遠藤周作の「絶望名言」後編

23/06/11まで

絶望名言

放送日:2023/04/24

#絶望名言#文学

古今東西の文学作品の中から、絶望に寄り添う言葉を紹介し、生きるヒントを探す「絶望名言」。文学紹介者の頭木弘樹さんが、遠藤周作の言葉を読み解きます。(聞き手・川野一宇)

【出演者】
頭木:頭木弘樹さん(文学紹介者)

【絶望音楽】長崎・生月島のオラショ

――それではここで、頭木さんに選んでいただいた「絶望音楽」をお聴きいただきます。今回は、どういう音楽でしょうか。

頭木: 長崎・生月島(いきつきしま)のオラショをお聴きいただこうと思います。

――オラショというのは、日本の隠れキリシタンが伝えてきた、お祈りのことですね。

頭木: はい。川野さんもご存じですか?

――実は、オラショ研究の第一人者といわれている皆川達夫さんに、お話を伺ったことがあるんです。皆川さんは、NHKラジオの「音楽の泉」という番組を長い間担当されていましたので、そちらでも有名ですね。それで、きょうの遠藤周作さんの話題で、どうしてオラショなんですか。

頭木: 遠藤周作の代表作の一つに、『沈黙』という小説があります。

――マーティン・スコセッシ監督によって映画化されて、話題になりましたね。

頭木: 『沈黙』は、13か国語に翻訳されて世界中で読まれて、遠藤周作は、グレアム・グリーンから、「20世紀のキリスト教文学で最も重要な作家」とまで言われたそうです。

――私、グレアム・グリーンが大好きなんです。『第三の男』の、あのグレアム・グリーンでしょう?

頭木: はい。ですから遠藤周作は、世界でも高く評価されているんですよね。この『沈黙』は、絵踏(えぶみ)の話なんです。江戸時代、キリスト教が禁止されていたときに、キリストや聖母マリアが描かれた絵を踏ませることで、それを拒否した者を「キリスト教徒」として逮捕して処罰したんです。キリスト教を捨てるまで、捨てることを「転ぶ」と言いますが、転ぶまで、ひどい拷問をしたようです。『沈黙』にも、「穴づり」というすごい拷問が出てくるんですけど、踏み絵を踏まずに拷問にも耐えて、信念を貫いた人たちは、もちろん立派なわけですが、そうではなく、踏んでしまった人たち、そういう弱い人たちをテーマにしたのが、この小説です。

――ここでもまた「弱さ」がテーマになっているわけですね。

頭木: そうなんです。踏み絵を踏まずに、殉教、つまり拷問されたり処刑されたりして死んでしまった人のことは、立派な人として語り継がれているわけですが、踏み絵を踏んでしまった弱い人たちのことは、ほとんど語られていないらしいんです。そこを、遠藤周作は書いたわけです。

――さすがですね。

頭木: 本当にそう思います。やっぱり病気も手術も経験して、人が痛みに対していかに弱いか、ということも、身をもって知ったわけですね。どんなに立派な心を持っていても、圧倒的な痛みには負けてしまう。それは悲しいことですけど、どうしようもないことですよね。

――『沈黙』が、踏み絵をテーマにしているということで、それで今回の音楽はオラショなんですね。

頭木: そういうことです。貴重な録音が残っているので、ぜひお聴きください。

――長崎・生月島のオラショ、「グルリヨーザ」。ラテン語の聖歌を起源とするものだそうです。歌っているのは、生月島壱部(いちぶ)の長老たちです。

♬長崎・生月島のオラショ「グルリヨーザ」

頭木: 貴重な録音ですね。お聴きいただけてよかったです。

――では、次の遠藤周作の絶望名言です。

キリスト教という、合わない“洋服”

私は自分が宗教的、思想的な選択をしてキリスト教の洗礼を受けたのではなくて、私の家がそうだったからという理由で、いつの間にか洗礼を受けさせられたのです。「いつの間にか」ってヘンだけど、まあ母親に「教会へ行きなさい」と言われて、意地汚いものですから教会でくれるパンやお菓子が目当てで行っているうちに洗礼も受けさせられた。
みなさんの年頃になってから、私はもう何回、母親に勝手に着せられたキリスト教という洋服を脱ぎ捨てようとしたかわかりません。全然、私に合わないんだもの。しかし、脱ぎ捨てても、脱いだら今度は着るものがないんだ、私には。裸になってしまうから仕方なく、着たままでいるのです。

(遠藤周作『人生の踏絵』新潮文庫より)

――『人生の踏絵』という本の中の言葉です。講演会での言葉ですね。

頭木: はい。さっき、『沈黙』の話をしましたけど、遠藤周作はキリスト教徒なんですよね。私は、狐狸庵先生のエッセーは、中学生のときに読みましたけど、その後、遠藤周作の純文学のほうは、長い間ずっと読んだことがなかったんです。というのは、純文学って難しそうですし、さらに遠藤周作はキリスト教徒で、作品もキリスト教文学といわれたりするので、ますます縁遠く感じていたんですね。キリスト教の人が読むものであって、自分には関係ない、というふうに。

