ショパンの「絶望名言」後編

23/02/10まで

絶望名言

放送日:2022/12/26

#絶望名言#音楽#クラシック

古今東西の文学作品の中から、絶望に寄り添う言葉をご紹介し、生きるヒントを探す「絶望名言」。文学紹介者の頭木弘樹さんが、ショパンが残した言葉を読み解きます。(聞き手・川野一宇)

【出演者】
頭木:頭木弘樹さん(文学紹介者)

たとえ誰かと恋に落ちることができたとしても

たとえ誰かと恋に落ちることができたとしても、
僕はやっぱり結婚しないだろう。
食べる物も住む家もないだろうから。
そして金持ちの女は金持ちの男を、
またもし貧しい男にしても、
少なくとも病人でなく、
もっと若くて立派な男を期待する。

(原田光子訳『ショパンの手紙』古典教養文庫より 以下同)

BGM
ショパン 「24の前奏曲(プレリュード) 作品28の第15番 変ニ長調 《雨だれ》」

――結婚について言っていますね。またずいぶん悲観的です。ショパンは結婚をしていないのですか。

頭木: 生涯独身で子どももいません。

――好きな人はいたでしょうね。

頭木: 恋愛はしています。プロポーズして、OKしてもらったこともあるんです。26歳のときです。順調にいけば結婚できるはずだったんです。

――うまくいかなかったのはなぜですか。

頭木: それがまさに、健康問題が理由だったんです。マリアという貴族の令嬢が相手で、マリアのお母さんも賛成してくれていたんです。

パリに出てから、ショパンは成功していたんですね。フランスはヨーロッパで唯一ポーランドの味方をしていて、パリにはポーランドから亡命してきた人たちがたくさんいたんです。演奏会も大成功して、ピアノを教えることでたくさんの収入も得るんです。それにパリには芸術家の仲間がたくさんいました。リストとかメンデルスゾーンとか画家のドラクロワとか。シューマンがショパンの曲を聴いて、「諸君、帽子を脱ぎたまえ、天才だ」と言ったというのは有名ですね。

――パリに行って、よかったんですね。

頭木: そうなんです。貴族の令嬢と平民のショパンでは本来は身分差があったわけですが、ショパンが名声を得たことで、貴族のお母さんも賛成したんですね。ただ、名声を得たショパンは忙しくなって、夜な夜な社交界にも出入りするようになり、もともと体が弱いので体調を崩してしまって、高熱を出して血を吐いてしまうんです。後から思えば、恐らくもう結核になっていたんでしょうね。それで婚約を解消されてしまうんです。

――それは悲しい終わり方です。病気という、もともとつらいことの上の婚約解消ですからね。

頭木: ショパンが亡くなった後に、引き出しの奥から「わが悲しみ」と書いた包みが見つかって、その中には、マリアとその母親からの手紙と、マリアから贈られた薔薇(ばら)の花が枯れて入っていて、丁寧にリボンで結ばれていたそうです。

――ショックの大きさがわかりますね。ショパンが好きになった人というのは、マリアさんだけだったんですか。

頭木: いえ、その後にジョルジュ・サンドという女性と出会います。ショパンの恋愛で有名なのはこちらのほうですね。

――ジョルジュ・サンドはフランスの作家ですね。男装、男性の服を着て、葉巻をふかして、という。

頭木: そうですね。いろいろな男性と恋愛をしたようですけれど、ショパンより6歳年上で、当時、子どもが2人いました。ショパンは最初、何と嫌な女だろうと思って印象がよくなかったようです。まあ、ちょっと変わってますからね。でも実際には、最初の印象とは違う女性だったんでしょう。2人は大恋愛をします。約9年間、ショパンが28歳のときから37歳のときまで、ともに過ごします。

――でも、結婚ということにはならなかったんですね。

頭木: いろいろ理由はあると思いますが、一つには、ショパンは交際が始まってすぐに、かなり体調を崩してしまうんです。スペインのマヨルカ島に一緒に行って、南の島なのでショパンの体調のためにもよかったはずなんですが、冬で天候が荒れて、かえってショパンは、これまでにないほど弱ってしまうんです。マヨルカ島の3人の医者に診てもらったときのことを、ショパンはこんなふうに書いています。

一人は僕がくたばったと言った。二人目は死にかけていると言い、三人目は死ぬだろうと言った。

頭木: さんざんですよね。命も危なかったわけです。幸いなんとか回復するんですが、その後、ショパンは何度も体調を崩します。そのつど、ジョルジュ・サンドが看病したんです。ですからジョルジュ・サンドとの9年間は、恋愛関係というより、かなり介護関係なんですよね。ジョルジュ・サンドはショパンが病気でも見捨てなかったわけです。いろいろ言われることもありますけど、よく介護をしたなと思いますよ。

――そういう状況では、ショパンは作曲どころではなかったでしょう。

頭木: ところがジョルジュ・サンドとの交際期間中に、名作がたくさん生まれているんです。大変だったマヨルカ島でも作曲していて、先ほどかけていただいたのは「雨だれ」という曲ですが、これもそのとき作曲されたものです。

――そうでしたか。先ほどおかけしたのは、イーヴォ・ポゴレリチのピアノ演奏でした。では、次のショパンの絶望名言です。

なぜ神は、僕をまだるっこしい熱で殺すのか

なぜ私はこんなにもひどく苦しまねばならないのでしょう。
(中略)
こんな風に惨めにベッドの上で死ぬのなら、
この苦痛に堪えることが、いったい誰のためになるでしょう!


