徹底対論 日本の政治を問いなおす(1)

マイあさ!

放送日:2024/02/12

#インタビュー#政治#経済

自民党の派閥の政治資金パーティーをめぐる「裏金」問題。平成の政治改革から30年がたち、「政治とカネ」の問題が改めて問われています。あの政治改革は何だったのか? 政治家、私たち有権者、そして日本の政治はどうあるべきなのか? この国の政治が抱えている問題点や望まれる政治家像など、あるべき姿を考えました。

【出演者】
保阪:保阪正康さん(現代史研究家、ノンフィクション作家)
田中:田中秀征さん(福山大学客員教授、元経済企画庁長官)
中北:中北浩爾さん(政治学者、中央大学法学部教授)

安達:安達宜正(NHKラジオセンター長、政治担当解説委員)
星川:星川 幸(『マイあさ!』キャスター)

「裏金」問題をどう見るか?

安達宜正ラジオセンター長

安達:
僕は宮沢政権の末期だった平成5年、1993年にNHKの政治部に転勤してきました。きょうお話をうかがう3人は、戦後の政治史や平成の政治を、1人は当事者の立場から、1人は取材者として、もう1人は研究者として、それぞれ積極的に発言し、行動してこられました。この問題を論じ合うのに最も適切な方々だと思います。

星川 幸キャスター

星川:
まず、自民党の派閥の政治資金パーティーの売り上げの一部が国会議員にキックバックされた事件について。
岸田総理大臣は「国民の信頼を損ねる大変深刻な事態を招いていることについて自民党総裁として心よりおわび申し上げる」と陳謝するとともに、政治資金規正法の改正に向けて各党と議論していく考えを示しています。
現在の政治の状況について、皆さんはどのようにとらえていらっしゃるんでしょうか?

保阪正康さん

保阪:
今の政治、新聞を見ていると「政治とカネ」というタイトルで報じているんですが、私はちょっと違うんじゃないかと思います。この「政治とカネ」の問題は戦後社会で今まで何回も繰り返され、ある周期をもって語られてきていますが、「政治とカネ」というのは副次的な問題で、基本的には「政治家と国民」の問題なんですね。「政治とカネ」という言葉はある種の大衆的な共感を呼ぶための問題提起なのかもしれないけど、本質はそうじゃない。「政治家と国民」のあり方ですね。ここのところを考えていかないと解決策は出てこない。そういう状態に進んでいかなきゃいけないと私は感じています。

もっと言うと、司法・行政・立法の三権のほかに、さらに会計検査院のような形の、あるいは孫文が言うところの「三民主義」「五権憲法」という五権の形。司法・立法・行政のほかに、議会政治の点検とか予算の施行の確認とか、そういう権利を確立するような方向の民主主義さえも考えていいのではないかなと感じています。

田中秀征さん

田中:
よく今回の事件が、リクルート事件が起きた30年ちょっと前と比べられるんですが、その悪質性とか深刻さとかという点で、今回のほうがはるかに勝ると思っています。というのは、今回は個人の問題が集積したっていうんじゃなくて、派閥ぐるみ、党ぐるみという印象ですね。それで違法性をきちんと認識したうえで計画的にやっているという感じがするので、これは本当に政治の土台からもう一度築き直さなきゃいけない。
その時に大事なのは、この問題のポイントが、政治資金がどこから入ってくるかの「入り」よりも、政治資金の「出」のほうが大きな問題であるということ。だから自分も含めて国民の皆さんは「何のために政治資金を使っているのか?」この点を議論しなきゃいけないと思います。

政治の側からは「政治にカネがかかる」「選挙にカネがかかる」という弁解が常にあるんですけれども、自分もその中にいた経験から、カネがかからない政治をすることはいくらでもできる。それなのに、今回はその観点が欠けている。僕はそこから問題にしていかなきゃいけないと思います。今のように浴びるような政治資金を集める必要はまったくないと思っているので、政治の信頼を取り戻すためにはとにかく「出」のほうの規制をどうするか? 肝心なのは「入り」の規制よりも「出」の規制。
たとえば余計な「電報」を打たないとか、あるいは会合の時の「会食」の問題とかね。そういうところからメスを入れていかなきゃいけないと思いますね。

