【出演者】
松村邦洋さん
堀口茉純さん
川久保秀一さん


2024年3月3日(日)放送の<DJ日本史>、テーマは「あの戦国武将の上手な叱り方」。人を叱るときは、うまくやらないと心から反省させることが出来ません。下手をすれば相手を傷つけ、恨まれることだってあります。皆さんご存じの有名武将は荒くれ者の侍相手にどうやって手綱をぎゅーっと締めたのか、その見事な叱り方とは?

人を叱った時に時々あるのが、相手が「自分を否定された」と受け止めてしまうこと。
しかし戦国武将のスター上杉謙信(うえすぎけんしん)は、そんな風に誤解されることはしません。
暴走気味の若者に対する、謙信の叱り方とは?


1573年、上杉謙信が加賀(今の石川県)へ兵を進めたときのこと。
上杉軍は順調に進撃しますが、朝日山という場所で一向一揆勢の激しい抵抗にあい足止めを食らってしまいました。とりでにこもる敵が大量の鉄砲で、盛んに撃ちかけてきたのです。
やむなく上杉謙信は、攻撃停止を命令。
ところが一人の若武者が、とんでもないことをしてしまいました。

若武者は年の頃まだ十代、初陣で気がはやっていたのか、なんと謙信の制止を振り切り敵の前に躍り出ていったのです。そして、死傷者が出る事態になってしまいました。
若武者は謙信の指示で引きずられるようにして連れ戻されます。そして、外に出られぬよう監禁されました。
若武者は意気消沈、「大失敗をして、殿を怒らせてしまった……」

ところが上杉謙信、怒りに任せて若武者を監禁したわけではなかったのです。
謙信は一方で、若武者の両親に宛ててこんな手紙をしたためます。
「その方ら、心配しなくてよいぞ。こたびは激しい戦、その方らの息子の身に何かあってはすまぬと思って監禁したのだ。どうか、悪く思わないでほしい」

その後、両親の元へ帰った若武者は、謙信からの手紙を知ってどう思ったか? 記録は残されていません。
ただその若武者・中条景泰(なかじょうかげやす)はその後も謙信のそば近くで仕え続け、最後は織田の攻撃から上杉家を守る戦の中で命を落としたと伝えられています。

DJ日本史「あの戦国武将の上手な叱り方」②