でも、自分が難病になってから、そういえば、狐狸庵先生も病気で入院したり手術したり、そういうことをエッセーに書いていたなと思って、改めて読んでみると、やっぱり深いことが書いてあったんですね。こういう人の書いた小説なら読んでみたいと思って、まず読んだのが『沈黙』だったんですけど、これがもう、すごいんですね。キリスト教かどうかとか、そういうことは関係なく、ものすごく面白かったんです。それで遠藤周作の描くキリストの姿だったら、すごく好きだなとも思いました。

――遠藤周作さんは「自分からキリスト教徒になったのではない」と言っていますね。「家がキリスト教だったから、お菓子につられて洗礼を受けた」と。

頭木: 今、宗教2世の問題が取り上げられたりしていますけど、親が入っている宗教に子どもも、ということに、なりやすいですよね。まだ幼くて、自分で判断するのは難しいですから。

――遠藤周作さんは、お母さんに着せられたキリスト教という“洋服”が、自分には合わなかったと言っています。

頭木: こういう問題って、宗教に限らずあると思うんです。生まれた家とか親とか環境で決まってしまうことは、いろいろ多いと思います。それが自分に合っていればいいですけど、どうしても合わないということだってあるわけですよね。

――自分に合わない環境で生きていくというのは、なかなか大変ですよね。

頭木: 本当にそう思います。だから、そこから抜け出すために、頑張る人もいるわけですね。宗教2世の人だったら、脱会するとか。

――遠藤周作さんは、どうしたんでしょう。

頭木: 遠藤周作の場合は、自分に合わない“洋服”を、自分に合う“和服”にしようとしたわけですね。具体的には、自分なりのキリスト観というものを持とうとしたわけです。だから『沈黙』を発表したときには、キリスト教徒の人たちの中にずいぶん反発する人がいたそうです。

――そうだったんですね。遠藤周作さんのキリスト観というのは、どういうものだったんですか。

頭木: もちろん簡単に説明できるものではないですし、私に理解できているかどうか分かりませんが、人は苦しいときに、それを理解してくれる人を求めますよね。誰にも分かってもらえないという孤独は、さらに苦しみをひどくしますから、そういうときに、真の理解者となってくれて、しかも一緒に苦しんでくれて、苦しみを分かち合ってくれる人。それが、遠藤周作にとってのキリストなんじゃないかなというふうに思います。

――そういう存在がいてくれたら、救われます。

頭木: 私にとっては、それが「本」なんですね。

――なるほど。誰にも分かってもらえないことでも、本を読めば、文学にそれが描かれているということを、頭木さんはいつもおっしゃっていますね。

頭木: そうですね。そして、本は、いつでもそばにいてくれますから。

――では、次の遠藤周作の絶望名言です。

捨てずに生きる。「人生への愛」

人生が愉快で楽しいなら、人生には愛はいりません。人生が辛くみにくいからこそ、人生を捨てずにこれを生きようとするのが人生への愛です。

(遠藤周作『生き上手 死に上手』文春文庫より)

――『生き上手 死に上手』という本の中の言葉です。

頭木: この言葉、意外じゃないですか? ふつう、人生が楽しいから、愛せるわけですよね。人生がつらくて醜いなら、愛せないですよね。

――まあ、ふつうはそう思いますね。

頭木: ところが、遠藤周作は、人生がつらくて醜いからこそ、愛が必要だと。それでも人生を捨てずに生きるのが、「人生への愛」だと言うわけです。かなり逆転の発想ですよね。

これを読んだとき、私は、とても救われた気持ちになりました。難病になって、もうずっと一生、治らないわけですよね。そうすると、自分の人生はそういう人生なのか、と。自分の人生を愛するなんて、とてもできなかったです。つらくて大変ということだけが確定していて、希望がないわけですから。でも、だからこそ、愛が必要なんだと言われて、びっくりして。そういう考え方もあるのかと。

――頭木さんの心に、響いてきたんですね。

頭木: そうですね。ふつうの人は、「人生にはきっと希望がある」とか、「あきらめるな」とか、そういうふうななぐさめ方をしますよね。遠藤周作はそうじゃないんですよ。「人生はつらくて醜い」と言い切っちゃっているんですね。そこがまずいいです、明るいだけのごまかしがなくて。その上で、つらくて醜い人生を捨てずに生きるのが「人生への愛」だと。

それなら、頑張って愛してみようかと思いましたね。つらくて醜いほど、よけいに愛さなければならないんだなと。だから、人生を捨ててはいけない、自殺してはいけない、と。自殺してはいけないという言葉って、納得できる言葉は意外に少ないんですけど、この言葉は、すごく納得しました。

