【出演者】
松村邦洋さん
堀口茉純さん
川久保秀一さん


2024年1月7日(日)放送の<DJ日本史>は「紫式部・藤原道長 特集」。紫式部はご存じ「源氏物語」の作者として知られる文化人、一方藤原道長は時の朝廷の実力者。この2人、活躍した分野は違いましたが、実は互いに影響を与え合った間柄でした。文化が政治を動かし、また政治が文化を育てたこの時代、2人はどんな人物でどんな関係にあったのでしょうか?

藤原道長(ふじわらのみちなが)、もともとは藤原家の中であまり注目されない日陰のポジションにいた人物でした。

当初藤原家の権力を一手に握っていたのは道長の兄の道隆(みちたか)。そしてその権力は、道隆の子どもへと引き継がれていきます。
一方藤原道長は、その道隆のずっと下の弟の五男坊で、普通ならそのまま埋もれていくはずの泡まつ候補でした。

しかし藤原道長は持ち前の能力と魅力でライバル道隆の子どもを蹴散らしてついに逆転、実力者に上り詰めました。
藤原道長は一体、どんな人間力を持った人だったのでしょうか?


道長に際立つのは、強気、そして大胆さ。たとえばこんなことがありました。

三条天皇(さんじょうてんのう)が、道長の意に沿わない女性をきさきに迎えた日のこと。
このとき道長、なんと別のうたげを同じ日にぶつけてきました。貴族たちが、天皇の祝いに駆けつけられないようにしたのです。
たとえ相手が天皇であろうと何のその。容赦ありませんでした。すごい剛腕政治家だったわけですね。

ただ、一筋縄ではいかないのがこの藤原道長。強気とは裏腹、全く違った一面もありました。

とにかく道長、よく泣きました。
天皇の行事で厚い待遇を受けるや、自分の出世を実感して大泣き。そして自分が建てた寺へ天皇がわざわざ訪れてくれたときも涙、涙。周囲が驚くほどの感激屋でした。

また藤原道長、無邪気な一面もありました。
自分の娘が天皇の子どもを産むや、朝夜問わず訪れて抱き上げます。
「紫式部日記」によると、ある時赤ちゃんにおしっこをかけられましたが、道長はぬれた服を火で乾かしながら言いました。
「こうしてぬれるのも、うれしいことよ」

こんな藤原道長、豪胆ながら時に無邪気な人柄で、女性受けは抜群!
これが、とんとん拍子の出世につながります。

道長の姉の詮子(あきこ)は天皇の母親でしたが、道長をとりわけかわいがり重要な役職につけるよう猛烈にプッシュ。
また、道長は天皇の血筋につながる有力者の娘を妻に迎え、強い後ろ盾も得ます。実は結婚当時、道長は目立たぬ日陰の存在でしたが、妻の母親が道長にぞっこん。道長を高く評価して娘をこし入れさせました。

藤原道長は、女性の胸を打つ「何か」を持った人物だったんでしょうね。

光る君へ

日曜日 [総合] 午後8時00分/[BS・BSP4K] 午後6時00分

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DJ日本史「紫式部・藤原道長 特集」①