中北浩爾さん

中北:
今回の裏金事件は、5年間で6億円という金額を安倍派が裏金化していたという事件で悪質なものですけれども、私は「令和のリクルート事件」という表現にはやや違和感があります。リクルート事件は贈収賄事件で、今回は不記載の問題ですよね。かつては企業を含めたいろんな社会に「裏金」というものがありました。そうしたものがこの20年ぐらいの間に徐々に徐々になくなってきたわけですけれども、安倍派はそれをずっと消さないできた。裏金を消せなかったリーダーシップ、それを行使できなかったことが私は非常に大きな問題だと思っていて、この事件を見ていると、かつて丸山眞男が書いた「軍国支配者の精神形態」という論文の指摘と重なるんですね。

この論文は、侵略戦争で巨大な惨禍をもたらした指導者の責任を問うているんですけど、ナチス・ドイツの場合は結果について極めて自覚的だったのに対して、日本の軍国支配者は権限がないとか既成事実に引きずられる形で小さな悪を積み重ね、その結果、巨大な惨禍を生み出したというものなんですね。これは「無責任の体系」だという分析がなされているわけですが、今回も要するに安倍派の幹部を務めたメンバーは、「裏金というものが続いてきていたからだ」とか「やめる権限がないからだ」と言ってやり過ごしてきて、途中、安倍総理が「やめたら」と言っても、なかなかやめられなかったという、私からすると非常に情けない話。平成の政治改革で「リーダーシップを強化しないといけない」「政治主導だ」ということでさまざまな制度を変えてきたのに、権力の中枢の安倍派がこの体たらくであったということ。この事件は非常に情けない政治家のありようをあぶり出したという意味で、私は極めて深刻だと思っています。

領収書がいらないお金って?

安達:
「政治とカネ」の問題で非常に国民の評判が悪いというか多くの指摘があるのは「政策活動費」で、政党が国会議員に対して資金を移譲する時に届け出なくてもいいというか、自由に受け渡しをすることができるお金です。
もう1つは「調査研究広報滞在費」へと名前が変わった旧「文通費」で、これも領収書がいらないお金です。
さきほど田中さんから「『入り』の部分と同時に『出』の部分の議論をしなきゃいけない」というお話がありましたが、中北さん、領収証がいらないお金というのははたして必要なのでしょうか?

中北:
今回の派閥の裏金問題って、ちょっと昔の旧来の問題なんですよね。政治改革によって派閥よりも党のほうにお金が集まるような構造が出来ている。それで自民党には160億円という政党交付金が入るようになっていて、派閥が集めるお金のほうは、かつてに比べれば10分の1になっているんですよ。だから今回の裏金問題は非常にけしからんことなのですが、力が弱くなった「派閥」で起きている問題が最も重要な論点であるかのように考えるのは、ちょっと違うかなと思います。むしろ今、最大の闇になっているのは「政党」のほうだと私は思うんですね。それを考えると、領収書がいらない「政策活動費」は、半ば合法的な形で裏金化しているわけですよ。

二階元幹事長には5年間で50億円という額の政策活動費が渡っている。今回の安倍派の裏金は5年間で6億円ですよ。桁がやっぱり1つ違うんですね。さらに河井案里元参議院議員の事件は、党からお金が渡って、それが選挙の買収に充てられているという新手の汚職事件が起きているわけです。こう見ると政党本位にすれば世の中が良くなるという想定は相当怪しくなっていて、むしろ政党本位にしたことでいろんな問題が存在しているというところにも、我々は目を向けないといけない。ですから今回のこの「政治とカネ」の問題では「政策活動費」にまで踏み込めるかどうか? 岸田総理の本気度がここに現れると、私は思っています。

安達:
ただ、額は違いますが野党の一部にも政策活動費だとかいう感じのお金があったりしますので、今回の「政治とカネ」の問題は与野党で議論がまとまるのかな? と感じているんですけれども、どうでしょうか?

