【出演者】
松村邦洋さん
堀口茉純さん
川久保秀一さん


2024年1月7日(日)放送の<DJ日本史>は「紫式部・藤原道長 特集」。紫式部はご存じ「源氏物語」の作者として知られる文化人、一方藤原道長は時の朝廷の実力者。この2人、活躍した分野は違いましたが、実は互いに影響を与え合った間柄でした。文化が政治を動かし、また政治が文化を育てたこの時代、2人はどんな人物でどんな関係にあったのでしょうか?

紫式部(むらさきしきぶ)はもともと、下級貴族の家に生まれた女性でした。
20代半ばで親ほど年の離れた男性と結婚して娘を出産しますが、結婚からわずか3年ほどで夫に先立たれます。その後、悲しみをまぎらわせるように書き始めたのが、あの「源氏物語」でした。

「源氏物語」は多くの人に読まれ、当時の宮中で大評判になります。その結果、「源氏物語」は紫式部の運命を変えたばかりか、日本の政治も動かしていくことに。
紫式部が時代に与えた影響とは?


「源氏物語」が評判になるや、紫式部に接触してきた人物がいました。藤原道長です。その申し出は、
「どうか、天皇のきさきであるわが娘を、指導してはくれませぬか」
つまり紫式部は、道長の娘の家庭教師役として宮中に招かれたのです。
すると今度は、道長から猛烈な支援の手が差し伸べられます。まだ完結していない「源氏物語」の続きを書くよう、当時とても貴重だった紙や筆が送られてきたのです。
こうして紫式部は「源氏物語」を完成させることが出来ました。

ではなぜ、紫式部に声がかかったのか? それには、政治的な思惑がからんでいました。
藤原道長はなんとかして天皇の目を自分の娘に向けさせようと画策。
そこで、文学に関心のある天皇の気を引くため、紫式部を家庭教師役として招き寄せたのです。

これが功を奏したか、天皇は次第に道長の娘の元へ通い出します。
そしてついには皇子たち、後の後一条天皇(ごいちじょうてんのう)と後朱雀天皇(ごすざくてんのう)が誕生。藤原道長は天皇の外祖父として、栄華を極めることになりました。
つまり、当時最先端を行く文化人紫式部の存在は、道長の権力確立に大きな意味を持っていた、というわけですね。

光る君へ

日曜日 [総合] 午後8時00分/[BS・BSP4K] 午後6時00分

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DJ日本史「紫式部・藤原道長 特集」②