【出演者】
松村邦洋さん
堀口茉純さん
川久保秀一さん


2022年12月18日(日)放送の<DJ日本史>はシリーズ企画『大河になるかな人物伝』の2回目、天下人秀吉の弟・豊臣秀長(とよとみ・ひでなが)に注目しました。農民から天下人に上りつめた秀吉ですが、その天下取りを支えたのは忠実な家臣団とばく大な金銀。この豊臣政権の「人とカネ」を用立てた人物こそ、豊臣秀長でした。豊臣政権の屋台骨でもあった人物、豊臣秀長のすごさとは?

秀吉は金に物を言わせたやり方で戦を制したことが何度もあります。
例えば鳥取城を兵糧攻めにしたときは、敵が米を手に入れることが出来なくなるようばく大な金を使って事前に米を相場の何倍もの値段で買い占めました。
また備中の高松城は川の流れをせき止めて水攻めにしましたが、このときも秀吉は金の力で大勢の農民を高い報酬で雇いあげ、堤防を12日間で作らせています。

こうした多額の軍資金調達で活躍した人物こそ、弟の秀長。
秀長はどうやってお金を用立てたのか、その目の付け所とは?


織田信長から中国地方の平定を命令された秀吉でしたが、実はこのとき、秀吉の手元に金はほとんどありませんでした。ひとまず多額の借金をして戦場に向かったのですが、このとき秀長、鋭い嗅覚で資金源を嗅ぎつけます。
それは、銀山。

当時兵庫県の生野銀山はすでに掘り尽くされたと見られていましたが、秀長はひそかにここを調べ、まだ手付かずの鉱脈があることを察知。
そこで、いの一番にここを攻めとるや、採掘した銀をどんどん軍資金にまわしました。
この資金を使った大がかりな作戦で、秀吉は城を次々に攻め落とすことに成功。

さらに秀長、後には新たな資金源も開拓します。それは、商人。
元々大名の収入は農民からの年貢が中心でしたが、秀長は商業で力をつけてきた商人からも金銀を調達したと考えられています。
そのやり方とは、秀長から商人に金を貸し付け、それを元手に商いをさせてあがった利益の一部を納めさせるというもの。

こうして豊臣政権を支えた圧倒的な財力のかなりの部分は、実は秀長の力によって生み出されたものだったのです。

DJ日本史「大河になるかな人物伝 豊臣秀長」①