権力、借金、ギャンブル・賭博……。古今東西の文学に残されたお金にまつわる絶望を、頭木弘樹さんが読み解きます。(聞き手・川野一宇アナウンサー)
【出演者】
頭木:頭木弘樹さん(文学紹介者)
権力、借金、ギャンブル・賭博……。古今東西の文学に残されたお金にまつわる絶望を、頭木弘樹さんが読み解きます。(聞き手・川野一宇アナウンサー)
【出演者】
頭木:頭木弘樹さん(文学紹介者)
――いつもですと一人の人物の人生を追いながら名言をご紹介していくのですが、今回は「お金の絶望名言」ということで、お金にまつわる、さまざまな方の言葉を紹介していくわけですね。
頭木:
そうですね。なるべくたくさんの方の言葉をご紹介していきたいと思っています。
――年末になりますと年を越さなければならないということで、「お金」ということが頭に浮かんできますよね。
頭木:
今はもうそういうことはありませんが、昔は掛け売りで、つけで物が買えたわけです、米でも、みそでも。それで「節季」といって、年に何度か支払いの時期があって、その中でも大みそかは一番大きな区切りです。この日は「掛け取り」という、つけのお金を取りに来る人も、なんとしても払ってもらおうと必死なわけです。古い川柳にこういうのがあります。
「大晦日首でも取ってくる気なり」
頭木:
たまったお金を払ってくれないなら、首でも取って帰ろうという勢いですね。でも払うほうも、大みそかはいろんな「掛け取り」がいっぺんにやってくるわけですから大変です。お金がなければ払えませんし。払うほうの川柳もあります。
「大晦日首でよければやる気なり」
頭木:
もうお金はないから、首でもなんでも持って行ってくれ。まあ、そんな気持ちにもなると。
――仮にそこで払わないとなると、そのままでいいわけですか。
頭木:
いいってことはないですけれども、いったんお正月になっちゃうと、そこで催促するのは催促するほうが悪い、みたいな。狂歌に「大晦日越すに越されず越されずに越す」っていうのがありますよね。
――そういう攻防が続くわけですねえ。年末はクリスマスがあり、お正月になり、さまざま華やかですよね。
頭木:
世の中が華やかなときにお金がなくて何も買えないというのは、結構きついんですよね。それに寒いですし、暖房するにもお金がかかりますから。僕も闘病中は無職でお金に苦労しましたから、年末は特にそれが身にしみました。
――ということもあり、「お金の絶望名言」ということですね。
頭木:
お金のことで苦しいときに、同じように苦しんでいる他の人の言葉に触れると、それでお金が増えたりするわけではないですけど、それでも何か、とても心の支えになるものがありました。
――そうですか。それでは最初の絶望名言、ご紹介しましょう。
「私はぎょっとした。私は金のためにずーっと働いていたのだ」 佐野洋子
『死ぬ気まんまん』光文社より
――佐野洋子さんには、絵本の『100万回生きたねこ』がありますね。
頭木:
そうですね。エッセーも書いておられて、とてもいいんです。これもエッセーの一節です。この言葉を読んで、私もぎょっとしました。同じような気持ちになる人が多いと思うんですけど、改めて考えてみると、「お金のために、ずーっと働いていたんだなあ」という思いにとらわれますよね。
もし、人生の終わりというときに自分の一生を振り返ってみて、ずーっとお金のために働いていたなあと思ったとしたら、ちょっと悲しいかもしれないですよね。それに関するのが、次の言葉になります。
「お金は仕事をしたあとのカスだよ」 渋沢栄一
木村昌人編『[現代語訳]ベスト・オブ・渋沢栄一』NHK出版より
