被爆から72年。長崎原爆に関するさまざまな知識・情報を夕方のニュース「イブニング長崎」で毎日、お伝えします。

長崎原爆ノート22「日本被団協と長崎の被爆者団体」日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会は、マグロ漁船、「第五福竜丸」の乗組員が、太平洋のビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験で被爆し、国内で原水爆禁止運動が高まる中、昭和31年に結成されました。被爆者の団体をとりまとめる唯一の全国組織です。その後、59年にわたり、被爆者の立場から、核兵器廃絶を訴えるとともに、国の補償を求め、原爆の後遺症に苦しむ人たちの支援を続けてきました。長崎の被爆者では、国連で「ノーモア・ヒバクシャ」と演説したことで知られ、おととし亡くなった山口仙二さんが長らく代表委員をつとめました。いまは、谷口稜曄さんが、3人の代表委員の1人で、田中煕巳さんが事務局長を務めています。長崎市には、被爆者団体が5つあります。このうち、最初に設立されたのは、長崎被災協=長崎原爆被災者協議会で、長崎市での第2回原水爆禁止世界大会の開催を前に、昭和31年、12人の被爆者を中心に発足しました。設立当初から、被爆者に対する国の補償を求め、国際社会に向けて核兵器廃絶を訴えてきました。長崎市の平和公園の隣に事務所があり、日本被団協の代表委員でもある谷口稜曄さんが会長を務めています。
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