【出演者】
松村邦洋さん
堀口茉純さん
川久保秀一さん


2023年6月11日(日)放送の<DJ日本史>、テーマは『あの世界的偉人を動かした日本人』。どの国でも広く名が知れ渡った世界の偉人たち。そんな彼、彼女らの胸を打ち、行動に駆り立てた日本人がいます。世界的偉人はその日本人の存在をどうやって知ったのか? そして、どんなところに感銘を受けたのでしょうか?

イギリスの小説家、スティーブンソンに大きな影響を与えた日本人がいた、という話です。
スティーブンソンと言えば「宝島」や「ジキル博士とハイド氏」などの作品で知られていますよね。
実は、そのスティーブンソンの人生に影響を与えたばかりか、「宝島」が書かれるきっかけを作ることになった日本人がいます。それが幕末の思想家、吉田松陰(よしだしょういん)

スティーブンソンと吉田松陰、時代的に言うと、スティーブンソンがまだ子どもの頃に吉田松陰は亡くなっており住んでいた国も違うので、二人が直接会ったことはありません。
ただ、スティーブンソン27歳のときに吉田松陰のことを知り、スティーブンソンはその生きざまにとても感銘を受けました。そして、「宝島」で有名になる前の1880年にはなんと、吉田松陰の伝記まで書いています。

スティーブンソンが吉田松陰を知った、そのきっかけとは?


1878年(明治11年)のこと。
スティーブンソンは、学生時代の恩師だった大学教授の夕食会に招かれます。
そこには一人の日本人も招待されていました。その人物の名は、正木退蔵(まさきたいぞう)。
正木は、日本の近代化を指導してくれる“お雇い外国人”スカウトのため政府の命を受け、イギリスに派遣されていたのです。この正木退蔵が、吉田松陰の松下村塾出身者でした。

正木はこの夕食会で、恩師・吉田松陰のことを語ります。
どんなに挫折しても勇気を持って行動に踏み出した松陰。燃えるような情熱で駆け抜けた、わずか29年のその生涯。
話を聞いて、スティーブンソンは大きな衝撃を受けました。
なぜ彼は、強く胸打たれたのか?
実は27歳のスティーブンソン、このとき、人生の転機に立っていたのです。

当時スティーブンソンは、11歳年上の人妻のアメリカ人女性と恋に落ちていました。
そんな恋愛に、周囲は猛反対。その女性もアメリカへ帰国して離れ離れ。
スティーブンソンは失意のどん底にありました。
そんなとき彼は、どんなに厳しい状況でも命をかけて行動した吉田松陰の生きざまを知ったのです。

話を聞いたスティーブンソン、体が弱く旅費も十分にありませんでしたが、大西洋を渡ってアメリカの恋人の元へ行くことを決意。
過酷な旅で一時は意識不明になり死にかけたこともありましたが、ついに結婚にこぎつけました。

ちなみに、スティーブンソンはその女性の連れ子と遊ぶとき、その子を楽しませようと架空の島の地図を書いてお話を物語ります。これが元になって、あの大ヒット作「宝島」が誕生しました。

こうして見ると、吉田松陰の存在がスティーブンソンの人生を変え、さらには名作「宝島」を生むきっかけを作った、ということになるのかもしれませんね。

DJ日本史「あの世界的偉人を動かした日本人」②