――窮地に陥っていると思われる人に、じっくりとかみしめてほしい言葉ですね。

頭木: 遠藤周作も、病気で大変だった人生を愛したわけですからね。病気の合間に仕事をしているような感じだったそうです。

――きょう、ここまで話を聞いて、遠藤さんのイメージがずいぶん変わりました。ただ、病気以外の面では、やっぱり輝かしい人生を送ったんじゃないですか。慶應義塾大学文学部仏文科を卒業して、フランスに留学、帰国後に書いた小説で芥川賞を受賞し、ノーベル文学賞の候補にもなっていたそうですから、うらやましいような人生とも、言えないことはないですね。

頭木: 確かに、経歴はすばらしいですよね。ただ人生は、あらすじだけではなかなか判断できないですから。

――家庭的には、必ずしも幸せというふうには言えない面もあったようですね。10歳のときに、両親が離婚したんですか。

頭木: そういうこともあったようです。遠藤周作は自分で書いてるんですけど、子どもの頃は、かなりぼんやりしていたらしいですよ。「水をあげると芽が出る」と教えられて、雨の日も傘をさしながら、毎日、花に水をあげていて、「雨の日は、水をあげなくていいのよ」とお母さんから言われて、ハッとしたそうです。

それから、お兄さんがおねしょをしたときのエピソードも面白いんです。お兄さんが悲しそうにしていたので、なんとかしてあげたいと弟の遠藤周作が思ったと。布団を取り替えたりしてあげたのかなと思ったら、そうではなくて、自分は寝ぐそをしたそうです。

――えーっ……それはお母さんもびっくりしたでしょうねぇ。

頭木: びっくりして、おねしょのほうは吹き飛んだんじゃないでしょうか。

――そこまでしなくたっていいだろうというふうに、思いますけどねぇ(笑)。

頭木: 高校受験のときの話も、なかなか変わっているんですよ。第三高等学校を受験することにして、すぐにもう三校の帽子を買ったんだそうです。気が早いですよね。ところが、試験に落ちてしまった。それなのに三高の帽子をかぶって、学校の先生や友達の家を訪ねて回って、合格したと言ったんだそうです。

――えっ、なぜ?

頭木: 遠藤周作自身にも、理由はわからないそうです。人間って、不思議なことをしてしまいますよね。当然、本当は落ちていたことがバレて、学校中の笑い者になってしまったそうです。それで浪人して、翌年、いくつか高校を受験するんですけど、すべて落ちて二浪になって、次の年も落ちて、三浪になって……。次は、医学部を受けるように、父親に言われたのに、慶應の文学部を受けて合格。父親は、医学部に合格したと思って、親類を呼んで大喜びしていたら、実は違うと分かって、勘当されたそうです。フランスへの留学というのも、きらびやかなようですけれども、当時は戦争が終わって、まだ5年なんです。日本は、連合国にとっては敵でしたから、かなり孤独だったようです。公園の小さなおりで飼われている猿が、一匹で寂しそうなので、たびたびそこに行っては、一つのパンを分け合って、一緒に食べていたそうです。

――一人ぼっちどうしで、猿とは仲よくなれたんですね。

頭木: そうですね。就職のときも、映画に一生をかけようと夢見て、映画会社の松竹の入社試験を受けるんですけど、これも落ちてしまうんです。その上に、浪人時代から肺を病んで、かっ血したりしていたわけですから。

――そうでしたか。先ほど私、遠藤さんの経歴を簡単に紹介しましたけれども、それだけでは、なかなか人というのは判断できませんね。

めいったときこその「絶望読書」

――さてそれでは、きょう最後の遠藤周作の絶望名言をご紹介ください。

頭木: 私はいつも、「絶望したときには読書が命綱になる」「絶望したときこそ読書を」というふうに、「絶望読書」をおすすめしているんですけど、遠藤周作もそういうふうなことを言っていたんです。その言葉を、ぜひ最後にご紹介したいと思います。

――ではお聞きいただきましょう。『らくらく人間学』という本の中の言葉です。頭木さん、今回もありがとうございました。

頭木: ありがとうございました。

陽気なときには、たとえば本を読んでも頭に入らないんだ。自分のなかに問題がないから。(中略)
ぼくは滅入ったとき、非常に読書量が増えるんです。滅入っているからこそ、書物に書かれている問題が実感をもって迫ってくる。これまでに作りあげてきたぼくの人生観などは、みなそういう状態のときに本を読み、考えたことによって形成されています。

(遠藤周作アンソロジー『人生には何ひとつ無駄なものはない』朝日文庫より)


【放送】
2023/04/24 ラジオ深夜便 絶望名言「遠藤周作」 頭木弘樹さん(文学紹介者)


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