BGM
ショパン 「ピアノソナタ第3番 ロ短調 作品58」

――これは、本当につらい言葉が並びましたね。

頭木: ショパンが亡くなる前の月に、弟子に言った言葉です。どうしてこんな苦痛に耐えなければならないのかというのは、病気になった人がみんな思うことですよね。ショパンは39歳の若さで亡くなるんですが、さらに若いときから、ずっと病気で苦しんできたわけです。いつから結核だったのかには諸説あるんですが、7~8歳からとも言われています。だとしたら30年以上、体がつらかったことになります。血を吐いたのは27歳のときですが、そこからでも12年ですよね。

――「なぜ私はこんなにもひどく苦しまねばならないのでしょう」と言っています。そこに何か意味があれば、別でしょうけれども……。

頭木: そうなんですよね。シモーヌ・ヴェイユがこんなふうに言っています。

不幸な人の「なぜ」にはいかなる応答もない。

(今村純子編訳『シモーヌ・ヴェイユ アンソロジー』河出文庫より)

頭木: 不幸だと「なんで自分がこんな目に?」と思いますけど、その「なぜ」に答えはないんですよね。その答えのないことで、よけいにつらさを増すんです。

――理由もなく、苦しめられるということですね。

頭木: しかもそれが長くて休みがないというのが、きついんですよね。ショパンはこんなふうに書いています。

なぜ神は僕を一思いでなく、こんな風に徐々に、まだるっこしい熱で殺さなくてはならないのだろう。

(原田光子訳『ショパンの手紙』古典教養文庫より 以下同)

頭木: 長く苦しんだ人の言葉ですよね。

――ただ、ショパンがもし「一思い」に子どもの頃に亡くなっていたら、神がそんなふうに運命を下していたら、われわれはたくさんの名曲を味わえませんでした。苦しみの中から名曲が生まれたと、言えないわけではないです。

頭木: それは確かにそうです。ショパンの残した曲がこれほど心に響くのは、苦しみを知っている人だったからだと思いますね。ですからショパンを語る上で、ずっと病気だったということもとても大きなことだと思います。ただ、ショパンが健康だったとしても、それはそれでまた別の名曲を残したかもしれないなとも思います。だから病気になってよかったとか、苦しんでよかったということはないと私は思います。

――それはそうですね。この言葉のために頭木さんが選んだ曲は「ピアノソナタ第3番 ロ短調 作品58」、演奏はグレン・グールドでしたが、これはどういう曲ですか。

頭木: ショパンが34歳のときに、ワルシャワの父親が結核で亡くなるんです。ショパンは、20歳で国を出てから故郷に戻れませんでしたから、25歳のときに一度だけ父親が国外に出てくれて会えたんですが、それっきりだったんですね。それだけに、ショックも大きくて寝込んでしまいます。このままでは命も危ないと思ったジョルジュ・サンドが、ショパンの母親に手紙を出して、ショパンと仲のよかった姉のルドヴィカがショパンのところにやってくるんです。こうして久しぶりに家族に会えてショパンは元気を取り戻して、そうして作曲したのが「ピアノソナタ第3番」です。

――悲しみと喜びが、ないまぜになっているように感じます。

何かささやかな詩に会いたいから

――最後にご紹介するショパンの絶望名言を、ご説明いただけますか。

頭木: はい。ジョルジュ・サンドと別れた後、世話をしてくれる人があって、ショパンはイギリスに行くんです。でも気候が合わなくて、ますます体調を崩してしまうんですね。それでパリに戻ることにするんですが、その前に、パリにいる友達に部屋を整えておいてほしいと頼むんです。寝込むことになるから、すみれの花を買っておいてほしい。なぜなら、「帰宅した時に何かささやかな詩に会いたいから」と。これ、私はとても好きな言葉です。もう亡くなる前の年で、花なんてのんきなことを言っている場合ではないわけですが、つらい生活だからこそ、「何かささやかな詩」みたいなものが大切なんですよね。

詩とかって、何かちょっと高尚なものと思われがちですが、絶望的な状況でこそ必要になるものだと思うんです。ふっと花が目に入ったり香りがしたり、そういうことも生活の中の詩なんですよね。つらいときこそ、そういう詩が大切になるんです。ショパンは「ピアノの詩人」と呼ばれるわけですが、ショパンの曲も、つらい生活の中で、「何かささやかな詩」になってくれるものなんじゃないかなと思います。

――曲は、「エチュード 《別れの曲》 ホ長調 作品10の3」です。ピアノ演奏はアルトゥール・モレイラ=リマです。

頭木: ショパンは「別れの曲」について、「一生のうち二度とこんなに美しい旋律を見つけることはできないだろう」と語ったとも伝えられています。モレイラ=リマというピアニストは、音楽に触れることの少ない、へき地の人たちのために、トラックにピアノを積んで演奏に出かける活動をしているそうです。まさに「何かささやかな詩」を、届けている人ですね。

――それではお聴きいただきましょう。頭木さん、今回もありがとうございました。

頭木: ありがとうございました。

居間によい香りがするように、
金曜日にすみれの花束を買わせてほしい。
帰宅した時に何かささやかな詩に会いたいから。
——長い間寝つくにきまっている寝室へと、
居間を通りぬける時に。


BGM
ショパン 「エチュード 《別れの曲》 ホ長調 作品10の3」


【放送】
2022/12/26 ラジオ深夜便 絶望名言「ショパン」 頭木弘樹さん(文学紹介者)


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