【出演者】
松村邦洋さん
堀口茉純さん
川久保秀一さん


2023年3月12日(日)放送の<DJ日本史>、テーマは『話が違うぞ!さあ、どうする?』。いざ実際に行ってみたら聞いてた話と大違い、思っていたのと正反対! そんな経験ありませんか? このようなとき、昔の人は自分の置かれた状況にどう向き合ったのでしょうか?

いざ戦の最前線に行ってみたら思っていたのと大違い、勝算が狂ってしまった、という武将の話です。
時は戦国時代の後半、織田信長の命令を受けた羽柴秀吉が中国地方の毛利家と戦った頃のことです。
この当時、秀吉と毛利の間にはさまれた勢力はどちらに味方するか迫られましたが、そんな中で毛利方につくことを選んだ城の一つ、鳥取城が今回の話の舞台です。

元々鳥取城は山名という大名の城で、山名の殿様自身は信長配下の羽柴秀吉に味方しようとしました。
しかし、それに反対する家臣は城主である殿様を城から追い出して毛利につくことに決めました。そして山名の家臣は毛利に代わりの城主を送ってくれと要請します。
そこで毛利家から送り込まれたのが、この話の主人公となる吉川経家(きっかわつねいえ)という武将です。

吉川経家は、敵の秀吉軍が到着する4か月前、1581年3月に鳥取城に入ります。
この戦い、厳しい戦いになりそうでしたが、経家としては戦に勝つチャンスもあるはずでした。
というのはこの鳥取城、標高300メートル近い山の上にあるので守りやすい城だったのです。
しかも冬には大雪が降るので、それまで城に立てこもっていれば秀吉軍も撤退せざるを得ない、と考えていました。

ところが、吉川経家がいざ鳥取城に入ってみると、思っていたのと大違い!
目算が大きく狂ってしまったのでした。


「次の冬が来るまであと10か月足らず。その10か月足らずを持ちこたえれば、敵もひくはず」

そう考えて1581年3月に鳥取城に入った吉川経家。
ところが経家、城の状況を知ってがく然。
なんと、兵糧がほとんどなかったのです。

実は敵の羽柴秀吉、籠城戦になることを見越してあたり一帯の米を事前に高い値段で買い占めていました。
経家はなんとか兵糧を調達しようとしますが、手に入りません。
そうこうするうち、時は経過。
7月、秀吉軍が到着して城を完全包囲。
9月、食べ物が底を尽きました。
10月、飢え死にする者、数知れず。
さあ、どうする、経家。

このときの吉川経家は、「城主」と言っても、いわば臨時に遣わされた代理の身。命が助かる方法もありました。
実際、敵の秀吉から経家の命は助けよう、との申し出がなされます。
しかし、経家はその申し出を断りました。そして選んだ道は、切腹。

では、なぜ吉川経家は自害したのか?
実はこの時、毛利家の信頼は大きく揺らいでいました。
近隣の大名はもちろん、毛利の親戚筋までが敵に寝返る始末。
だからこそ吉川経家、覚悟を示す必要があったのでしょう。
「味方に付く者とは、生死を共にするのだ」
そうやって、毛利の信頼を回復しようとしたのですね。

DJ日本史「話が違うぞ!さあ、どうする?」②