田中:
まあすべて、政治家個人、政党の良識の質の水準の問題ですよね。だけどそれが低くなっているんだったら、明瞭化しなきゃいけない。昔、僕が最初に見た政界というのは本当に札束が動くようなところでしたが、それぞれがきちっとしたそれなりの姿勢を持って対応していました。やっぱり見識とか良識の問題ですね。それがないから「明瞭にしろ」って言っているわけですよね。

保阪:
昔、私が読んだ本で、明治23年から議会政治に出ていた人が大正時代にリタイアする際、新聞記者に話したコメントがあるんですね。その中で大正時代の末期にこういうことを言っている。「自分でカネを集める政治家は愚かそのものだ」と。つまり井戸塀政治家はだめだっていうんですね。「ジャングルで強い者が弱い者を食べるだろう。その肉を食べるだろう。その肉が政治資金なんだ」とはっきり言っています。「人を食べて、それで政治資金をためるんだ」「だからそれができるのが領袖(りょうしゅう)になるんだ」というようなことを言っています。

たとえば原敬はそういうところはきれいで彼自身はお金を持っていなかった。だけど彼には集金する力はかなりあり、ばらまくのもまたすごかった。だから昔の政治家というのは自分の金を使った人も確かにいるでしょうけれども、他人を食っていく。その「食っていく」というのは「他人のカネを取る」ということですけど、「それがやっぱり政治家のカネなんだ」と述懐しているんですよ。その政治家は結局、「だから自分は一流になれなかった」と言っているんですが、最近も「自分はカネ集めが下手だったから大臣になれなかった」と言って代議士を辞めた人がいましたね。それでこの話を思い出したんですが、「ああ、政治家の心理の中にはそういうのがあるんだな」と改めて思いましたね。

派閥をなくせばいいのか?

安達:
先生方からは、有識者の立場で高い倫理とか哲学のような話をしていただきましたが、ちょっと現実政治のほうに話を戻して、自民党の政治刷新本部が出した「中間とりまとめ」についてうかがいます。与野党の政治家と話をすると3つの論点があり、1つは「政治とカネ」の問題。それから「派閥」の問題。そして「政治家の責任の取り方」がポイントだということですが、「中間とりまとめ」を見ると、どうも派閥の問題に焦点が当たりすぎているんじゃないかという議論もあると思います。
その一方で、先日ある政治学者からは「今回の派閥をめぐる政局は、岸田総理の一人勝ちじゃないか」と指摘するメールも届きました。

僕も自民党を長く取材してきましたが、「自民党」と「派閥」というのはなかなか切っても切り離せないところがあります。この点は中北さんのご専門ですけれども、派閥の功罪も含めてどのように見られていますか?

中北:
そうですね、「派閥をどうとらえるか?」の議論はずっと自民党の中にあり、結党以来、「党近代化」という名の派閥解消の主張があるんですね。それが1つの正論として存在する一方で、「派閥解消でいいのか?」という主張もかなりあります。派閥とか個人後援会を中心とする党組織のあり方は、自民党が勢力を維持するうえで有用であるという考えであったり、派閥があるので疑似政権交代が行われ、自民党の政権を長期化するのに有用だという議論であったりします。

さらに言うと、私が注目してきたのが1980年代前後。当時の大平正芳首相は「人が3人いれば2つ派閥ができる」と述べましたが、それだけでなく、もう少し深い哲学があり、「派閥が切磋琢磨していることによって自民党は活力が生まれるし、総理総裁に対するチェック機能を果たせるんだ」と。また、「共産党のような民主集中制では硬い組織になる」と。このように、「派閥」というのは党組織に関する哲学が絡まった問題なんですよ。

ただ今回の自民党政治刷新本部の「中間とりまとめ」は、「派閥に対して批判が強いから解消しましょう」というものです。しかも、「政策集団をカネとポストから切り離したほうがいい」という非常に単純な整理がなされています。要するに、状況から強いられた整理をしているだけで、宏池会の元会長である大平正芳総理の含蓄のある哲学のようなものが、ここにはまったく見られないという意味で、私は非常に残念です。ポストから切り離すといっても、自民党総裁選挙を戦うためにはやはりグループを作らないといけない。この「中間とりまとめ」の結論は、哲学の面でも現実の面からも同意し難い部分が多いと思いますね。

安達:
田中さんはかつて宏池会に所属し、宏池会から離脱されて、自民党からも離脱されましたが、どのように見られていますか?

