種田山頭火の「絶望名言」前編

23/06/30まで

絶望名言

放送日:2023/05/29

#絶望名言#俳句#文学#家族#音楽

旅をしながら多くの自由律俳句を詠んだ種田山頭火は、家族や故郷、身に降りかかった災難についても、日記に多くを書き残しました。それらの中から、頭木弘樹さんが山頭火の絶望名言を読み解きます。(聞き手・川野一宇アナウンサー)

【出演者】
頭木:頭木弘樹さん(文学紹介者)

私一家の不幸は母の自殺から

――今回は種田山頭火。たくさんの俳句を残した俳人です。代表的な句をいくつか読んでみましょう。

分け入つても分け入つても青い山

まつすぐな道でさみしい

どうしようもないわたしが歩いてゐる

うしろすがたのしぐれてゆくか

山頭火『草木塔』青空文庫

頭木:
どれも旅の俳句ですね。

――山頭火は旅をしながら俳句を詠んだことでも有名です。かなりいろいろなところを旅しているようですね。

頭木:
私は最初、中国地方くらいなのかなと思っていたら、九州、四国はもちろん、東北のほうまで旅しているんですね。全部合わせると大変な距離を歩いていてびっくりしました。

――最初の句集『鉢の子』が出たのが、昭和7年の6月20日です。

頭木:
鉢の子というのは僧侶がたく鉢のときに施しを受けるための器です。僧侶の姿でたく鉢をしながら旅をして、俳句を詠んでいたわけですが、そういうの、どこか憧れを感じさせますよね。

――そうですね。実際にやるのは大変だと思いますけど。

頭木:
そのあたりのつらさは日記にもいろいろ書いてあります。

――俳句のほかに日記もたくさん残しているんですね。

頭木:
今回はそこからも名言をご紹介したいと思っています。

――まず、山頭火はいつごろの生まれなのでしょうか。

頭木:
明治から昭和を生きた人ですが、生まれたのは明治15年(1882)です。同じ年の生まれに、歌人の斎藤茂吉がいます。

――山頭火はいわゆる自由律俳句ですよね。俳句は五・七・五という十七音が基本で、季語という、季節を表す言葉を入れることになっていますが、自由律俳句の場合は五・七・五でなくてもいいし、季語がなくてもいいんだそうですね。

頭木:
そうですね。山頭火には「おとはしぐれか」という俳句もあります。これは廁(かわや)、トイレに山頭火が入っていると外でぽとぽとと音がする。それで「しぐれだなと思った」という俳句です。この短さがいいですよね。あと自由律は、こういうふうに口語、ふだんの言葉を使うことが多いので、わかりやすいですよね。

ただ山頭火は、俳句についてこう言ってるんです。

俳句ほど作者を離れない文芸はあるまい(中略)、一句一句に作者の顔が刻みこまれてある、その顔が解らなければその句はほんたう解らないのである(原文ママ)

山頭火『其中(ごちゅう)日記』10 青空文庫

頭木:
作品を味わうのに作者を知る必要はない、という考え方もありますが、山頭火の俳句については、なにしろ当人がこう書いているので、山頭火について知ったほうが、味わいが深くなるんじゃないかなと思います。

――山頭火について、まずどういうところから知るといいのでしょう。

頭木:
山頭火自身が、こんなふうに言っています。

私が自叙伝を書くならば、その冒頭の語句として、──私一家の不幸は母の自殺から初まる、──と書かなければならない(後略)

山頭火『其中日記』11 青空文庫

頭木:
母親が自殺したとき、山頭火はまだ9歳でした。小学校の3年生です。母親は自宅の井戸に身を投げて死んだのですが、朝の10時頃で、その日は日曜日だったんですね。少年の山頭火も学校には行ってなくて家にいて、井戸から引き上げられた母親の死に顔を見てしまったらしいです。

――それはつらい体験ですね……。

頭木:
母親は32歳の若さだったんですが、結核で寝込んでいました。それから夫、山頭火の父親ですが、この人の身持ちがよくなくて芸者遊びなどをしていたようです。それを苦にしての自殺とも言われていて、父親が原因で母親が自殺するというのはつらいですよね……。

山頭火は大人になってからも、ふるさと、これは山口県の防府市ですけど、「山口県に一歩踏み込めば現在の私として、私の性情として憂欝にならざるをえないのである」(『行乞記』2 青空文庫)と日記に書いています。あちこち放浪するようになった理由の一つは、やはり母親の自殺があるのかもしれませんね。

