【出演者】
松村邦洋さん
堀口茉純さん
川久保秀一さん


2022年12月18日(日)放送の<DJ日本史>はシリーズ企画『大河になるかな人物伝』の2回目、天下人秀吉の弟・豊臣秀長(とよとみ・ひでなが)に注目しました。農民から天下人に上りつめた秀吉ですが、その天下取りを支えたのは忠実な家臣団とばく大な金銀。この豊臣政権の「人とカネ」を用立てた人物こそ、豊臣秀長でした。豊臣政権の屋台骨でもあった人物、豊臣秀長のすごさとは?

秀吉はよく“人たらし”だったと言われますが、家来たちのまとめ役をかなりの部分で行っていたのは実は弟の豊臣秀長だったと言われています。

農民から成り上がった秀吉に譜代の家臣はおらず、集まってきたのは流れ者の浪人、世のどさくさに乗じて一旗揚げてやろうという地侍など、一癖も二癖もある人たちばかりでした。
秀長はそんな荒くれ者たちを家臣団にまとめあげていったのです。その実態とは?


こんな話が残されています。

まだ若き日の秀吉が織田信長に仕えていたころのこと。
信長が美濃の国に攻め入る際、秀吉は意表をつく作戦で功を挙げ出世の糸口をつかんだ、と言われています。
世に言う「墨俣(すのまた)の一夜城」。敵のすぐ前に、すきをついて攻撃の拠点にする城を築いたのです。
このとき資材の材木の運搬に木曽川を使おうとしたのですが、それには辺り一帯を支配する蜂須賀小六(はちすか・ころく)の協力が欠かせませんでした。
そこで秀吉と秀長、蜂須賀小六の元へ出向きます。

まずは秀吉、言を尽くして協力してくれるよう訴えます。
しかし、これまでは手を貸してくれた小六も今度ばかりは渋い顔。というのも、敵地に城をつくる作戦はとても危険だったからです。
いくら秀吉が説得しても、首を縦にふりませんでした。

すると、それまでじーっと黙っていた秀長、初めて口を開きました。
その言葉、自分のプライドは脇に置いて実に率直、こんな具合でした。
「我ら兄弟、大して武芸の力がないながらこれまで手柄を挙げることができたのは、蜂須賀小六殿のおかげ。小六殿は自分の利害にとらわれず仁義を大切にされる方。その思いを貫いて、どうかお助けくだされ」
こう言って頭を下げた秀長に、蜂須賀小六、「しかと承った!」

伝わるところでは、秀長は朴とつで実直、とても穏やか。兄・秀吉のように機転が利いて才知が働くタイプではありませんでしたが、家来たちはこの秀長を強く信頼していたようです。
後に蜂須賀小六の仲間は、こう語っています。
「我ら、秀吉様はさることながら、弟の秀長様にとても心ひかれたのだ」

DJ日本史「大河になるかな人物伝 豊臣秀長」②