田中:
1970年代には自民党の「5大派閥」時代がありましたよね。そこでは5人それぞれが公認の総裁候補だったんですね。本人もそう思っていたし、周囲もそう思っていた。「いやあ、出る気があったら出ます」という最近の派閥の親分とは違うんですね。それにきちっと構想力が伴っていた。思想的なズレもあった。そういう特色があったのに対し、今はただ集まっているだけっていう感じですね。

たとえば宏池会だったら、歴史認識という点では一致していましたよ。それから自由権の尊重とか国の独立性に対して宮沢喜一さんなどは特に思いが強く、そういう思想については揺るぎないものを持っていた。
それが今の宏池会ではどうか? どう考えたってあの日本学術会議の任命拒否の時にははっきり手を挙げて「おい、任命拒否は無理じゃないか。やめろ」という声が出ているはずなんですよね。それに森友学園や加計学園の問題への対応でもそうだけど、そういう目で岸田さんのやることを見ていると、昔の宏池会とは全然違うと思いますよ。

安達:
岸田総理大臣は「自分は生まれたときから宏池会だ」とおっしゃっているみたいですけど?

田中:
まあ、だけどやっていることはちょっとね。たとえば会食のあり方にしても、宏池会を結成した池田勇人さんはカレーライスを食べながらやっていたわけですよね。そういうことからしても岸田さんはとにかく昔の原点に返るっていう気持ちで宏池会を引き継いでいたのに、あっという間に解散しちゃいましたからね。

安達:
戦後多くの政治家にインタビューされてきた保阪さんは、歴史的な観点から、今の派閥をどのようにご覧になっていますか?

保阪:
いわゆる保守合同で自由民主党に一本化してからちょうど70年目になるのかな。僕は派閥が悪いとはまったく思ってなくて、派閥はむしろ健全に機能するかぎり、無いほうがおかしいと思います。逆に言えば自民党は派閥があるからこそ自民党なんですね。というのは自民党が一枚岩の政党になったら極めて怖い政党になります。宇都宮徳馬さんがいたり、社会党よりも左ではないかというような意見を言う人がいたり、そうかと思うと右のすごい過激な思想で「戦前に戻れ」というような人までいる。その幅広いところを抱え込んでいる人たちの共通点は何かといったら、「権力の座にいる」ということですよね。日本の政治を動かすということですから、その日本の政治を動かす自民党の持っている各派閥が存在することで自民党が維持されている。それはある意味で日本社会を象徴しているわけで、私は派閥を一概に悪いと決めつける論はかなり軽率な論だと思いますね。

問題は派閥がお金と絡んだり、人事と絡んだり、ある種の横暴を極めていくそのプロセスとその形を僕らが問題視するわけで、そのプロセスとその形の中でやっぱり政治家が信念を失い、だんだんだんだん強いものについていく。結局、大政翼賛会的な方向に行きかねないような形の派閥運営になったらむしろそのほうが怖いと思うので、派閥を一概に否定して宏池会を解散するとか、脱退するとか、そういう問題で解決を図ろうとするのはあまりにも短兵急な解決策にすぎない。長い目で見ると、むしろ日本の議会政治の上では不幸なことじゃないかと私は思うんですね。

安達:
今回の問題は、派閥の問題というよりもパーティー券の売り上げの一部のキックバックを受けて、それを政治資金収支報告書に記載していなかった問題が一番大きな問題であって、派閥の存続の是非というのはまたちょっと違うところから議論しなきゃいけないし、これ社会党ですとか民主党ですとか、それから今の立憲民主党にも、大きな野党にも派閥というのはあるわけですよね。中北さんはどのような意見でしょうか?

中北:
派閥の弊害があることは確かですね。たとえば、大臣でも十分な能力がないのにもかかわらず、派閥の推薦で大臣になって答弁に窮することもありますので、弊害があると言わざるをえません。けれども、自民党って本質的に「政策」ではなく「人脈」で出来ている政党です。「人」本位ですね。地域に行っても人本位であり、「この人を応援しよう」っていう方々が中心になって集まり、個人後援会を作って戦っている。で、派閥を「政策集団」と言うけども、政策的なことをやっているかというと、そうではなくて、やっぱり「人脈」ですよ。リーダーを中心とする人の集まり。だから自民党は、政策をめぐって多少対立しても、まとまっていけるわけです。

