2021年09月03日 (金)
「帰ってくるな」母に救われた命を生かす
10年前、当時、東京の大学に通っていた男性に、母親が電話でつげたひと言です。
姉の結納のために、和歌山の自宅に帰ろうとしていた男性。
そのときは気づきませんでした。それが最期の別れになるなんて・・・
(和歌山放送局 記者 植田 大介)
▽姉の結納の日に・・・
寺本圭太さんの実家は、和歌山県の那智勝浦町にありました。
10年前、死者・行方不明者が88人にのぼった「紀伊半島豪雨」で、被害が最も集中した町です。
自宅には母親の昌子さん(当時51歳)と、姉の早希さん(当時24歳)がいました。
土砂崩れが起きた9月4日は、結婚を控えていた早希さんの結納の日。
寺本さんも結納に参加するため、実家に帰るはずでした。
「雨が強いので帰ってくるな」
帰省の前日、電話で母から帰宅しないように言われたのです。
紀伊半島の上空には大型の台風12号の影響で雨雲が流れ込み続け、記録的な大雨に。
8月30日から9月5日までの1週間で、和歌山県の各地で雨量が1000ミリを超え、土砂災害や河川の氾濫が相次ぎました。
寺本さんの家は土砂崩れで跡形もなく押しつぶされ、母も姉も帰らぬ人となりました。
寺本圭太さん
「山のほうから大きい岩とかが崩れて自宅の方に流れてきたんです。一歩間違ったら、自分も亡くなっていた。今こうやって生きているのは母に生かされたんだと思います」
▽救われた人生 どう生きるか?
母のひと言に救われた寺本さん。
しかし、母と姉を失った喪失感から何も手がつかない日が続いたといいます。
自分に何ができるか探そうと、アメリカの大学院に進学。
日本に戻ってきた後は和歌山から遠く離れた、北海道で働いていました。
しかし、いつも“もやもや”とした思いがあったといいます。
寺本圭太さん
「ふるさとに戻って何ができるのか。今は何も思い浮かばない。でも、ふるさとのために何かしたい」
そうした寺本さんの背中を押したのは、父の存在でした。
父の眞一さんは、当時、那智勝浦町の町長でした。
妻と娘を失ったあとも、役場で災害対応の陣頭指揮をとりました。
町の復旧・復興のために励む父の姿を見て、寺本さんは救われた自分の命を、ふるさとのために生かしたいと考えるようになったといいます。
寺本圭太さん
「職務責任を全うしようというか、そういった姿勢はすごいと感じました。それを見て、自分自身も前を向いて頑張らないといけないという風に思いました」
▽ふるさとのために
寺本さんは3年前、和歌山に戻り県の職員となりました。
今は地元・那智勝浦町を管轄する県の出先機関で、復興した町の魅力などをSNSで伝える仕事に奔走しています。
「地元の人だけでなく、ふるさとから離れた人たちにもSNSを見てもらって元気になってほしい」
寺本さんは復興した町やそこで暮らす人たちの姿を発信し続けています。
撮影のため町を歩く寺本さんはいつも思うことがあります。
「あの災害は忘れてはいけないし、災害の教訓を生かさないといけない。自分と同じ悲しい思いは誰にもしてほしくない」
今後は、地域の人たちに豪雨災害の教訓を伝える取り組みなども行っていきたいと考えています。
▽ふるさとのことを伝えたい
また、うれしい出来事もありました。
8月に、娘の涼楓(すずか)さんが生まれたのです。
「あのとき母さんに命を救われたから、この子が生まれたよ」
あの日から10年。
寺本さんは、大切な家族が過ごしたふるさとのことを、いつか娘にも伝えていきたいと考えています。
寺本圭太さん
「新しい命が産まれたってことはやっぱり重みがありますね。人間、どこでいつ亡くなるか分からないというのはあの10年前に感じました。母と姉の分もしっかり生きていきたいと思うようになりました。天国から涼楓と僕ら家族のことを見守っといて下さい」