――渋沢栄一というと、2024年度に1万円札の図柄になる方ですね。NHK大河ドラマ<青天を衝(つ)け>の主人公でした。
頭木:
「日本の資本主義の父」とも言われる人で、約500の企業を育てて、約600の社会公共事業に関わったそうですから、経済、商売、お金の専門家ですよね。
――そういう方が、「お金は仕事をしたあとのカスだよ」とおっしゃっていた。あるいは渋沢さんだから、そういうことが言えるんだなとも思います。
頭木:
これは晩年になって息子さんに言った言葉だそうです。仕事が大切なのであって、お金は仕事によって生じるだけのものだと思えということなんでしょうね。
落語に「寄合酒(よりあいざけ)」という話があるのですが、その中で、かつお節でだしをとれと言われた男が、だしガラのほうを大事に残して、だし汁でふんどしを洗ったりするシーンがあるんです。
――大切な部分を取り違えてしまうわけですね。
頭木:
そうですね。どっちが大切なのかを取り違えてしまう。それと同じで、お金が目的ではないはずが、ついつい、いつの間にかお金が目的になったりしてしまいますよね。
アメリカの実話で、こういう話があるんです。ある人がお店を開店したところが、町の子どもたちが石を投げて窓ガラスを割るので、困るんですね。そこである人に、「その子どもたちに会ってお金を出して」と頼むんです。
――「窓を割らないでね」と頼むわけですか?
頭木:
そうじゃないんです。その逆に、「これから毎日お金をあげるから、毎日石を投げて窓ガラスを割ってくれ」と頼むんです。
――子どもは「しめた!」と思うんじゃないですか。
頭木:
そうなんですよね。もともと好きで窓ガラスを割ってて、さらにお金をもらえるとなったら、そりゃあ、喜んでやりますよね。それで毎日、あげるお金を少しずつ減らしていくんです。そうすると、子どもたちのやる気も少しずつ減ってしまうんです。それでお金をあげなくなると子どもたちも窓ガラスを割らなくなって、解決したんです。これ、実話なんですね。
――そんなにうまくいったんでしょうか……。
頭木:
自分が好きでやっていたはずが、いつの間にかお金のためにやるようになっていたわけですね。要するに、そこで入れ替わっちゃったわけです。だからお金がもらえなくなると、やらなくなる。これは結構、怖い話でもあると思います。好きでやっていたはずが、いつの間にか、知らないうちに、お金のためになっていたという。窓ガラスを割るこの子どもたちのことを思い出しながら考えるのも、いいんじゃないかなと思いますね。
――では、次の絶望名言をご紹介しましょう。
「財布が軽ければ、心は重い」 ゲーテ
「Der Schatzgräber」 訳者不詳『ゲーテ全集ハンブルク版1 Gedichte und Epen I (詩と叙事詩)』より
――ゲーテがこんなことを言っているんですね。これは頭木さん、わかるような気がしますよ(笑)。
頭木:
ゲーテでも、財布が軽いと心が重いんですね。原文を直訳すると、「空の財布、病んだ心」というような意味になるんですが、誰かがこういうふうに訳したんです。誰なのかはわからないんですが、一般に広まっています。名訳ですね。
――日本でも「懐があったかい」というような言い方をしますよね。お金がないと寒いという気になります。
頭木:
要するに、お金のあるなしが心に影響するわけです。私たちが「お金が欲しいなあ」と思うとき、それは何か買いたいとか、そういうことだけではなくて、「安心が欲しい」とか「不安を消したい」とか、そういう気持ちのせいも多いんじゃないでしょうか。でも、お金で安心を得よう、不安を消そうというのは、やっぱり危ないことでもあると思うんです。
――危ないですか?