ただ田中さんや保阪さんもおっしゃったように、派閥は現在、形骸化してきています。リーダー中心で生き生きとグループが出来ているかというと、同じ人が領袖をやり続けていて、運営も制度化されている。総裁選の対応でまとまれるかというと、まとまれないなど形骸化している。もう一度、人を中心とした活力がある派閥というか党内グループをどうやって作れるか、というのが自民党の課題ではないでしょうか。そういった課題を抱えていたからこそ、今回、派閥がバタバタとドミノ倒しのように自己崩壊しているという状況じゃないかなと思いますね。

安達:
安倍派にしても「清和政策研究会」といって「政策集団」と自ら名乗っていたわけですね。ただ、いつの間にか派閥ということになって、このへんはちょっと分からないところもあります。

法律や政治家に対する不信感

星川:
さて、今回、番組ではリスナーの皆さんからメールやFAXで《おたより》をいただきました。

神奈川県【宇田川榕一郎】さん
これまで私たちはあまりにもお人よしの健忘症であったと言わざるをえません。このまま派閥組織の実態や裏金の使途、使いみちなどを明らかにしないままほおかぶりして幕引きを許すことがあってはなりません。国会での徹底追及と選挙による国民の審判が不可欠です。

東京都【吉田雄太さん】
国民のために働くはずの議員の方、会計責任者に罪を着せて自分は責任を取らない。上の者が責任を取るのが当たり前のこと。『政治の世界は違うんだよ』とは言わせたくない。

埼玉県【JOAKさん】
明らかに政治家に有利な穴だらけの政治資金関連の法律を早急に改善してほしい。

このような声が多く寄せられています。「政治とカネ」の問題をどうしていくべきなのか? 私たちの最大の関心事の1つになっています。「政治にはカネがかかる」と言われますが、実際どうなんでしょうか? 田中さん、この点はいかがですか?

「会食費」も政治資金から?

田中:
国会議員の仕事ですが、法律をつくったり、政策研究したりする。あるいは選挙をする。それについて不自由しない公的なお金が出ているわけですよ。その上に国会図書館だの衆院選の事務局だのさまざまあり、政策秘書まで付く。ですから一般の人から見て「そのほかに何が必要なの?」って言いたくなると思うんです。

だから、さっきも言ったように使いみちをもう少し徹底して議論してほしいのに、やってないじゃないですか。問題の議員たちがみんな困るからですよ。どこから政治資金を手に入れるかというのは「こういうところに使いたいから」という使いみちがあって初めて成り立つことじゃないですか。その「出」の議論をしないで、「入り」の問題っていう話では全然ない。だから僕に言わせると、今の状態で困ることってないはずですよ。だからその使いみちの問題から議論を始めなきゃ。それで「出」についてはそれこそゼロから考えなきゃいけない段階に来た。
それは結果的には「いい人材を生んでいくための流れをどうやって作っていくんだ?」というところにつながっていくと思うんですね。

星川:
中北さんはいかがですか?

中北:
一定程度の秘書、私設秘書を雇うと人件費もかかってくるだろうし。会食だって必要な部分もあるでしょう。意見交換する時に、そこら辺のお店でやるわけにはいかないので。

田中:
だからその「会食」をね、自腹を切れって言ってるんですよ。当然でしょう。

中北:
そうですね。だから、そういったところの峻別(しゅんべつ)は必要でしょう。政治資金については税金がかからないというある種の特権がある以上、それを維持するためには節度や責任も当然求められるわけだから、「政治とカネ」の問題で政治不信を招くようなことをするのは言語道断ですよ。ですからそうならないように連座制のような制度をつくっていくと。トカゲの尻尾切りをして秘書が全責任を負わされるようなことはあってはならない。議員自身が本当にこの問題について真剣に考えないといけない。身をきれいにしないといけない。加えて言えば、制度をつくることとともに、やっぱりこういった問題を見ると、我々有権者もクリーンで見識を持った議員を選んでいかないといけないということが、同時に言えるんじゃないかなと思います。