心を骨肉によって結んだ集団

家庭は牢獄だ、とは思わないが、家庭は沙漠である、と思わざるをえない。
親は子の心を理解しない、子は親の心を理解しない。夫は妻を、妻は夫を理解しない。兄は弟を、弟は兄を、そして、姉は妹を、妹は姉を理解しない。――理解していない親と子と夫と妻と兄弟と姉妹とが、同じ釜の飯を食い、同じ屋根の下に睡っているのだ。
彼等は理解しようと努めずして、理解することを恐れている。理解は多くの場合に於て、融合を生まずして離反を生むからだ。反き離れんとする心を骨肉によって結んだ集団! そこには邪推と不安と寂寥とがあるばかりだ。

山頭火『砕けた瓦(或る男の手帳から)』 青空文庫

頭木:
長いのでわかりにくかったかもしれませんが、家庭というものに対する不安が語られています。

――家族がそれぞれに理解し合えないということを厳しく言っていますね。

頭木:
そうですね。でもおもしろいのは、じゃあ、理解し合えばいいのかというと、「理解は多くの場合に於て、融合を生まずして離反を生む」。つまり、理解し合ったら仲良くなれるどころか、かえってばらばらになってしまうと。これはすごく深いと思うんです。

――お互いに理解し合えたら、仲良くなれるんじゃないですか?

頭木:
そういう場合ももちろんあると思うんです。でも、相手のことをきちんと理解できて、そのうえで、「この人とはとてもいっしょにいられない」と思うことも当然あるわけじゃないですか。親子でも夫婦でも、うまくいっていないと周囲の人が、「ちゃんと話し合ってお互いを理解しないと」というようなことを言いますよね。でもそれって、話し合いに期待しすぎだと思うんですよね。

――でも、話し合わないと……。

頭木:
ろくに話し合っていない場合には、話し合うことでお互いの誤解が解けたり妥協点が見つかったりして、問題が解決することもあると思います。でも一方で、話し合ったためによけいに事態がこんがらがったり、本当にこの人とは合わないんだなということがわかったり、ぜんぜん解決しないことも多いと思うんですよね。

たとえば私も病院の6人部屋でよく目にしたのですが、家族っていうのは、いろんな問題を話し合わないようにしてなんとか保っているところもあるんですよね。

――ああ、それはわかります。

頭木:
それが病気して長期入院なんかすると、いろいろなことを話し合わないわけにはいかなくなって、それがプラスに働く家族もありますけれど、崩壊していく家族も少なくないんです。

――体験として、そういうのを見たんですか?

頭木:
病院の6人部屋というのは、隠せないんですよね。

――そういう場合、どうしたらいいのでしょう?

頭木:
話し合いをすすめるような人は、「話し合ってダメなら別れるほうがいい」とか、これまた簡単に言うんですけど、なかなかそうはいかないですよね。夫婦だってそう簡単にはいかないし、家族ならなおさらです。山頭火の言うように、「理解することを恐れて」「反き離れんとする心を骨肉によって結んだ集団」でいるしかないわけです。そういう人間関係のつらさを、見事に表している文章だと思います。

――兄弟姉妹の話が出てきますが、山頭火にはいたんですか。

頭木:
姉がいて、妹もいて、山頭火が長男で弟が2人います。5人きょうだいです。ただ三男は、5歳のときに病気で亡くなっています。そして次男は、じつは自殺しています。家族の中で、自殺したのは母親だけじゃないんです。そして弟の自殺に関しては、山頭火も無関係ではないんです。

山頭火の家は庄屋さんで、お金持ちだったんですね。山頭火も大学まで進学するんですけれど、父親が米相場とかに手を出して借金をこしらえて、家が傾いてしまうわけです。山頭火も大学を中退して、家に戻ってくるんです。

その後、酒造りを始めます。酒蔵の経営者だったこともあるんですね。それでそのときに結婚もしています。自分から望んだわけではないのですが、両方の親が決めてしまったんです。昔はそういうことも珍しくないですよね。

子どももすぐに生まれます。男の子です。3人家族になったわけです。ところが、酒蔵が破算してしまうんです。山頭火は妻子といっしょに熊本に行って、「雅楽多(がらくた)書房」という古本屋さんを開くんですね。そこで再出発しようとするわけですが、そのときにまた衝撃的な事件が起きます。それが、弟の自殺なんです。

