をしているわけじゃない。うまいことをしているわけじゃない)」 尾崎一雄
「華燭の日」 『百年文庫38 日』ポプラ社より
【放送】
2023/07/24 「ラジオ深夜便」
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