被爆から72年。長崎原爆に関するさまざまな知識・情報を夕方のニュース「イブニング長崎」で毎日、お伝えします。

長崎原爆ノート23「長崎の被爆者団体2」長崎市には、5つの被爆者団体があり、このうち「長崎原爆遺族会」は、原爆で家族を亡くした遺族も会員になれる団体として、長崎被災協に次いで昭和33年に活動を始めました。原爆で亡くなった人がどれだけいるのか正確に把握するよう行政に求め、被爆者だけでなく、亡くなった人や遺族への補償を求める活動を進めてきました。「長崎県被爆者手帳友の会」は、昭和42年に設立され、長崎市の平和公園に昭和52年、原爆の犠牲者を追悼する「平和の鐘」を設置し、毎月9日、原爆が投下された時刻午前11時2分に鐘を鳴らす活動を続けています。国が定める被爆地域の外にいた人でも被爆者と同様の健康障害が起きている場合には、手帳を交付すべきだとして、被爆地域を拡大するよう訴え、実現してきたほか、被爆者を親に持つ被爆2世などに対する援護施策を行うよう訴え、被爆2世の正確な人数の調査を行政に求めています。「長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会」は、職場での被爆者の待遇改善を求めて、さまざまな労働組合が設立した団体が前身となり、昭和50年に設立されました。佐世保港に原子力船が入港したことへの抗議をきっかけに、核廃絶を訴える長崎市の平和公園での座り込みを昭和54年に始めました。座り込みは毎月9日に行われ、今月通算400回を数えました。「長崎県被爆者手帳友愛会」は昭和54年に設立され、被爆地域の外にいたために、被爆者と認められていない「被爆体験者」の処遇を改善するよう行政に求めてきました。被爆2世も国の費用でがん検診を受診できるようにすることや、がんなどを発症した人には被爆者と同様の扱いをするよう求める活動を続けています。
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