頭木:
結局のところ、お金がいくらあっても不安は消えないですよね。
――そうですね。でも私、「いくらあっても」というのは体験したことがないからわからないですけど、お金があって不安がないという境地にはなりたいなあと思います……。
頭木:
そういうものですよね(笑)。ただまあ、多額の貯金を残して孤独死する人もいますしね。あと、ある程度お金をためると、今度は減るのがすごく不安になるじゃないですか。増えても不安は残るし、減ったらますます不安は強まる。だから、なかなかお金で心を安定させようとするのは難しいと思うんです。
――安心の大きな元手ではあるとは思いますけれども。
頭木:
現実問題として、例えば僕みたいに病気をしてしまうと、病院代が払えないと生きていけないわけで、お金がない不安というのはすごくあるわけです。でも、なるべくお金と安心・不安を結びつけないようにしないと、危ないかなという気はしますね。
――では、次の絶望名言をご紹介しましょう。
「僅(わづか)に売り買ひすと雖(いへど)も、猶(なお)銭を蓄(たくは)ふる者(ひと)无(な)し。其の多少(たせう)に随(したが)ひて、節級(せつきふ)して位(くらゐ)を授(さづ)けよ」 『続日本紀』
『新 日本古典文学大系12 続日本紀1』岩波書店より
――『続日本紀』は『日本書紀』に続く第二の歴史書ですね。697年から791年までのことが記録されているそうです。
頭木:
この言葉は、711年の10月23日、新暦だと12月7日に施行された「蓄銭叙位令(ちくせんじょいれい)」という法令についての言葉です。お金をためた人には地位を与える。要するに、お金で地位を買えるようにするということです。お金があれば社会的地位が高められる、権力を得られるようにしたということで、お金と権力を結びつけたという点で、すごい法令だと思うんですよね。意図的に、お金と権力を結びつけているわけですから、そこがすごいと思うんです。
日本で最初の流通貨幣ともいわれる「和同開珎」が発行されたのが708年で、当時はまだ米や布を物々交換していたそうですね。だからなかなかみんな、お金を使わないわけです。それで政府はお金が普及するように、いろいろ手を打つんです。役人の給料をお金にしたり、税をお金で納めさせるようにしたり。
それでお金での売り買いをするようにはなるんですが、みんなまだお金をためようとしないんです。お金をためることの力にまだ気づかないんですね。そこでこの蓄銭叙位令が施行されて、お金で地位が買えるぞと、お金と権力を結びつけたわけです。それでこのときから、政府に献金して便宜を図ってもらうということも始まるんです。
――そんな昔からあったんですねえ。古いお金でいえば、富本銭というのを教わりました。
頭木:
お金自体はその前から結構あったみたいですけれども、積極的に流通させたのがこの頃のようです。
――お金と権力が結びつくというのは、現在では当然のようになっていますけれども。
頭木:
とにかくたくさんお金をもうけようとか、一生かかっても使い切れないほどためようとする人もいますよね。それは、たくさん買い物がしたいからではなくて、お金が権力・パワーだからですよね。その額が大きいほどパワーも大きいから、使い切れるかどうかは問題ではないわけです。パワーっていうのは、あればあるほどいい。だからお金と権力が結びついていなければ、ここまでお金もうけにこだわる人は多くなかったんじゃないでしょうか。
――それではここで、頭木さんに選んでいただいた「絶望音楽」をお聞きいただきましょう。今回はどういう音楽でしょうか。
頭木:
浜田省吾さんの「MONEY」という曲です。今、お金と権力というお話をしましたが、この曲はまさにそういう曲です。お金というパワーをつかみとりたいという曲で、歌詞に注意して聞いていただきたいんですけど、これからバブル景気に向かうという、1984年に発表された曲です。
♬ 浜田省吾「MONEY」
――おもしろい歌詞ですね。
頭木:
「いつか奴等の 足元に BIG MONEY 叩きつけてやる」というのは、まさにパワーとしてのお金ですよね。ただこの曲は最後のほうで、「欲しいものは全て ブラウン管の中 まるで悪夢のように」と言ってるんです。お金というパワーをつかんで欲望を満たそうとすることが、悪夢のようなことだと。それをバブルの前に指摘しているのはすごいなあと思います。
【放送】
2023/07/24 「ラジオ深夜便」
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