――弟さんが何歳のときなんですか。

頭木:
31歳です。山頭火は35歳です。この次男は二郎という名前ですが、6歳のときに別の家に養子に出されていたんです。ところが実家の酒蔵が破算したとき、養子先から離縁されてしまうんです。家から追い出されて、熊本の兄、山頭火のところに身を寄せるんですけど、同居がうまくいかなかったんですね。行き場を失った弟は、山口県の山の中で首をつって自殺してしまうんです。遺書にこう書いています。「天は最早吾を助けず人亦吾輩を憐れまず」(村上護著『種田山頭火:うしろすがたのしぐれてゆくか』 ミネルヴァ書房)

――つらい体験ですね、これも……。

頭木:
山頭火はもともとお酒好きですが、このときからさらにその量が増えてしまったようです。このあと山頭火はひとりで東京に出て、肉体労働をしたり図書館の仕事をしたりするんですけれども、東京でまた大きな事件が起きてしまいます。

幸福あれ、災害なかれ

人々に幸福あれ、災害なかれ、しかし無常流転はどうすることも出来ないのだ。

山頭火『行乞記』1 青空文庫

――『行乞記』という、山頭火の日記の中の言葉です。

頭木:
山頭火は関東大震災を体験しているんです。家族を熊本において、ひとりで東京に出てきているときですけれど、大正12年(1923)9月1日の11時58分、関東大震災が起きます。お昼時ですから料理をしている家も多くて、あちこちで火事も起きました。山頭火は湯島にいたんですが、そこも焼けてしまいます。

――それでこういう言葉を書いているんですね。「人々に幸福あれ、災害なかれ、しかし無常流転はどうすることも出来ないのだ」。

頭木:
ところが山頭火の災難はそれだけではなかったんです。関東大震災が起きたあと、すぐに憲兵や特高が社会主義者を弾圧したんですね。それで山頭火も間違って、憲兵隊に逮捕されてしまうんです。地震が起きて火事が起きてなんとか逃げて助かったと思ったら、今度は刑務所の鉄格子の中に閉じ込められて、別の死の危険が迫ったわけです。実際、その日は何人も処刑されています。

――そんな目にも遭っていたんですか……。

頭木:
幸い知り合いの口利きで、山頭火は疑いが晴れて釈放されて熊本に戻るんですけど、じつはもう妻とは離婚になっていたんです。家族をほったらかしてふらふらしているので、妻の兄が怒って離婚させたんですね。奥さんはお店をやって子どももちゃんと育てていました。だからもう戻る家はなかったんです。でもまあ、う余曲折あって、なんとか家に置いてもらうんです。

ところがここで転機となる大きな事件を起こしてしまうんです。お酒にものすごく酔って、路面電車の前に仁王立ちになって電車を止めてしまうんですね。危うくひかれるところでした。

――自殺しようとでもしたんでしょうか。

頭木:
何度か自殺未遂をしていますが、このときはそうではなく、たんに酔っ払っていたみたいです。運転手とか乗客が怒って取り囲んで大騒ぎになったんですが、幸い知り合いが通りかかって、山頭火を叱って連れて行くふりをして助け出したんです。それでその人が禅寺の住職と知り合いだったことから、山頭火を禅寺に連れて行き、それがきっかけで山頭火はその寺に住みついて、ついに出家するんです。

――出家のきっかけは、酔って電車を止めたことだったんですね……。

頭木:
山頭火は本山で本格的に修行をしようかとも思うのですが、なにしろ40代になっていたので厳しい修行は身体がもたないだろうとあきらめます。そしてここから、山頭火の旅が始まるわけです。山頭火自身がこう書いています。「大正十五年四月、解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅に出た」。「行乞」というのはたく鉢のことですね。ようするに、いろんな家に行って食べ物やお金をもらうわけです。

――本格的な旅は、43歳になってから始めたと。

頭木:
当時としてはけっこうな年齢ですから、ちょっと意外ですよね。まず九州を旅するんですが、「分け入つても分け入つても青い山」という有名な句は、旅を始めてまもなく九州の山で詠んだもののようです。

――それではここで、頭木さんに選んでいただいた「絶望音楽」をお聴きいただきましょう。

頭木:
虚無僧尺八の「薩慈(サシ)」という名曲を聴いていただこうと思います。虚無僧というのは禅宗の僧侶で、深編みがさをかぶって尺八を吹いてたく鉢をして全国を旅していました。時代劇とかでご覧になった方もおられると思います。山頭火は虚無僧ではないですが、同じようにたく鉢をしながら旅をした禅宗の僧侶ということで、お聴きいただきたいと思います。

♪「薩慈」 尺八演奏・中村明一

頭木:
家の外からこういうのが聞こえてくると思うと、すごいですよね。


【放送】
2023/05/29 「ラジオ深夜便」


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