旬の人・時の人

2019年11月05日 (火)

大阪城天守閣館長 北川 央さん

 

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 大阪城とオーストリアのエッゲンベルグ城が友好城郭提携を結んで、今年で10周年を迎えます。エッゲンベルグ城は、4つの塔が四季を、12の門が12カ月を、365の窓が一年の日数を象徴していると言われる壮大で美しい城です。世界遺産でもあり、多くの観光客が訪れます。

 

rw20191028oosakajo02.jpg  (エッゲンベルグ城提供)

 

 

城のなかの「インドの間」と呼ばれた部屋の壁面には、金箔を豪華に使った屏風絵がはめ込まれていました。屏風には、城や街の賑わいが描かれています。北川さんも加わった調査で、2007年に大坂図屏風だと判明し、これを機に2009年に友好城郭提携が結ばれました。秀吉の時代の大坂城と当時の町の賑わいが詳細に描かれた屏風。北川さんによると、国内にも豊臣期の絵図はないそうで、非常に貴重な資料だということです。

rw29191928oosakajo03.jpg(エッゲンベルグ城提供)

 

なぜ豊臣期の大坂城と言えるのでしょうか。屏風に描かれた天守閣は秀吉の時代には、最上階が黒壁になっていますが、徳川の時代には白壁となっています。絵図には豊臣期の城が描かれていたのです。川面には鳳凰船が浮かんでいますが、これは秀吉が鳳凰丸と名付け舟遊びをした記録と一致します。この他、船場や淀川、住吉大社や四天王寺も描かれています。

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(大阪城天守閣『特別展 豊臣期大坂図屏風』図録より)

 

 

豊臣期大坂図屏風は、どのような経過でヨーロッパに渡っていったのでしょうか?エッゲンベルグ城には、1660年から1680年の間に、当時の城主が、アントワープの美術商から購入したという記録が残っています。北川さんは、江戸時代初期に、出島を通じて交易していたオランダ商人が買い付け、輸出したのではないかと考えています。

今月は10周年を記念して、エッゲンベルグ城のあるグラーツ市の州博物館館長やエッゲンベルグ城学芸員も来日しました。記念フォーラムやイベントが開かれ、互いの街や城の魅力が話し合われました。これからも2つの城を通して交流が続きます。

 

 

 

 

 

 

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