私が見るかぎり、国会議員は朝から晩まで働いている方が多いんですよ。国会議員が一定の政治資金を必要とすることはやむを得ないと思いますけれども、しかしながら裏金が必要かというと、はっきり言っていらないでしょう。他を見れば裏金づくりをやってない派閥がたくさんあるわけだし。ですからいらないんですよ。私も領収書がなかったらお金は使い勝手がいいと思いますよ。でもそういうことをやると、こういうことになるんですよ。もう今回は徹底的にうみを出し切ることが必要。今回のような問題は、自民党にとっても国家にとってもいいことじゃない。徹底的に政治資金制度改革をやるべきではないでしょうか。

田中:
献金の中には、個人とか、いろんな団体でも「こうしてもらいたい」「応援したい」「立派な政治をしてもらいたい」という非常に純粋な献金というのがもちろん基本にありますから、それを否定するものじゃないですよね。

中北:
そうですね。一口に献金と言っても、企業・団体献金、とりわけ行きもしない「パーティー券」を企業・団体がたくさん買うのと、個人が身銭を切って応援しようというのとでは相当な違いがあるので、全部を否定するのは行き過ぎだけれども、やっぱりどこかで線引きが必要でしょう。たとえばパーティー券については、来なかったパーティー券は全額返金するようにすれば、これは当然、手数料を含めてパーティーをやる側の負担になってきますので、抑制する効果があります。さまざまな工夫もしながら、やっぱり行き過ぎた「政治とカネ」の問題、カネで政治が動くような状況というのは、改善していかないといけないんじゃないでしょうか。

かつて「機密費」で政治家は

安達:
保阪さんにはちょっと別の観点でお聞きしたいんですけれども、戦前というか昭和初期の頃かもしれませんが、この「政治とカネ」の問題というか国民の政治不信みたいなものが軍部の台頭を招いたところがあったと思います。保阪さんはその歴史をずっと見てこられて、どのようにお感じになられていますでしょうか?

保阪:
昭和6年の9月が満州事変ですけれども、満州事変のときに議会政治は正直言ってかなり腐敗の極に達していた。その汚職のほかにも政友会と民政党の対立があり、その対立が極めて感情的あるいは打算的で議会政治を守護するという視点から外れていくようなちょっと阿漕(あこぎ)な対立になるんですね。そういう中で軍部が革新勢力として国民の期待を担ったのは確かに事実なんです。それをいいことに軍部が既成事実を積み重ねていったことを踏まえれば、議会政治自身が反省しなきゃいけないことがあったのは事実です。

軍部は、日中戦争や太平洋戦争へと進んでいくプロセスで議会政治をどうやって乗っ取っていったのか? 軍部に陸軍省軍務局内政班というのがあるんですが、これは国内の政治家を親軍派に変える役割を果たす軍の将校たちのセクションだったんですね。それで昭和10年代に軍は3つのことをやるんです。

1つは、陸軍は「機密費」を持っていますから、領収証がいらないカネを軍の中にばらまき、議会の中にもばらまく。すると議会の中に親軍派のある種の有力議員ができて、その人を通じてまた何人かにカネがまかれていく。そのまかれたカネについて陸軍省軍務局内政班にいた将校に証言を求めたことがあるんですが、彼は「確かに軍は領収書がいらないのでカネをまいたけど、同時に政治家、代議士のほうがタカってくるんだよ」と言っていた。そうやって機密費で政治家を籠絡(ろうらく)していった。

また1つは、軍服を着た軍人が議会をどっかから見ていて、東條英機の演説に賛成や拍手をした議員は誰だったか? 「○○」と「○○」と「○○」というふうに記録する。それは威圧ですよね。明らかに議会政治を形骸化しようとするものです。

もう1つは「在郷軍人会」です。これは集票ですね。在郷軍人会というのは軍に一度籍を置いた人たちが作る官製の組織ですが、そこで「あいつを落とせ」「あいつに抗議せよ」と言って、その代議士の持っている集票機能を完全に崩壊させる。そういう形で議会政治を形骸化していったんですね。

しかしですよ、それにも関わらず威圧に負けなかった議員がどれだけいたかということです。尾崎行雄にしてもそう。斎藤隆夫にしてもそう。そういう議員の政治姿勢と政治理念と政治家としての信念に、私たちはもう1回立脚点を置くべきだと思いますね。


【放送】
2024/02/12 「マイあさ!」


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